「フリークス」
映画史に燦然と輝く怪作、と言われていますが、意外に真っ当なテーマのあるそこそこな映画でした。本物のフリークスを登場させたという演出は流石に現代では叶わないことかもしれませんが、人間の本当の醜さとは何かを真正面から描いた点では、見るべき一本だと思います。監督はトッド・ブラウニング。
延々と人間の醜さ、フリークスの存在などなどを語るテロップが終わってタイトル、場面は大勢の観光客らしい人たちが、案内の男にある囲いの中にいるフリークスとそうなったくだりを語るところから映画は始まる。
場面が変わるとあるサーカス団の空中ブランコのスタークレオパトラの姿。彼女にぞっこんなのは小人のハンス。しかしハンスを愛しているには同じく小人のフリーダ。ハンスはクレオパトラにいいように誘惑され弄ばれているが、ハンスはひたすら彼女に貢いでいる。しかしクレオパトラには愛人で力自慢のヘラクレスがいた。クレオパトラは、ヘラクレスとの仲を隠しながらハンスに金や宝石を貢がせる。物語はそんな二人の姿を彼らを心配して見守るフリーダやその他のフリークスの芸人たちを描いていく。
シャム双生児の姉妹、足のない男、手のない女、小頭症の女たち、などなど、見るからにフリークスだが彼らの心は実に純粋である。一方クレオパトラやヘラクレスは五体満足ながら心は欲に染まっていた。ある時クレオパトラはフリーダから、ハンスには莫大な資産があることを知り、ヘラクレスと共謀してハンスに徐々に毒を飲ませることにする。一方で、ハンスとクレオパトラは結婚の流れとなる。
結婚式の日、クレオパトラは酔ってフリークスたちを罵倒し、さらにハンスに毒を多めに飲ませてしまう。倒れたハンスは医師に毒を飲まされたと診断されるがクレオパトラはうまく誤魔化す。しかしハンスは気が付いていた。そしてフリークスたちと協力しクレオパトラとヘラクレスへの復讐の機会をうかがう。
嵐の日、サーカス団が移動する車の中で、ハンスはクレオパトラが薬と偽って毒を入れる現場を問い詰め、それをきっかけにフリークスたちがクレオパトラとヘラクレスに襲いかかる。
場面は冒頭の場面となり、案内人に案内されて客らが囲いの中のフリークスを覗くと、そこには鶏のような姿にされたクレオパトラの姿があった。こうして映画は終わっていく。
人間の本当の醜さを、健常者とフリークスを対比させて描く手法は、非常に真っ当な作品として仕上がっていて、ある意味見るべき一本だったように思いました。