くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ゴジラVSコング」「デカローグ5」「デカローグ6」

ゴジラVSコング」

無駄に超大作のB級娯楽映画という感じで、支離滅裂な展開も全て大作という勢いで突っ走って行く。今やアメリカ人も怪獣映画のなんたるかを忘れてしまった感のある映画ですが、退屈せず楽しめたのでいいかと思う。監督はアダム・ウィンガード

 

水辺でくつろぐキングコングのシーンから映画は幕を開ける。背後にのどかな曲、ここは髑髏島のコングドームの中である。一人の少女ジアがコングに、人形らしいものを見せる。コングはドームに入れられていることには不満という様子。

 

そんな頃、アメリカのエイペックスという会社がゴジラに襲われる。この会社が何か隠していると潜入していたバーニーはゴジラに破壊された会社の建物の中で何やら奇妙な機械を見つけるが、次に行った時には消えていた。

 

一方、特殊機関モナークは巨大生物のルーツを調べていて、地球の地下深くにある巨大空洞がそこではないかと検討、コングを案内役に仕立てる計画を立てる。そしてコングは船に乗せられるが、それを察知したゴジラがコングを襲う。ゴジラがコングを海の中に引っ張り込み、コングは瀕死の状態で、ゴジラとの戦いに敗れる。

 

バーニーはというと、ジョシュやシモンズらとエイペックスの内部を調査しているうちに地下の研究室へ辿り着きそこから海底トンネルで香港へ連れて行かれる。そこには、巨大ロボットメカゴジラがあった。

 

ゴジラは、香港での異常を認めて香港に向かうが、コングは、南極の地球の地下空洞への入り口から地球の奥深くへと向かっていた。そこで、天地が逆さまになったような巨大空間に辿り着き、自分の居場所であるような玉座のようなものを見つける。

 

香港へ着いたゴジラは、地面に熱線を放射して、それはコングのいる空洞まで届き、コングも香港へ現れる。再度世紀の対決となるが、今度もゴジラが勝ち、コングは瀕死の状態となる。そこへ、エイペックス社が開発したメカゴジラが制御を失って登場して大暴れ、ゴジラと戦い始める。圧倒的な強さでゴジラは劣勢となるが、コングが息を吹き返し、ゴジラと一緒にメカゴジラをやっつける。というより、なんでメカゴジラが人類の敵なのかは全く描かれていない。この辺りかなり適当である。

 

メカゴジラをやっつけたコングとゴジラゴジラは海に帰っていき、コングは地下空洞のコングランドで暮らす姿で映画は終わる。登場する人間のキャラクターはストーリーに何の意味も加えない上に、別にいなくてもいいやんという展開。ジアというコングと話せる耳の聞こえない少女見必要なのかという感じだし、メカゴジラを操る小栗旬のキャラは完全に無くていい。エイペックスがいかに悪徳企業なのかというカリスマ性も描写されていない。そもそも、ゴジラやコングと人類という対比を完全に無視して、ただCG満載のバトルシーンだけを見せ場にしただけの映画で、娯楽映画と割り切ればそれでいいのかもしれないが、何か違う気がする。そんな映画でした。

 

「デカローグ5 ある殺人に関する物語」

これは傑作でした。映画はモンタージュで語るべしというのを徹底した絵作りと、緩急のつけた展開、先の読めない面白さを堪能しました。死刑に対する疑問を真っ向から見事に描いた作品。監督はクシシュトフ・キェシロフスキ

 

一人の男がバケツを持って歩いてくる。これから自分のタクシーを洗うのだが、階上から雑巾を投げられあわやというところで難を逃れる。一人の新人の弁護士ピョートルが、最後の実習を終え、自分の意気込みを話している。一人の若者ヤツェックが、何が不満なのか何かにつけて、反抗的なことを繰り返しながら歩いている。陸橋の上から石を落として事故を起こさせたり、カフェで悪戯をしたり、公衆トイレで男を突き倒したりする。カフェで持っていたロープを手に巻いている。タクシー運転手は、気に入らない客は巧みに逃げたりして流している。時々、ピョートルのカットも挿入される。

