くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「竜とそばかすの姫」「プロミシング・ヤング・ウーマン」「モード家の一夜」「紹介、またはシャルロットとステーキ」

「竜とそばかすの姫」

あれ?細田守どうした?という感じの仕上がり。これでアニメファンは満足するのだろうか?確かに仮想空間の映像は見事なのですが、大作仕上げにこだわり過ぎたのか、脇役の人物が全く描き切れてないし、ストーリー展開が整理されてないし、登場人物の背景が書き込まれていない。仮想空間の場面に力尽きてしまったという感じの仕上がりはさすがにもったいない気がします。中盤は完全に「美女と野獣」だし、で、それを生かすのかと思えばそうではなく、でもベルだし、どんどんスケールがこじんまりしてラストへ向かうし、ではあの少年たちはどうなるの?すずが歌えるようになってそれだけ?とはてな満載の映画でした。監督は細田守

 

仮想空間Uの説明から、空間内で大人気の歌手ベルの熱唱へといきなりの導入部にまず引き込まれる。さすがにこれはと見ていると、舞台はとある高知の片田舎、一人の女子高生すずの場面になる。幼い日に母を亡くした彼女はそれ以来歌を歌えなくなっていた。そんな彼女にある時仮想空間への招待状が来る。半信半疑で参加したすずは、その世界では歌えることがわかる。そして、ハンドルネームを考えた末、ベルと名付ける。

 

ベルの歌声はみるみる人気になり、仮想空間Uの世界の大スターになっていく。一方で反発も多かったが、そんなすずを支えるのは友人のヒロちゃんだった。まもなくして、Uの中でコンサートが企画され、ベルはそのステージに立とうとするが、突然、竜と呼ばれる暴れん坊が飛び込んでくる。しかも、竜を倒すためにジャスティンらの警察まがいのチームがやってきて大暴れ、コンサートは中止になる。

 

竜とは何者か?という疑問と、ベルのステージを潰した竜への非難が盛り上がる中、すずは学校で幼馴染のしのぶくんへの憧れや学校中のアイドルルカちゃん、さらに幼馴染でマイペースのカミシンらとの高校生活が展開。すずの母は、かつて大雨の日、川州に取り残された子供を助けるために川に入り亡くなった。それ以来父とも満足に口をきかない日々が続いていた。

 

すずは仮想空間の中で竜の居場所を探し回り、とうとう城を見つける。まるで「美女と野獣」のような竜とすずのシーンが展開。しかし竜の本当の姿はわからなかった。一方、ジャスティンたちも竜を探し、ついにその城を突き止めてしまう。慌てたすずはベルとなって竜の城へ向かう。そしてその真の姿を見ようとするが竜は消えてしまう。

 

学校では、しのぶとの恋、ルカのカミシンへの想いなどのエピソードが流れる。そんな時、Uの中で竜がいよいよ追い詰められたという情報が届き、すずはしのぶやルカたちとヒロちゃんが廃校に設置したパソコンのところへやってくる。そして、竜の姿をその情報から突き止めたが、ベルがすずだと信じてもらえなず回線を切られる。竜を救うべく、仮想空間内でベルはわざとジャスティンの持つ光線で素顔を晒し、竜への接続を試みる。素顔で歌うすずに仮想空間のみんなが感動するのだが、ここも非常に弱い。

 

なんとか竜の自宅に回線が繋がるが、そこには兄弟が父に暴力を振るわれる様があった。ここがとにかく弱くて、これをきっかけにすずは一人で高知から東京へ向かうのだが、なんとも大雑把な展開になる。

 

東京で竜の真の姿の兄弟と出会い、すずは現れた竜の兄弟の父を退散させ、高知に戻る。え?おわりなの?という流れで、戻ってきたら父が駅にいて、一つ成長したすずの姿を描いて映画は終わる。

 

大作でなくてもいいんじゃないかと思うのですが、周りの要望をこなそうとした細田守さんの今回も失敗になった気がします。「美女と野獣」のモチーフも生きていないし、仮想空間だけが大作っぽくて、肝心のドラマ部分が全くのしょぼい描き込みしかできていないので映画全体がふわふわとつかみどころのない出来上がりになった。細田守作品は毎回、贔屓目に見ているのですが、それでもちょっと残念すぎる出来上がりだったように思います。

 

「プロミシング・ヤング・ウーマン」

決して良くできた映画というわけではないけれど、ちょっと面白い作品でした。やたら長く感じたということはストーリーの構成配分に難があったのでしょうが、キャラクターの異常性、周囲の脇役のどこか変な存在感が映画全体を奇妙な空気で包んでいる。ラストはサスペンスタッチで終わりますが、ホラー映画の一歩手前を綱渡りして進むような展開は楽しめました。監督はエメラルド・フェネル。

 

ハイテンポな音楽で映画は幕を開けて、とあるバー。男たちが品のない会話を交わしている。部屋の中央に酔い潰れた女が一人いかにも男を誘うような姿勢で座り込んでいる。さっきの一人の男が声をかけそのまま部屋に持ち帰り、ことに及ぼうとするが、女が素面で、詰め寄ってきて男はタジタジとなる。

 

