くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「田舎司祭の日記」(4Kデジタルリマスター版」「サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス」

田舎司祭の日記

非常にいい映画なのですが、いかんせん、宗教に関する物語は正直なところ入り込みにくい部分があり退屈だと言うのも確かです。それでも、モノクロスタンダードの画面の中でひたすら苦悶する一人の司祭の人間ドラマの迫力はその映像表現ゆえによるものか圧倒されるほど迫ってきます。監督はロベール・ブレッソン

 

神学校を出たばかりの一人の若い司祭が田舎町に赴任してくるところから映画は始まる。いきなり、地元の老人が現れ、葬儀について文句を言って帰っていく。戸惑う司祭に先輩の老司祭は気にしないようにとアドバイスする。司祭は病を抱えていた。食欲もなく、常に腹部に痛みを感じている。しかしそれを隠して赴任してきた。

 

自分の理想を叶えるべく地元の領主の元を訪れるが思うようにいかない。さらに何故か村人たちの敵意を感じるようになるがその原因もわからない。布教と信仰を説いていけばいくほどに村人たちとの溝が深まっていく。

 

映画は、そんな司祭の苦悩する姿を彼が綴る日記を挿入しながら淡々と描いていく。時に暗転を繰り返し、映像に余計な演出を加えずモンタージュを重視し、淡々と描いていくスタイルこそロベール・ブレッソンの言うシネマトグラフという映像表現をこの作品で完成させた展開が美しい。つまり過剰な役者の演技を排除してモンタージュによる映像表現と音響を重視した演出方法を確立した。

 

何度か失神を繰り返した末、吐血した司祭は再度町の病院へ行く。そこで胃がんと診断され、帰り道、神学校時代の友人を訪ね、老司祭への手紙を託けた後昏睡状態になり、間も無く死んでしまう。友人からの手紙を老司祭が読む言葉で映画は終わって行きます。

 

余計な演出を施さず徹底した映像表現のみで描いていく作品で、商業映画と思えないほどに芸術性の高い映像ですが圧倒的な人物描写に打ちのめされます。ただ、作品は地味で退屈なのは事実です。

 

「サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス」

なんとも珍妙でなんと表現して良いかわからない作品。SF映画でもありミュージックビデオでもあり、ただのシュールな映像の反乱でありと言う感じですが、たまにこう言う訳のわからない作品を見るのも頭を柔軟にするのにいいことかと思いまして見に行きました。1974年作品で、地球上に残っているフィルムを可能な限りオリジナルに近づけ81分で完成させた映画です。監督はジョン・コニー。

 

何やら音楽を燃料にして宇宙を彷徨う大宇宙議会銀河間大使であるサン・ラーは、地球の黒人を理想の惑星に移住させるべく地球にやってくる。と解説ではそうなってるが、頭に丸いものをつけた黒人のおっさんがシンセサイザーのような機械を操り宇宙を巡っている。

 

犬のうんこを並べたような珍妙な宇宙船で旅をしてやがて地球へ。カットが変わり、とあるクラブでピアノを弾くサン・ラー。突然ピアノの音で店内が次々とが爆発して人々が逃げる中一人残っていた黒人のオブザーバーなる男がサン・ラーに勝負を挑むことになり、荒野の一角でカードゲームを始める。

 

やがて地球に宇宙船が到着し、しょぼい野次馬が騒ぐ中、サン・ラーが現れる。そして、オブザーバーは助手の黒人を連れて何故か娼館へやってきて女を侍らす。サン・ラーは異空間移動とか訳のわからない言葉を並べて、宇宙で働く労働者を募集。その技術を盗もうとNASAの二人が暗躍する適当な物語もある。空間も時間もそっちのけであっちこっちに場面が移りながら、サン・ラーは次々と黒人を宇宙船に乗せていき、宇宙へ帰っていく。

 

宇宙にこそ居場所があると言うフレーズを繰り返しながらクライマックスは何故かコンサートシーンだったりとわけがわからないが、不思議なことに結局眠くならなかった。まあこう言う映画も見たと言う一本です。