「めぐりあい」
荒削りな青春ラブストーリーという感じの一本で、貧乏人もひがみ根性だけを全面に出して突っ走る描き方は実に素朴そのもので、時代を感じるばかりの普通の映画でした。ラストの唐突なエンディングも当時の大量生産的な色合いの濃い作品でした。監督は恩地日出夫。
大手自動車メーカーの生産部で働く江藤努がハイテンションで出勤に向かう場面から映画が始まる。その途中、ベアリング商店で働く今井典子と出会う。努は典子を猛烈に誘うが典子は相手にしない。努の家は定年後しばらく仕事をしている不甲斐ない父親と、大学を目指す弟がいたが、生活は苦しく殺伐とした毎日だった。一方の典子の家庭は弟と母がいて、父は亡くなっていた。母には父の弟との結婚話もさりげなく出てきて典子は複雑な思いだった。
努と典子はそれとなく付き合い始めるが、何かにつけて当たり散らす努の言動には常に典子は危ういものを感じていた。そんなある時、努の父が失業し、努は家族と喧嘩をして家を出てしまう。一方、典子の母が自動車事故で突然亡くなる。お互いのトラブルが重なりすれ違いで会えなくなる二人。しかし、お互いにお互いを意識していた。
典子は遊園地で仕事を始め、努は友人の寮で暮らし始める。やがて、努の弟は自分で独立して大学に行くと家を出て、努も久しぶりに家族と夕食を共にして心が和らいでくる。しかし、努と典子のお互いの気持ちは薄らぐことなく、努は典子が勤めている遊園地へ行き、典子が子供達と楽しく仕事をする姿を見る。そして、二人はもう一度やり直すかのように寄り添って映画は終わる。唐突なラストである。
時代色が非常に強い作品で映画の出来栄えは普通ですが、わかりやすい青春ラブストーリーでした。
「MONOS猿と呼ばれし者たち」
解説を読んでなければなんのことかわからない作品で、殺伐とした中に、不思議なほどのあどけない空気感を漂わせる映画でした。コロンビア内戦を背景にしたドラマです。監督はアレハンドロ・ランデス。
目隠しをした男女がブラインドサッカーのようなことをして無邪気に遊んでいる姿から映画は始まる。彼らはコロンビア内戦のゲリラ部隊で、といってもまだ幼い少年少女八人である。彼らはMONOS(猿)と呼ばれていた。上官らしいメッセンジャーという男がやってきて、厳しい訓練と報告を求めたのち、乳牛を一頭置いて去っていく。しかし、一人のふざけた隊員が銃を撃って乳牛を殺してしまい、その責を感じたリーダーのウルフが死んでしまう。続いて立ったドッグフットは、さらに厳しく隊員を統制する。彼らは米国人の女性を博士というニックネームで拉致して監視している。しかし、ふとした時に博士は逃亡、しかし間も無くモノスらに捕らえられ鎖で繋がれる。
近くの戦闘に反撃するようにと言う指令にも、まだまだ幼い彼らにはなす術もない。ドックフットは、ミスをした隊員を蔓で繋いで拘束したりする。博士を監視していた隊員が油断した隙に博士はその少女を殺し再度脱出する。一方、ドックフットの行動に反抗的な一人ランボーは単身脱出し、追っ手を振り切ってジャングルで暮らす家族のもとに身を潜める。しかし間も無く追ってきたモノスらによって匿ってくれた夫婦は殺され、ランボーは単身脱出、川に呑まれて流される。
博士が脱出したことで、政府の大規模な救出作戦が開始され、中洲に倒れていたランボーはヘリコプターに救出される。ヘリが街の上空までかかり、救出した女性に処遇の指示を待つ無線、そしてじっとこちらを見つめるランボーのアップで映画は終わる。
もうちょっと、舞台説明と状況説明がないと何のことかわからない。素直に見えてくる映像のみ理解していけばいいのかもしれないが、その意味では優れた一本だったのかもしれません。