くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「DAU.退行」

「DAU.退行」

先日見た「DAU.ナターシャ」の続編で約10年後から始まる。全九章からなる物語で、ダンテの「神曲」をモチーフにしている。これは傑作でした。メッセージを映像に変化させるとこうなると言わんばかりの作品で、誰が主人公というわけでもなく、粛々と小さなエピソードを繰り返しながら、六時間余りの時間の中で観客に訴えるべきソ連の崩壊へのドラマを描いていきます。ラストシーンで一気にそれまでのシーンが蘇ってくる演出には言葉が出ませんでした。見事。監督はイリヤ・フルジャノフスキー、イリヤ・ペルミャコフ。

 

生きているのか死んでいるのか兵士たちが横たわる。放電が見られる実験施設のような場面から映画始まり、何やら意味ありげなセリフの後タイトル。時は1960年代後半のソ連ソ連某所の研究所、その研究所の食堂では連日の乱痴気騒ぎと、若い研究員たちは西洋諸国に毒されたかのようにマリファナなどを吸っている。研究所の所長らは秘書と懇ろになろ、当たり前のように男女の関係を交わしている。

 

退廃的になっているという報告をもとに派遣されてきたのは元秘密警察にも所属していたアジッポ。彼は研究所内の堕落を見て、所長を退任させ自分は所長となる。そして若い研究員らには、反省文を書かせ、丸坊主にさせ強行的に研究所内を粛清していく。ここで研究されているのは、超能力的な秀でた人物、完全な人間、超人を生み出す研究で、赤ん坊を被験者として入れてきて実験をしたりする場面もある。さらに、肉体的にも精神的にも優れた男たちを被験者にして実験も繰り返される。

 

研究所の一角にランダウ博士の自宅があり、彼が要するのこの研究所を設立したのではと想像される。ランダウ博士の息子は科学に才能がなく、音楽に興味がありようで、ピアノを弾いている。ランダウ博士は既に寝たきりで言葉も満足に喋れない。アジッポは社会学者にこれからのソ連のありようを予想させ聞いている。彼がいうには資本経済には限界はあるが知識経済には限界がなく、今後その方面を発展させることが素晴らしいかのように説いている。

 

一方で、研究所内での腐敗、共産主義に対する意味ですが、は進む一方で、一部の教授や食堂の女たちは何かにつけ羽目を外していた。アジッポはそんな場面に遭遇するたびに古参の教授らを情け容赦なく罷免にし、戒めとしようとして、聴聞会なども開くが一向に収まらない。アジッポは、国への忠誠心が固く、肉体的にも優れているマクシムらの若者を被験者として研究所へ入れ、遠回しに、堕落している研究員や女たちに圧力をかけるように指示する。研究所ができて30年経ち、子供たちの見学会なども行われる。

 

マクシムらは時に強行的に、時に暴力の一歩手前になるような行動をとりながら、圧力を加えていく。そして、終盤、研究所内で飼っている豚に落書きをし、飲み食いして騒ぐ彼らの前で屠殺し、肉をバラし、いかにもこうなると言わんばかりの見せしめをする。それから間も無く、アジッポはマクシムを呼ぶ。国のトップの命令によりこの研究所の存在を消すことが決まったという。消すというのは、職員、女、教授たち皆のことだと告げる。そしてマクシムらのメンバーはこの実行にあたって将来が約束されると話す。マクシムらは、研究所内の人間を全て殺戮してしまう。画面は、なぜか残った豚たちが研究所内の廊下を彷徨く場面で映画は終わっていく。

 

圧倒されます。これという筋の通った物語は見せませんし、中心になる主人公もありませんが、延々と描かれる何かしらの圧力がひしひしと伝わり、そして、どうにもならなくなった結論は殺戮しかないというエンディングに言葉を失ってしまいました。映像でメッセージを伝えるとはこういうことだと言わんばかりの見事な作品でした。