くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「妖怪大戦争 ガーディアンズ」「モロッコ、彼女たちの朝」「フリー・ガイ」

妖怪大戦争 ガーディアンズ

三池崇史監督、遊びたかったんですね。ダラダラした脚本と、無駄に多いキャスト、メリハリのない展開と、あっさりとやられる悪役、派手なCGに、思い入れだけの大魔神。今時、子供でもここまで適当だと受け入れないだろうにと言う映画でした。娯楽作品として楽しむのに唯一必要なかったのは主人公の子供二人という感想が出てしまう。まあ、期待もしてなかったし、こんなものでいいかなという感じです。

 

日本列島のフォッサマグナに沿って巨大な妖怪獣が東京を目指してくるところから映画は始まる。この妖怪獣が如何なるものかという中身が全く描かれず、日本の妖怪たちが迎え撃つべく、妖怪ハンター渡辺綱の末裔の子供の力を得るために、まだ小学生に渡辺ケイを見つけ出し、武神をを甦らせようとする。

 

あれ?お話がおかしいよね。迎え撃つなら妖怪ハンターの末裔が強くなってリーダーになればいいのに、武神を甦らせるために犠牲になってもらうという展開自体がチグハグである。とまあ、そんな矛盾だらけの話はともかく、末裔の渡辺ケイが、すんでのところで友情やら、平和主義やらを持ち出して、全部言葉で説明してしまい、それにすぐ周りが応じて、ピンチは次々と克服されてしまう雑さには参ります。

 

この子供らを抜きにして、ほかの妖怪のキャラクターを面白おかしく使えば十分大人の鑑賞に耐えられるエンタメになったろうに、なんとも言えない仕上がり。大魔神のCGだけが見所のなんともお粗末な映画でした。

 

「モロッコ、彼女たちの朝」

これは傑作でした。クローズアップを多用した演出で、二人の女性が未来に向かって立ち直っていく姿を力強く描いていく演出が見事。しかも、その背景にさりげなくこの国の女性蔑視を批判するようなメッセージも盛り込み、しかもそれがくどくなく観客に訴えてくる。見事な作品でした。監督はマリヤム・トゥザニ。

 

ひとりの女性サミアのアップから映画は幕を開ける。美容院の仕事の説明を受けるが、ここで寝泊まりしたいと申し出てそのまま断られてしまう。彼女は妊娠しているが父親はいない。家政婦の仕事を探して次々と家を訪ねるも断られ、一軒のパン屋にたどり着く。アブラという女性が営むその店にはワルダという少女がいた。アブラの夫は事故で亡くなり、アブラは女手一つでワルダを育てていた。特に人手もいらないとアブラはサミアを断るが、いくところもなくなったサミアは店の前の路地にしゃがみ込む。アブラは、彼女のことが気になり、一晩だけ泊めてやる。そんなサミアに興味を持ったのがワルダだった。

 

アブラは、一晩で追い出すのも忍びなくなりサミアに数日だけ手伝ってもらうようにするが、サミアは次第にワルダと仲良くなっていく。数日して、アブラはサミアに出ていくように伝える。ふしだらな女という視線を拭えないアブラはサミアがワルダと親しくなることに何処か否定的だったのだ。しかし、夜になり、サミアのことが気掛かりになったアブラはワルダとサミアを探しに行き、もう一度戻ってくるように言う。

 

サミアは子供が生まれたら養子に出してしまい、自分は田舎に帰るのだという。サミアはアブラの店を手伝うと同時に、夫を亡くして失意のまま、化粧っ気もなく毎日を過ごすアブラのことが気にかかっていた。アブラの店に小麦粉を配達するスルマニという男は誠実でアブラに好意を持っていた。アブラも満更でもなかったが、夫のことや歳のことなど後ろ向きにしか考えられなかった。サミアは、アブラの夫が生前よく聞いていたカセットの曲を無理矢理店で流す。最初は抵抗するアブラだが、そのうち涙を流して夫への思い出をサミアに話す。

 

やがて、地元の祭りが近づいてきた。サミアは自分が教えられたパンの焼き方をアブラにも教え、二人で店を繁盛させていく。スルマニは何かにつけてアブラのところへやってくる。祭りの日、アブラは久しぶりに化粧をする。次第に心を開いていくアブラ。そんな母を微笑ましく見つめるワルダ。祭りの日、サミアは産気付き男の子を産む。しかし産んだ直後からサミアは子供に関わろうとせず涙を流すばかり。翌朝には養子に出すために施設に行くというのをアブラが、祭りの後まで待つようにと諭す。

 