 

ヤツェックは、一台のタクシーに乗る。それは冒頭で車を洗っていたタクシーである。ヤツェックは、道路脇に止めさせ、背後から運転手の首を絞める。しかし、なかなか殺せないので、シートにロープを縛り付け、外から棒で殴る。そしてひきづり出して、湖のそばまで連れてくるがまだ息がある。運転手はダッシュボードの金を家族に渡してくれと懇願するがヤツェックは石でとどめをさす。

 

法廷では、ヤツェックの裁判の判決が言い渡された後だった。弁護士は新米のピョートルで、判決は死刑だった。ピョートルは自分の力不足ではなかったのかと判事に問い詰めるが、判決は妥当だという。死刑執行の部屋の準備が進み、そして死刑当日、ピョートルはヤツェックに呼ばれて面談に行く。ピョートルにはまだ疑問があった。ヤツェックは、若い頃の話などをピョートルに語る。しかし、待ちきれなくなった検事らは話を終え、強引にヤツェックを引き連れ刑場へ。死にたくないと叫ぶヤツェックを拘束して縄をかけ執行する。じっと見つめるピョートル。

 

一人車の中で、叫んでしまうピョートルの姿で映画は幕を閉めます。タクシー運転手、ヤツェック、ピョートルの三人の姿を順に描きながら一つにまとめて行く構成の面白さもさることながら、インサートカットを巧みに挿入しながら絵作りをして行く演出は見事というほかありません。傑作と呼べる作品だったかと思います。

 

「デカローグ6 ある愛に関する物語」

特異な物語ですが、愛するということ、男と女の心の複雑さを、思春期の青年と男好きの女性を通して描き切る物語は見事でした。監督はクシシュトフ・キェシロフスキ

 

郵便局の窓口に一人の女性マグダが、為替の送金通知がきたとやってくるところから映画は幕を開ける。受け付けたのはトメクという青年で、そんな送金は来ていないので、また通知が来たら来てくださいと帰らせる。トメクは夜、望遠鏡を盗み出す。その望遠鏡で隣の棟の女性マグダの部屋を覗く。トメクはマグダが好きだった。

 

マグダは男を引き入れてはSEXをしている。トメクは無言電話をしたり、情事の最中にガス屋を向かいに呼んだりしてマグダにちょっかいを続ける。為替の通知を勝手に作って郵便局に呼んだりする。トメクは友人の母親と二人暮らしだった。通知が来るのに送金がないと郵便局で苦情を言ったマグダは、局長に追い返される。そんな彼女をトメクは追いかけて、自分が通知を書いていたこと、部屋を覗いていたことを話す。そして愛していると告げる。

 

その夜、マグダはわざと男を連れ込みトメクに見せる。そして男はトメクを呼び出し殴る。トメクは牛乳の配達も請け負っていて、マグダの部屋に行った時に出てきたマグダに、喫茶店で一緒にアイスクリームを食べてほしいという。そしてついにデートが叶う。帰り道、マグダはトメクを部屋に招き、挑発して誘惑する。遊ばれたと感じたトメクは部屋を飛び出す。マグダは紙に謝罪の言葉を書いて窓で見せるが、トメクは自宅で手首を切り病院へ搬送される。

 

マグダはあの夜からトメクを見かけないので家にいったり、郵便局へ覗きに行ったり。自分から双眼鏡でトメクの部屋を覗いてみたりする。トメクと住んでいる母親に、入院していると聞き、郵便配達人には、手首を切ったらしいと聞く。どんどん気になって行くマグダは、郵便局の窓口にトメクが座っているのをやっと見つけ入って行くと、トメクは、「もう部屋は覗かない」と答えて、マグダのカットで映画は終わる。

 

19歳のトメクが大人の女性に心奪われ、そして、本当の愛を知って一つ成長する僅かな物語を見事に描き切っています。上手いという他ない秀作でした。