くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「種をまく人」「裁かれる越前守」「ドドンパ酔虎伝」

「種をまく人」

適当な映画かと思っていましたが、意外にしっかりと作られた佳作でした。少々重いのと、終盤がちょっとくどい上にラストの処理がかなりシュールですが、基本に則った編集テクニックなどはなかなかのものでした。監督は竹内洋介。

 

精神科の病院から出てきた光雄が弟裕太夫婦の家にやってくるところから映画は始まる。ゴッホのような出立ちをしているのだがこの意味はよくわからない。光雄は裕太と葉子夫婦の娘知恵と一希にすっかりなつかれてしまう。たまたま葉子の母が子守をする予定だったがドタキャンされ困っていたところなので、知恵と一希の世話を光雄に託して裕太達は仕事に行く。

 

光雄は二人の子供を公園に連れて行く。光雄がトイレから出てくると、知恵が呆然としている姿を見つける。知恵は光雄がトイレに行った時、一希を抱いていて落としてしまった。光雄が病院へ連れて行くが、打ちどころが悪くて死んでしまう。光雄は自分が落としたと言う。

 

こうして事件が始まるが、落とし時の細かいカットの編集テクニックが実にオーソドックスで上手い。知恵は嘘を突き通すことになり悩む。一方葉子は一旦知恵から真実を聞いたが、嘘をつきとおせという。そして、精神に異常がある血筋だと夫裕太を責め、知恵と二人で暮らそうと家を出るが知恵は裕太の元にとどまる。

 

光雄は、かつて知恵がひまわりに手を合わせていたのを思い出し、ひまわりの種をあちこちに撒き始める。知恵はある夜、家出をするがまもなくして光雄に見つけられ、光雄は自分が誘拐したかのように報告して病院へ行く。裕太は知恵を連れ出しハイキングに行く。着いた草原には光雄が植えたひまわりが咲いている。裕太は知恵にもう一度お母さんと三人で楽しく過ごす努力をすると告げる。こうして映画は終わります。

 

結局真実は出さないのですが裕太夫婦にはわかっていて、それで、光雄の希望を叶えるべく三人で幸せに暮らそうと決意したのです。やや、作り込みすぎた気もしますが、なかなかの作品に仕上がってました。

 

「裁かれる越前守」

さすがに新藤兼人の脚本の素晴らしさに応うところが大きい作品で、普通の娯楽時代劇の範疇を超えた奥の深いメッセージに感動してしまいますが、一方で重い作品に仕上がった感じです。監督は田中徳三

 

遊び人の市十郎が、情婦お袖と懇ろのシーンから映画が始まる。お袖は身ごもっているが、市十郎は間も無く大岡家との縁談がまとまろうとしていた。そして、市十郎は実家に戻され、お袖と会えないままにやがてお袖はこどもをうむ。市十郎に会いにきたお袖だが、結局会えず、市十郎の悪仲間がお袖をダシに市十郎に悪事を働くように提案する。しかし結局市十郎はやり遂げられず、お袖は悪党達の仲間になる。そして十五年、市十郎は大岡越前として南町奉行になっていた。

 

巷に五人組の強盗団が暴れていて、その一味は男が三人女が二人だった。大岡越前はようやく捕まえたが、一味はかつての悪仲間とお袖とその娘だった。町中に噂が広がる中、大岡越前は白洲で見事な采配をふるい、悪人達の目を覚まさせる。そして自らも罪を受けようとするが吉宗に止められて映画は終わっていく。

 

罪を憎んで人を憎まずという根底のテーマが見事に描き出されるクライマックスが見事だし、途中の「羅生門」を思わせる、聞き取りシーンも上手い。物語の構成の巧みさに唸らされる映画でした。

 

「ドドンパ酔虎伝」

まあ、楽しい映画でした。なんの中身もストーリーの妙味もないけど、訳も分からず踊り出して歌い出して、どこかで聞いたような話が挿入されてきて、なぜかハッピーエンド。これこそ映画黄金期の一本ですね。監督は田中徳三

 

寺の境内でドドンパ音頭で浮かれる人々のシーンから映画が始まり、それを作曲した主人公中山安兵衛が飲んだくれている長屋の場面へ。元禄十五年なので赤穂浪士の討ち入りを匂わせるが、それはさておき展開するのは長屋の人情時代劇。

 

ありきたりのよくあるようなエピソードが続いて、ラストは主人公達の大暴れで大団円。まあ、気楽な娯楽時代劇でした。