赤ん坊の鳴き声を聞くサミアは、とうとう子供に授乳をする。母乳を飲む赤ん坊の顔を見つめるサミアの顔。それぞれのアップを繰り返すカメラもうまい。少しづつ赤ん坊に関わっていくサミア。そして、サミアは赤ん坊を風呂に入れてやり抱きしめる。そして、赤ん坊にアダムと名付ける。この映画の原題である。

 

明日一緒に施設に行ってあげるとアブラに言われるサミアだが、翌朝アダムを抱いたサミアは、ここに来た時と同じく荷物を肩にかけ、アブラとワルダが眠る姿を見てそっと家を出ていく。こうして映画は終わる。サミアは子供を育てる決意をして去っていったのだろうと思いたいラストです。

 

主要キャストから赤ん坊に至るまでクローズアップを多用してその表情で心の変化を描いていく演出が圧倒的で、さりげなくモロッコの国柄を批判するメッセージも見え隠れする脚本も上手い。ラストの余韻に不思議な感動を呼び起こされる見事な作品でした。

 

「フリー・ガイ」

これは面白かった。散りばめられた伏線と、やりたい放題のCG映像、テンポの良い展開、パロディ満載のノリの良さで、最後まで飽きずに楽しみました。ラストの切ないラブストーリーの仕上げもいい感じでした。少々ストーリー作りの甘さも許せる一本でした。監督はショーン・レピ。

 

一人の男ガイがベッドで目覚め、朝食を食べ、服を着て勤め先の銀行へ向かうところから映画は始まる。ここはフリー・シティというゲームの中の世界で、ガイはそこのモブキャラ、つまり背景。しかし彼らはそれを知らない。銀行ではバディという警備員と友達だった。この世界ではサングラスをしているのがメインキャラでプレイヤーが操作していた。ガイとバディはいつものように街に出るがそこでモロトフという女性のアクションキャラと出会う。ガイは彼女に何故か一目惚れしてしまう。

 

ここはフリー・シティを運営しているゲーム会社。ここのオーナーはアントワンというが、彼は、ここの社員キーズとミリーが作ったプログラムを盗作してフリー・シティを作った。ミリーはアントワンを訴えていたが決定的な証拠がなく、ミリーはゲーム内でモロトフというキャラになってゲーム内に隠したビデオ映像と、プログラムを探していた。

 

一方、ゲーム内でのガイは、ある時、銀行でいつものようにやってくる強盗からサングラスを手に入れ、ゲームの世界を初めて見てしまう。そして、自分がモブキャラで、サングラスをしているのがメインキャラだと知る。そして、モロトフに何度も会ううちにどんどん盛り上がっていき、プレイヤーたちの間でも人気が出てくる。ミリーとキーズは、ガイを利用しようとするがなんと彼にはプレイヤーが存在せず、ゲームの中でうまれたAIであることがわかる。

 

ガイの存在が危険と判断したアントワンは、様々な妨害をするが有効にならず、最後の手段でゲームを再起動させてしまう。全てがリセットされたミリーたちは再度ガイを復活させるために奔走、そして、モロトフに、以前ガイにキスしたことを思い出させ、ガイの記憶を復活させ、さらに、モブキャラを集めて、ミリーたちが隠した海に向こうのプログラムを見つけようとする。計画を知ったアントワンは、フリー・シティ2で用意していたデュークという未完成のマッチョキャラを投入してガイを倒そうとする。さらに、プレイヤーのキャラのアカウントを消していく。モロトフも消されるが、ガイはデュークを倒し、キーズが作った橋を渡って海の向こうを目指す。アントワンは最後の手段でサーバー自体を破壊し始める。

 

フリー・シティが壊れていく中、ガイとバディは海の彼方を目指すが、一緒に来たバディも壊れてしまう。ガイは一人、海の向こうのキーズらの作ったプログラムの地へとなんとかたどり着く。

 

全てが白紙になった中、キーズとミリーが作った本来のフリー・シティでガイは元の生活をしていたが、モロトフには現実の存在なのだからを別れを告げる。一方、現実世界では、キーズがミリーにアプローチしていたがミリーがなかなか気が付かない。しかし、キーズがゲーム内で作り出した理想の女性こそミリーをモデルにしたという言葉を思い出し、ミリーはようやくキーズの気持ちを知り、二人は抱き合う。ゲーム内では、モロトフを失って落ち込むガイの前に、消えたと思っていたバディが現れ、二人は友情を確かめ合って抱き合い映画は終わっていく。

 

単純に楽しいし、ゲーム用語はほとんどわからないけれど、ふんだんに出てくるCGを楽しみながらシンプルなストーリーを追っていくだけで十分で、ラストの処理もいい感じにまとまっていて、見たあと爽快感が残りました。