「滑走路」
いい映画でしたが、ほんの少し脚本の甘いところが気になった。主人公を三人に設定してるのですが、三人を結びつける天野の自殺の描き方が弱いのが残念。監督は大庭功睦。
厚生労働省に勤める鷹野が心療内科で治療を受けている。なかなかねむれない。仕事に追いまくられ、NPO法人からの陳情にも応えられない。
ここに1人の中学生がいる。彼はいじめにあっていたが、幼馴染の友達に助けられる。しかし彼に代わってその幼馴染がいじめられるようになる。
ここに切り絵作家の翠がいる。美術の先生をしている夫と幸せに暮らしているが、子供が欲しいと思っている。そんな時、夫が失業し、絵で成功している妻にそれとなく思いをぶつけてしまう。
鷹野は同僚が自分の道を目指して退職したことをきっかけにNPO法人が持ち込んだ非正規雇用者の自殺の問題を取り上げ、自分と同じ歳の人物について調査を始める。ところがその人物はかつての中学時代の友達だった。
物語は天野、鷹野、翠の三人の物語を中学時代、青年時代、そしてその十年後あたりを相互に絡めながら最後は一つにまとめていく展開なのですが、その面白さは十分できてるのですがラストの鮮やかさに少し物足りなくて、さらに天野の自殺の掘り下げをさらりと流しているのと、天野の恋人の登場を一瞬で消してしまったのはもったいない。翠が実は子供を産んでいてシングルマザーになっているというのは予想がつきすぎて勿体無い。ラストシーンを中学時代、橋の上で天野が翠と別れる場面で締めくくったのは爽やかなのですが、どこか物足りないのです。小さなエピソードがそれぞれ未来に向かった絡むようにした脚本の努力は素晴らしいのでそこは十分評価できる作品でしたが、それ以上でも以下でもない作品だった。
「アーニャは、きっと来る」
普通の映画だった。もういい加減ナチス映画ならなんでも輸入という姿勢はやめて欲しい。もっといいヨーロッパ映画もあるだろうにと思います。ジョーを演じた主演の色白の男の子の演技が白々しくて毎回映画を潰していた気もします。監督はベン・クックソン。
1942年、収容所へユダヤ人を送る列車に乗せられようとしているベンジャミンと娘のアーニャのシーンから映画は始まる。ベンジャミンはアーニャを向かいにやってきた列車に放り込み自分も逃げる。
南フランスのピレネー山脈の麓の村、羊飼いのジョーはこの日ものんびりと居眠りをしていて熊と出くわす。慌てて逃げ、愛犬を放ってきたので、後から探しに行って、ベンジャミンと会う。彼はユダヤ人で、山の上のアリスという老婆の元に隠れていた。そこで娘のアーニャと再会するためと、他のユダヤ人の子供をスペインに逃すためだった。
ベンジャミンと親しくなったジョーはいつの間にかアリスの手伝いで食料の買い出しの手伝いを始める。やがてドイツ軍もこの村にやってくる。アリスらが匿う子供の数も増え、スペインへの脱出が急がれてくる中、ジョーの父も戦地から帰ってくる。
この村では夏に山の上に羊を連れて行かなければならず、それに紛れて子供達を脱出させる計画を練る。そして段取りがついたと思われた時、ベンジャミンと一番幼い子供が見つかって捕まり収容所へ。他の子供は無事脱出する。そして一年後、戦争も終わり、ドイツ軍も去り、アリスのところにアーニャがやってきて映画は終わる。
無駄にやたら出てくる空撮シーンで確かに景色は綺麗だが、映画の流れになんの意味もない演出が流石の稚拙。細かいエピソードもなんの感動もなく、平々凡々な仕上がりの映画でした。