くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

「ザ・ライフルマン」「朝が来る」

「ザ・ライフルマン」

ラトビアの近代史の汚点の一つを描いた作品ということで、勉強していったが、やはりわかりづらい部分もあった。反戦ではなく一人の人間のドラマであり、歴史の一ページという内容で、描かれる表面部分の奥にあるものを感じ取りきれなかった感じでした。監督はジンタルス・ドレイベルグス。

 

戦闘でクタクタになり行軍する兵士たちのカット、時は1915年、第一次大戦真っ只中である。そして物語は2年前に遡る。静かな村で両親と暮らす主人公のアルトゥルス。そこへドイツ兵がやってきたので母はアルトゥルスをベッドの下に隠し、応対に出る。そしてなんとかやり過ごしたと思われた矢先、吠える飼い犬を叱っていた母はドイツ兵に殺される。

 

アルトゥルスと父は軍に志願し、第一次大戦の前線へ向かう。父はかつての英雄で、軍隊経験も長かった。アルトゥルスは、最初は遊び半分で軍隊にいたがまもなくして、戦争の悲惨さに直面する。

 

ドイツ軍の侵攻が激しい上に、ロシアからは十分な援軍を回してもらえず、ラトビアの軍隊は盾のような形でドイツ軍を迎え撃っていた。次々と仲間が死んでいく中、人殺しをすること自体に疑問を感じ始めるアルトゥルスは、上官の命令に逆らったことをきっかけに戦友と軍を逃亡する。ところが友人は途中で追っ手に撃たれ死んでしまう。なんとか故郷へ戻ってきたアルトゥルスだが、ラトビアの国は志願兵を募り、自らの存在を見せつけようとなっていた。時は第一次大戦の末期に近づいていた。

 

子供のような兵士と脱走兵などで組織された軍隊に統率などなく、次々と敵に撃たれ、何をして良いかわからない少年たちに向かって、アルトゥルスは立ち上がり、構えから撃つまでの動作を指揮し始める。そして自らも率先して敵に向かうが、体を銃弾が突き抜けていく。映画は、こうして終わっていき、ラトビアの国の近代史の一ページの悲惨な戦闘のテロップが流れる。

 

アルトゥルスが関わる人々とのドラマをもう少し上手く描けば、戦場シーンが浮き上がったと思うのですが、そこが曖昧なために、ちょっと雑な仕上がりになった感じです。映画自体はそれほど仕上がりの良いものではないですが、知らない歴史を知ったという意味で見る価値のある一本だと思います。

 

「朝が来る」

優等生のように良くできた見事な映画です。脚本の構成、カメラ演出の工夫、ストーリー展開のリズム、どこをとっても教科書のような出来栄えなのですが、いかんせん鼻につく。細かい演出のさりげないところがあざといほどに見え見えに感じて、スッと感情を放り込めないところがある。監督の河瀬直美の手腕でもあり欠点でもある。そもそもこの監督が嫌いなのは、どうも鼻につく細かい演出なのです。ただ、良い映画でした、引き込まれました。

 

いかにも誠実な夫清和と妻の佐登子には愛する息子朝斗がいる。ただ、二人には子供ができないために養子をもらったのである。この舞台設定から映画は始まる。そして、物語はこの夫婦が恋人同士だった頃に戻り、やがて結婚するが清和が無精子症で子供ができないことがわかる。しばらくは札幌まで不妊治療に行っていたが、ある時を境に諦めた二人は旅行にいく。そこでたまたま養子縁組を仲介をしているボランティア団体の報道をテレビで見る。そしてその団体の主催浅見静江と会い、まもなくして一人の赤ん坊を養子に迎える。その赤ん坊の母親は片倉ひかりという中学生だった。

 

ある時、佐登子の家に電話がかかる。その相手は片倉ひかりだという。驚く佐登子だが、清和と一緒に会うことにする。やってきたのは金髪のいかにもヤンキー風の女だった。そしてその女は、子供を返すか金をくれと迫る。佐登子はその女に、あなたはひかりではないと告げる。そして物語は片倉ひかりの中学時代に移る。

 

憧れの同級生と恋に落ちたひかりは、間も無くして妊娠していることがわかる。両親も驚愕し、その対処に困っている時、浅見静江の主催する団体を知り、彼女の元へひかりを預ける。ひかりは広島の沖合の島にある浅見静江の施設に行く。そこにはひかりと似た境遇の女性たちがいた。まもなくして男の子を産んだひかりは、佐登子たち夫婦に子供を引き取ってもらう。その引き取りの場で、佐登子と清和はひかりと会う。ひかりは、子供を託した後、高校受験を進めるはずが家を飛び出し新聞配達をしていた。

 

住み込みで新聞配達をして暮らしていたひかりだが、同じ部屋に一人の派手な女性と同居するようになる。ある時、店にヤクザ風の男が来て、いつの間にかひかりは同居の女性の借金の保証人になっていた。まあこの辺りはかなりありきたりでリアリティが薄いのだが、ひかりがいかにも純粋な中学生から金髪のヤンキーに変わっていく様の時間の流れが実にうまい。そして、ひかりは佐登子に電話をする。

 

そして、ひかりは佐登子夫婦のところにやってくる。ひかりの脅しに、清和らは何もかも朝斗が知っていることなどを訴える。そこへ朝斗が幼稚園から帰ってくる。会うかどうか迫る佐登子夫婦に、ひかりは土下座して、自分は片倉ひかりではないと答える。

 

そして、ひかりが帰った後、かつて赤ん坊を受け入れたときに片倉ひかりが佐登子に託した手紙を再度見てみると、文面の後に、何かを書いた跡があった。それを鉛筆で擦ってみると、ひかりの本心が浮かび上がる。片倉ひかりは、佐登子らと会った後、新聞屋から姿を消していて、刑事が探しに来ていた。佐登子は、ひかりを見つけ、あなたの本心がわかっていなかったと涙を流す。そばに朝斗もいた。そして、佐登子は以前から話していた広島のお母ちゃんはこの人だと告げて映画は終わる。

 

浅見静江の場面は、ドキュメンタリータッチのカメラワークを徹底し、前半の佐登子夫婦のカメラと明らかに違う演出を行なっている。しかも、やってきた金髪女は誰?というミステリー、さらに、刑事の訪問、手紙の謎、など、最後まで観客の興味を離さないように構成された脚本が見事。ただ、エンドロールでの歌に朝斗の声を入れてみたり、途中途中に挿入されるインサートカットが実にあざとくて、賞狙いを意識したかに見える演出はいただけない。映画自体にやや余裕がないために息をつかせない硬さが少し気になる映画でした。