くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「樹海村」「哀愁しんでれら」

「樹海村」

まあ、「犬鳴村」よりはそれなりに面白かったです。でも、理由づけが全くできてないので、ただのホラー場面の連続という感じでした。監督は清水崇

 

樹海村の自殺者をパトロールしているのでしょうか、車に乗った男女が走っていると、幼い姉妹が飛び出してくる。タイトルが終わると、いかにもなYouTuberみたいな女の子が自撮りしながら樹海の中に入り、突然パニックになって倒れてしまう。そんな心霊サイトばかり見ている引きこもりの少女響のカットに変わる。姉の鳴が話しかけても無視するように仲の悪い姉妹。

 

結婚する友達の引っ越しの手伝いに行った響と鳴、そして鳴の彼氏でお寺の息子と山間の家に行きその軒下で古ぼけた箱を見つける。その箱は決して調べたりしてはいけないものだと響は言うが、この家の管理人がその箱を持って帰ろうとして車に轢かれる。

 

寺の息子がその箱を父の寺に持ち込み、その住職はお祓いをしようとするが、何物かを感じる。直後、寺は全焼し、箱を燃やそうとしている響の姿が防犯カメラに映っていて、響は病院へ入る。しかし、鳴らの周りでは不思議なことが起こり始め、結婚した友達の奥さんが行方不明となる。そして、鳴とその恋人らが樹海に消えたらしい奥さんを探しにいくが、パトロールの人たちと出会う。さらに、行方不明の奥さんは木の中に取り込まれていた。

 

一人戻った鳴は響の部屋のカーペットの下に不気味な地図を発見する。あの不気味な箱は、昔、樹海に捨てられた人々が作った樹海村にあった呪いの箱だった。鳴はその地図に則って箱を返すために樹海へはいっていくが、そこで、樹海村の人々に捕まる。しかし、彼女を助けたのは、鳴と響が幼い時に自殺したと聞いている母親だった。鳴らの母は、呪いの箱を樹海に返しに行って自らを犠牲にして娘たちを守ったのだ。というか、なんで、その箱が身近なところに現れるのかの理由づけが全くない。

 

鳴は母と脱出するが、母は樹海の洞窟に落ちてしまう。鳴に襲いかかってくる樹海村の化け物。そんな鳴を助けたのが入院しているはずの響だった。そして、響は自らを犠牲にして鳴を逃す。

 

時が経ち、鳴は結婚して子供がいる。その子供が物置に入っていって、響ちゃんと呼ぶと、そこにあの呪いの箱があって映画は終わる。で、結局、どういう解決したのか良く分からないエンディングでした。さすがにクライマックスの絵作りは、清水崇の才能が出ていて、安っぽくなかったのは良かった。

 

「哀愁しんでれら」

久しぶりに、毒のある日本映画の傑作に出会いました。ストーリー構成の面白さ、先の読めないワクワク感、従来の価値観を覆す奇抜さ、キャスト選定の成功、などどれをとっても工夫がみられ本当に面白かった。土屋太鳳は嫌いな女優なのですが、それを払拭して、拍手してしまいました。監督は渡辺亮平。

 

一人の女性が教室の机の上を歩く逆さまの映像から映画は幕を開けます。上品なドレスを着た彼女が白衣を脱ぎ捨てて、彼方に去って物語は始まる。児童相談所で仕事をする小春はこの日もある家庭を訪問していた。まともに相手をしない母親の手を力ませに掴んで、必死で子供の無事を確かめようとするが、奥から出てきた子供は手を振るだけ。職場に戻った小春は行き場のないストレスをぶつける。

 