カットが変わり、さっきの女キャシーが自分の手帳に何やら人数をチェックする仕草とさっきの男の名前でしょうか記入している。彼女にはかつてニーナという親友がいたようで、医学生だったキャシーたちはニーナに起こったある事件のために中退したようである。キャシーの両親はキャシーを腫れ物を触るように接している。

 

キャシーはまた別の男の部屋にいて、またその男を手玉に取り怖がらせて部屋を出ていく。彼女はコーヒーショップに勤めている。そこへかつての同級生で今は医師になっているライアンがやってくる。適当にあしらっていたキャシーだがいつの間にか彼に惹かれていく。そしてデートを重ねる。

 

そんな頃、マディソンというかつての同級生に会う。彼女は、キャシーの友達のニーナに起こった事件で助けを求めに行ったとき助けてくれなかった。キャシーはマディソンに脅しをかけるような行動を取る。また、アル・モンローという男が、海外から戻ってきて近々結婚するというのを聞く。アルは学生時代、泥酔いしたニーナを暴行し、動画に撮った張本人だった。キャシーはアルのことを調べ始める。

 

キャシーはいつものようにゆきずりの男を誘っているところをライアンに見つかる。キャシーはその時ライアンのことが本気だと自覚して、ライアンと本気で付き合い始める。ところが、突然マディソンが現れ、ニーナの事件の夜の動画が送られてきた古い携帯をキャシーに託す。その動画にはアルが悪ふざけしてるのを笑って見ているライアンの姿もあった。どん底に突き落とされたキャシーはライアンの元を訪れ、アルの婚前パーティの場所を教えてもらう。

 

キャシーはコスプレナースの格好でアルのところへやってくる。イベントの派遣だと勘違いしたアルたちは彼女を招き入れる。そして、アルとキャシーは二階へ。キャシーはアルに手錠をかけてプレイしようと見せかけ、自分はニーナだと過去を責め始める。狼狽えるアルにメスを持って襲いかかるキャシーだが、片方の手錠が外れキャシーはアルに抑え込まれ枕を押し付けられ殺されてしまう。翌朝、駆けつけたアルの友人は死体を焼いてしまおうと提案、死体を処分する。

 

失踪してしまったキャシーのことを警察に話すキャシーの両親。やがてアルの結婚式となる。ライアンも出席していたが、ライアンの携帯に予約メールが入る。それはキャシーからのものだった。一方、かつて、ニーナの件を扱った弁護士にキャシーは会いに行っていた。その弁護士は、あの後弁護士を辞めて引きこもっていた。その弁護士にキャシーは万が一失踪になったらマディソンから預かった携帯を警察に届けてほしいと手紙を送っていた。

 

まもなくして、パトカーがアルの結婚式の場にやってきてアルは逮捕される。キャシーの死体が焼かれた跡にはハートの半分のペンダントがあり、ニーナの文字があり、カフェの店長の元にはキャシーの名の入ったハートのペンダントの半分が届く。こうして映画は終わって行きます。

 

テンポよく、そして手際よく流れる展開ではないのですが、ストーリーの骨子はサスペンスタッチです。しかも、実はキャシーは精神的にやや狂っていた部分があることを匂わせるホラーチックなものもある。完全に破綻した出来の悪い映像ではなく、あえて綱渡りのような不安定感が消えない不思議な映画だった気がします。

 

モード家の一夜

エリック・ロメール監督「六つの教訓話」の第3作。男一人と女二人という三角関係のラブストーリーという感じの映画でした。

 

主人公の私が自室を出てミサに向かうところから映画は幕を開けます。教会で一人の金髪の女性フランソワーズを見かけ、ミサの後バイクで帰る彼女を車で追いかける私。私は最近海外から戻ってきた。久しぶりに友人のヴィダルと再会、ヴィダルは近々モードという女性の部屋に遊びにいくから一緒に行こうと誘う。

 

それほど乗り気でなかった私だがヴィダルと一緒にモードの部屋に行く。遅くまでしゃべり、ヴィダルと友人の女性は先に帰る。私は結局モードの部屋に泊まることになる。翌朝、部屋を出たところでフランソワーズと出会いはじめて言葉を交わす。

 

雪の夜、再びフランソワーズと再会した私は彼女を寮まで車で送ることになるが、途中で車が動かなくなりフランソワーズの寮に泊まることになる。翌日、私はフランソワーズとミサに出かける。私はフランソワーズに「愛している」と話し、お互い、それぞれの過去を話す。一方、モードは街を離れていく。

 

5年後、私はフランソワーズと結婚し、子供を連れて海岸に遊びにきた。そこで偶然モードと再会し、私はモードと一言二言話す。そのあとフランソワーズのところへ行き映画は終わっていく。

 

例によって延々と今回はパスカルについてやカトリックについてなどの会話の応酬が展開して、ほとんどが室内シーンである。正直、ちょっと退屈なのですが、これがエリック・ロメールの色でしょうね。

 

「紹介、またはシャルロットとステーキ」

エリック・ロメール監督の短編。クララという女性と歩いている一人の男がシャルロットという女性と出会い、シャルロットの部屋でステーキをご馳走になって、また出かけていくというだけの作品です。