くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「Arc/アーク」「デカローグ9」「デカローグ10」

「A rc/アーク」

シュールな物語なのですが、そのシュールなテーマをもうちょっと凝縮させたほうが良かったのではないかと思います。いかんせん、ものすごく長く感じた。実際二時間以上あるのですが、前半部分をあそこまで描く必要があったのかはわかりません。結局、命、不死についての物語なのかと思うのですが、前置きとしての死体処理の技術シーンが結局終盤にそれほど意味を加えていない気がする。監督は石川慶。

 

17歳というテロップと、傍に生まれたばかりの赤ん坊と寝ている一人の女性、主人公のリナのシーンから映画は始まる。カットが変わり、19歳のテロップ、ある怪しげな倉庫、中では女たちがエロティックなダンスを披露している。そこへ、いかにもVIPという出立ちの女エマが入っていく。席についてステージを見ていると、一人の女リナがひらひらと出てきて好き勝手なダンスをする。結局追い出され、外で座り込んでいると、エマがやってきて名刺を渡す。

 

その名刺のところへ来たリナは、そこには死体を生きた人間のように加工するボディワークスという技術の工房があった。ポーズを決めるのは、天性の才能があるエマで、あやつり人形のように死体を動かしてポーズを決めていく。このシーンはなかなか面白い。

 

エマの工房で働くようになったリナは、次第にのめり込んでいく。ある時、エマの弟で科学者でもある天音と出会う。それからまもなくしてエマは理事長の座を追われて出ていく。

 

30歳のテロップ、今やこの工房の代表となったリナの姿、一方天音はその頃、人間の細胞が永遠に再生を繰り返す不老不死の技術を完成する。そんな天音を批判的に見つめるエマ。エマはかつてのパートナーのボディワークスと自宅で暮らしていた。リナは天音と親しくなり、天音から不老不死の施術を提案される。やがて天音とリナは不死の体となり、世界的にもその施術を施されるようになる。そして天音とリナは結婚する。

 

50歳、天音とリナは、島に暮らしていた。不死の施術ができないあるいはしない選択をした人々の施設天音の庭を運営しながら、平穏な生活をしていた。しかし、先天的な遺伝子異常があった天音は、突然体調が異常になりまもなく死んでしまう。しかし、死の間際、精子を冷凍保存していた。

 

89歳、リナは相変わらず若い姿のままだが、傍に5歳の女の子ハルがいた。ある時、余命幾ばくもない妻を施設に入居させるためにリヒトという男性がやって来る。妻を施設に入れて自分は海辺に住み始めるが、リナはリヒトが若き日に病院で置き去りにした息子だと知る。やがてリヒトの妻は亡くなり、半年ほどして、船で沖に出たリヒトは帰って来なくなる。

 

135歳、リナは定期的な施術を拒み、今や老人となっていた。傍には娘の姿になったハルがいた。浜辺で遊ぶハルたちを見ながら、リナは空に自分の年老いた手をかざす。それは、天音が亡くなった時ボディワークス処理した天音の年老いた手を思い出させるものだった。こうして映画は終わっていきます。

 

不死というものを捉えながら、肉体の衰えと命の物語をシュールに描いた感じの作品なのですが、どうも、その意図がはっきりと迫って来ないのは、あえてそうしたのか、上手く描写できなかったのかわかりませんが、思い切ってもっと濃厚な映像に仕上げたらもっと迫るものがあった気がします。

 

「デカローグ9 ある孤独に関する物語」

面白かった。疑念が疑念を生み、一方で愛情がどんどん膨らんでいく夫婦の物語がウィットに富んだ展開でどんどん進んでいく。なるようになるのかと思えば、とっても良いお話でエンディング。そのラストの締めくくりにほんのり感動してしまいました。監督はクシシュトフ・キェシロフスキ

 

外科医のロマンが、医師から、検査の結果不能であることがはっきりしたと診断されるところから映画は始まる。帰り道、車を暴走させてバックミラーを吹き飛ばしたりする。家に帰って、妻ハンカに言い出せず雨の中立っているとハンカが中に招いてくれる。妻は、愛情は下半身だけではないと慰める。

 

ある時、ロマンが電話に出ると妻宛の若い男性の声で、要件を言わず切れてしまう。一抹の不安の中、たまたま車のダッシュボーに学生のものらしいノートを見つける。ロマンの妻への疑念が高まる中、ロマンは仕事に行くと言って、部屋の前に隠れていると、案の定若い学生風の男が出てきて、妻が見送る現場を目撃する。ロマンは自転車を狂ったように走らせて、川に飛び込む。不能となった自分の不甲斐ない切なさも重なり涙ぐむ。

 