母が突然家を出てから母代わりに高校生の千夏、そして父の面倒を見ている小春。自転車屋を営む気のいい父親、この日も疲れた小春はカレーを作り千夏に悪態をつかれながらも楽しい食卓。同居の祖父が突然風呂場で倒れ、父が慌てて病院へ車で連れていくが途中で酔っ払いの自転車を避けたために事故を起こす。救急車で病院へ連れて行った小春たちだが、火の不始末で自宅が火事になっている。そして一階の自転車店が燃えてしまい、父は就職先を探す羽目に。この導入部の畳み掛けが実に鮮やかで小気味いい。

 

踏んだり蹴ったりの一夜の後、小春は夜道、たまたま酔っ払いが踏切の中で倒れてしまったのを目撃、見過ごそうと思ったが助けてしまう。渡された名刺には、開業医であることを示す文字があった。小春の友達に背中を押され、助けた男性大悟とデートをするが、大悟には小学生の娘ヒカルがいた。ヒカルと小春はすぐに意気投合し、大悟と小春の仲もどんどん発展、さらに大悟は千夏の家庭教師を務めた上に、小春の父の就職も世話し、祖父の入院先まで手配する。とんとん拍子に進む中、当然のように小春と大悟は結婚する。

 

このまま普通に終わるはずはないと見ていたら案の定で、ヒカルはみるみる赤ちゃん返りをし始め、一方、学歴や教養に極端に拘る大悟の本性も現れてくる。ヒカルは小春が毎日持たせてくれている弁当を食べずに、弁当は作ってくれないと学校では言っていたり、小春にもらった筆箱をトイレに捨てていたりする。小春はヒカルの本性が見えてくるに従い、母親としての自分はどうするか悩む一方で、なんとも言えないストレスに押しつぶされていく。

 

そんな時、ヒカルのクラスの女の子が窓から落ちて死んでしまう。その子はヒカルがひそかに好きな男の子といつも仲良くしていた女の子だった。ますます追い詰められていく小春は、ある時、大悟の部屋で大悟が大切にしているうさぎの剥製を壊してしまい、それをヒカルに見られ、あまりにヒカルが極端に大騒ぎするので、つい叩いてしまう。ところがそれが大悟にバレ、完璧を求める大悟は小春を追い出す。しかし、ヒカルが泣きついてくる。それでもその場を去る小春。

 

何もかもに疲れた小春は、自暴自棄になり線路の中で倒れてしまう。あわや電車がという時、大悟が駆けつけ小春を助け、もう一度やり直すことに。小春は母親として生きる覚悟を決める。一方大悟も、今までの思い出などを捨て、小春、ヒカルと三人で生きる決意をする。そんなある時、ヒカルの靴が学校で盗まれる。大悟と小春は学校に駆け込むが、そこに、ヒカルのクラスメートの男の子が、クラスの女の子を突き落としたのはヒカルだと言う。

 

家に落書きをされたりする大悟たちだが、小春は、自分たちがヒカルのためにできることはまだあると言う。校医でもある大悟は新型インフルエンザの予防接種の仕事が間もなくある。そこで、ある計画する。

 

そして、予防接種の日、大悟は手際良く注射をしていく。傍には看護服姿の小春がいる。一人の少女が小春に、ヒカル宛の手紙を渡すが小春は読まない。接種が終わり、小春はもらった手紙を読む。ヒカルの無実はみんなわかっていると書いていたが小春は無視する。

 

まもなくして、教室で、たった一人の生徒ヒカルに小春が算数の授業をしている。大悟もその場にいる。廊下では大勢の子供たちが死んでいる。ワクチンの代わりにインシュリンを注射したのだ。映画の冒頭で、糖尿病の注射をする小春の父親が呟いた一言がここで生きてくる。こうして映画は終わる。

 

日本映画もやるじゃないか。このタイミングで、ここまで毒のある物語を臆面もせずに平然と演出し、仕上げたスタッフたちに拍手したい。サスペンスとしても面白いし、現代の学校や親のあり方へのブラックユーモアも効いている。良い人役ばかりの土屋太鳳、田中圭の配置も上手い。絵作りもなかなか凝っていて面白い。大傑作と拍手したい一本でした。