くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「新しい街 ヴィル・ヌーヴ」「ひとくず」

「新しい街 ヴィル・ヌーヴ」

全編墨絵の詩的なアニメーション。淡々と語られる物語の面白さではなく絵を楽しむという感じの作品なので、鑑賞する映画という感じでした。監督はフェリックス・デュフール=ラペリエール。

 

カナダケベック独立運動は過去に二度行われ失敗したというテロップから映画が始まる。その運動に参加したこともあるジョゼフは、別れた妻エマを呼び出す。

 

かつてアル中でエマに悲しい思いをさせたジョセフだが、孤独に苛まれエマを呼び出したのだ。しかしエマにはすでにジョセフに割くだけの心の隙間はないように思われ、やがて、ケベック独立運動が再燃する中、二人は別々になって行く。という物語だろうか。

 

墨絵のような絵が、流れては重なり、具体化してはシルエットになっては消えて行く。そのシンプルさは秀逸であるが、正直地味な作品というのは否めず、主人公二人の心のドラマがもう少し全面に出たら、なかなかになったような気もします。

 

「ひとくず」

時が50年以上戻ったかと思えるようなレトロな映画、ストレートな人情劇と展開に素直に泣いてしまう。驚くほどに見事なカットやカメラアングルが見える一方で、映像とは一線を画したような台詞回しは、あれはあれで、優れていた。ただ、主人公の生い立ちを説明するフラッシュバックがしつこいほど繰り返されるのはちょっと残念で、映画全体のリズムを崩す結果になった。主人公の名前に金田といういわゆる朝鮮人を思わせる名前設定の深さは流石でしたが、もう少し練り込んで研ぎ澄ましていたら傑作になったかもしれない映画でした。監督は上西雄大

 

一人の男が愛人らしい女の部屋で目覚める。いかにもうらぶれた男はこの物語の主人公金田である。カットが変わると一人の少女鞠が目覚める。部屋の中はゴミ屋敷のようで、冷蔵庫に電気も来ていず、ドアには外から鍵がかかっている。仕方なく水を飲んで空腹を紛らわす。そんな彼女の部屋にベランダから金田が侵入。金田は空き巣を繰り返している常習者だった。部屋の隅に逃げた鞠を見つけた金田はその異様な状況にかつての自分の少年時代を思い出す。よく考えれば空き巣のプロがこの家をターゲットに狙うというのも若干甘い。

 

金田は幼い頃から、母の愛人に虐待されてきた。そんな自分に鞠を重ねた金田は、食事を買って再度やってくる。そしてドアの鍵を壊して、自分の女を呼び出し、鞠に服を買ってやり、風呂に入れてやる。そして、鞠を観覧車に乗せたりしてやる。さらに訪ねてきた担任の教師を罵倒して電気代を払わせる。そんなところへ、鞠の母凛が愛人の男と帰ってくる。

 

愛人の男は鞠を虐待しようとするがそこにやってきたのが金田で、金田はその男と揉み合いの末殺してしまう。金田は少年の頃、母親の愛人を刺し殺した過去があった。以来母親とは疎遠になっていた。

 

金田は凛と一緒に凛の愛人の死体を埋め、凛を罵倒しながらも、鞠に母親らしくしろと迫る。こうして不器用ながら鞠に自分を重ね合わせ、なんとか力になろうとする金田と、次第に金田に絆されて母親らしく変わって行く凛との三人の生活が続く。この辺りまでが実によくできている。

 

金田の言動がとにかくぶっきらぼうで、それでいてそこかしこに鞠への愛情が見え隠れするというコミカルなギャップが映画を陰気にして行かないのがいい。さらに凛も次第に厚化粧から普通に変化して行く流れも丁寧な演出がなされている。さらに、舞台劇で鍛えられた上西雄大の細かい配慮のある台詞の数々が映画に隙を作らない展開はなかなかです。

 

そして、鞠の誕生日が近づき、金田はこれを機会に本当の家族になるべく、就職をし、ケーキを買い、普通になろうとした夜、警察に殺人容疑で逮捕される。買ってきたケーキとプレゼントを鞠に渡すよう刑事にことづけ、凛と鞠が叫ぶ中パトカーに乗せられていく金田。この終盤にかけてが実に雑な脚本になったところは本当に残念。

 

そして映画は一旦終わるが、やがて金田の出所の日、一台の車が近づき、娘になった鞠が金田を迎える。かつて、鞠の担任の先生に、鞠の胸のアイロンの火傷跡と手のタバコの火傷跡を消すように頼んだシーンが被り、綺麗になった姿を見せる鞠。運転席から凛が降りてきて、さらに、車椅子に乗った金田の母が迎えて映画は終わって行く。

 

中盤あたりまで見事な出来栄えなのだが、終盤、ちょっと雑な脚本になったのが本当に残念ですが、非常にレトロな懐かしい匂いのする佳作だったと思います。