ロマンがクローゼットに隠れていると、ハンカを訪ねて若い学生がやってくる。ハンカは夫が最近何やら落ち込んでいる様子なので、2人の関係はここまでにしようと別れ話をするが学生は執拗にハンカに食い下がる。しかし断固ハンカは彼を追い出す。そのあと、ハンカはクローゼットに隠れているロマンを見つけ、2人に子供もいないからだと話し、養子をもらうことにする。

 

ハンカは気分を変えるためひとりスキーに出かける。しかし、学生は執拗にハンカを追いかけてスキー場へ向かう。一方、ロマンはたまたま学生がスキーを積んで出かけるのを見かけ、まさかと思って学生のバイト先に確認するとスキーに行ったという。ロマンは、やはりハンカと学生の関係は続いていたと思い、手紙を書いて、自転車で飛び出す。一方、ハンカがリフトを待っていると追いかけてきた学生が声をかける。ハンカは、ロマンに疑われてはいけないと、自宅に電話するが通じない。慌てて帰りのバスに乗り自宅へ向かう。

 

一方ロマンは自暴自棄になって自転車を走らせ、道路から転落し大怪我を負う。自宅に着いたハンカは夫の姿が見えないので必死で探し、電話のところの手紙を発見、全てが終わったと思った矢先、入院先からロマンが自宅に電話をする。その電話をハンカが取り映画は終わる。

 

不能だと診断され打ちのめされたもののハンカのことを愛しているロマンの愛おしいほどの恋心、一方、ひと時のアバンチュールに浸ってしまったハンカだが、夫の愛情に目が覚めてロマンの元に戻るハンカ。なんとも言えない夫婦愛が一気に放出してくるクライマックスがとっても素敵な作品でした。

 

「デカローグ10 ある希望に関する物語」

これもまた面白かった。金が兄弟関係を狂わせていくなんとも皮肉な展開から、ほのぼのしたラストシーンへ流れるストーリーがなかなか胸に迫ります。良い作品。監督はクシシュトフ・キェシロフスキ

 

ロックバンドでしょうか。熱唱するアルトゥルを兄のイェジーが迎えにきたところから映画は始まる。父が孤独死したらしい。葬儀を終え、父の自宅に行ってみると、窓は釘打ちされ、水槽の魚は放ったらかし、金庫を開けてみると、切手のコレクションが大量に見つかる。そこへ、金を貸していたという男がふらっとやってくる。イェジーたちは父の放蕩ぶりに呆れながら、収集している切手もたいしたことはないだろうとイェジーの息子のために、ツェッペリンの3枚の切手をみやげに持ち帰る。

 

残りの切手も金に換えないととアルトゥルは切手の交換会の会場へいく。そこで会長と言う人に会い、後日、父の家でイェジーも交えて話すことに。そしてその会長がいうには、イェジーたちの父は物凄いコレクターで、コレクションの品は億単位の値打ちがあると言う。驚いたイェジーは、息子に持ち帰った切手も値打ちものだろうと息子に聞くと、交換したと言う。イェジーはその交換相手に取り戻しに行くがすでに売ったという。売り先の切手商のところに行くと、切手商に法外な値段をふっかけられる。アルトゥルは、再度その切手商を尋ね巧みに引っ掛けて脅し取り戻す。

 

一方、父のコレクションの値打ちを調べていたイェジーは、ある三連シリーズ切手を見つけ、その切手のうち二枚が揃っていて、あと一枚の行方を父が探していたというノートの書き込みを見つける。アルトゥルは友人の勧めでドーベルマンを番犬に置くことにする。イェジーとアルトゥルが、再度切手商のところに行くと、その最後の一枚のある場所を知ってるからと血液検査の書類を持ってこいという。

 

イェジーたちが検査結果を持っていくと、実は最後の一枚は切手商が持っていて、孫の少女の腎臓移植のドナーになってくれれば譲るともちかけられる。イェジーの腎臓と切手を交換することになり、イェジーは病院へ入院、無事手術は終わる。

 

アルトゥルは切手商から最後の一枚を手に入れたが、イェジーが退院の日、アルトゥルはイェジーに、部屋が泥棒に入られ切手全部盗まれたと言う。番犬も役に立たずベランダの警報は音がうるさいとイェジーが切っていた。

 

2人は警察に捜査を依頼するが、後からイェジーは弟が怪しいから調べて欲しいと刑事に言い、一方アルトゥルも兄が怪しいからと刑事に話す。ところが、二人がそれぞれ街に出ると、通りの向こうでドーベルマンを連れた切手商、息子が切手を交換した青年、などが話しているのを見かけ、結局自分たちが馬鹿だったと気づく。

 

イェジーは郵便局で平凡な記念切手を三枚買い父の部屋に行くと、そこにはアルトゥルが平凡な三枚の切手を並べて見ていた。それはイェジーが買ったものと同じで二人で苦笑いして映画は終わる。なんともウィットに溢れた良いお話でした。テンポの面白さと書き込まれたストーリーも見事でした。