くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「天使にラブソングを…」「女妖」「町奉行日記鉄火牡丹」

天使にラブソングを…

ウーピー・ゴールドバーグが苦手で見逃していた作品を午前十時の映画祭で初見。これは名作でした。エンタメ映画の作劇の基本が徹底されているし、展開のリズムも実に小気味良い。さらに脇役がしっかりしているので映画にキレが出ました。これは良かった。監督はエミール・アルドリーノ

 

クラブ歌手のデロリスのステージから映画は幕を開ける。絶唱の後、愛人でこのクラブのオーナーでもあり、この地域の裏の実力者であるヴィンスとヴィンスの前妻とのことで大喧嘩をする。直後、ヴィンスは高価なミンクのコートをデロリスに届けるが、裏地に前妻の名前が刺繍されたままだった。怒ったデロリスは、別れる決心をして、ヴィンスのいる階上へ上がっていくが、たまたまヘマをして捕まえたヴィンスの部下の運転手を射殺する現場を見てしまう。慌ててその場を去ったデロリスだが、ヴィンスの手下が追いかけてくる。デロリスは警察署に駆け込みサウザー警部に保護を求める。以前からヴィンスを逮捕しようと画策していたサウザー警部は、法廷での証言と引き換えにデロリスを保護することにする。

 

サウザー警部が裁判までの間デロリスを隠そうとした場所は、スラム街のような一角に立つ粗末な修道院だった。古風な修道院長の態度に何度も逃げようとするデロリスだが、ある夜、気晴らしに向かいのバーにこっそり行ったデロリスの後をつけて二人の尼僧がついて来て大騒動になる。そこで修道院長は、デロリスに聖歌隊で歌うことだけをするように命じる。歌手だったデロリスは的確に聖歌隊を指揮し始め、箸にも棒にもかからなかった聖歌隊を立て直した上にモダンな楽曲を取り入れてイメージを一新、今までミサに足を運ばなかった街の人たちもやってくるようになる。

 

聖歌隊は話題になった上に、神父からも絶賛されテレビに映るようになって、とうとうヴィンスの目に止まってしまう。話題になった聖歌隊を一眼見ようと、訪米していた法皇が立ち寄ることになる。デロリス達は法皇の前でのコンサートのために練習に励むが、警察署の内通者を通じて修道院の場所がバレてしまい、デロリスはヴィンスの手下に拉致され、リノのカジノに連れていかれる。

 

修道院長ら聖歌隊のメンバーはヘリコプターを使ってデロリスを救出に向かう。一方、サウザー警部達もカジノへ向かう。デロリスはヴィンスの手下に拉致されていたが、手下達は修道服を着ているデロリスをヴィンスの指示通り撃ち殺すことができないでいた。そして、デロリスの縄を解いて服を脱がしてから殺そうとするが、デロリスはまんまと逃げる。そこへ修道院長らが乗り込んでくる。一方、ヴィンス達はカジノ場でデロリス達を追い詰め、あわや撃ち殺すかと思われた瞬間サウザー警部が飛び込んでデロリス達を助ける。法皇がくるコンサートの日、絶唱するデロリス達の姿で映画は終わっていきます。

 

エンタメ映画の作劇の基本が徹底された脚本が実に上手いし、テンポ良く演出された物語はとにかく楽しい。歌を入れるタイミングもよく脇役もしっかりストーリーを締めていくので、映画が踊ってきます。これは名作でした。

 

「女妖」

三隅研次監督にしては珍しい現代劇で、一人の作家を中心に三人の女性との関わりを描いたオムニバス的な作品。映画としては普通の作品でした。

 

浅草で、一人の女性のスナップ、彼女が自分のことを名乗り出たら3万円の賞金が出るという記事が出るところから映画は始まる。たまたま街でこの女性お粂を見かけた小説家の屋形は、彼女と偶然を繰り返して会うので、一緒に過ごすことにする。食事をして酒を飲み露天を回った挙句深夜になって連れ込み旅館に泊まることになる。思わず屋形はお粂を抱いてしまう。しかし深夜、鳳組の組長が大和組のチンピラに撃たれる事件が旅館の前で発生する。

 

カットが変わると大和組、組長が死に、その妻も鳳組の仕返しで殺され、二代目は娘のお粂となる。実はお粂は大和組の娘だった。葬儀の現場でその真実を知った屋形はその場を後にする。一方お粂は足を洗って裸一貫になる決意をし、全ての財産を組員に残して姿をくらます。

 

小田原で執筆を続ける屋形は編集者に若き日の出来事を原稿にしたものを渡す。先ほどのお粂との出来事であろうか。そしてロープウェイで一人の女性の赤木千鳥と出会う。彼女は屋形のファンだと言って自分のアパートを知らせる。屋形が訪ねてみるとボロアパートで、彼女は自分は肺病で間も無く死ぬと告げる。そんな千鳥に屋形は金をやる。千鳥は一緒に死んでほしいと、ウィスキーに何やら入れたものを屋形に差し出す。しかし屋形が拒否、千鳥はそれを飲んでその場に倒れる。屋形は救急車を呼ぶが、実は千鳥の狂言だった。彼女は有名人に近づいては金をせびる詐欺師だと警察から知らされる屋形だが、自分は金など渡していないと言ったので、千鳥は釈放される。その帰り、新しいターゲットに千鳥は電話をする。

 

そしてその話の原稿を渡して、クラブにきた屋形は今子という女性を探す。後日、突然家にやってきた今子は、上海へ旅立って別れた屋形のかつての恋人の娘だと知らせる。屋形は以前から編集者に探してくれるように頼んでおいたのだ。すっかり成長した今子と楽しく過ごすが、今子は突然屋形の家で盲腸で倒れる。そして入院したが、今子は忽然と消える。自分は屋形の実の娘ではないとわかったからだと友人に告げる。あまりに屋形がいい人すぎて隠しきれなかったのだという。しばらくして屋形のところに、今子に母が書いたという日記が届くが白紙だった。屋形は、今子が実の娘ではなかったことを知るが、そうでなくても娘としていて欲しかったと編集長に話して映画は終わる。

 

特に三隅研次らしい絵もないし、普通の現代劇になっていました。これもまた三隅研次監督作品ということですね。

 

町奉行日記鉄火牡丹」

典型的な映画全盛期のチャンバラ娯楽映画で、ラストの大立ち回りシーンのためにそれまで丁寧に描いてきた物語は全て白紙にしてしまうという大雑把さにはある意味ノスタルジーさえ感じてしまいました。市川崑監督の「どら平太」の元ネタ作品です。監督は三隅研次

 

江戸城松の廊下、小坊主達がかつての吉良上野介の出来事を噂しているところを真上から捉える映像から幕を開ける。今や平和になったというセリフの後、物々しい形相で播磨守が摂津守に、国元では悪行が行われていると詰め寄る場面に移る。そして摂津守は国元に新しい奉行望月小平太を仕向ける。

 

小平太はついた早々から堀外の遊郭街で遊び呆けながら情勢を探り、幼馴染の安川や、友達で大目付の堀らと力を合わせて、堀外に蔓延る悪を巧みに懐柔していく。根っからの女好きの小平太は、日夜女と酒に溺れながらも悪の根源を探り、次第にその核心に近づいていく。そして堀外を仕切っているヤクザの親分三人を取り込み、最後の仕上げに、全て背後で動いていた真犯人で藩の要職にある堀の所業を暴いて物語は終わるかと思われたが、親分三人と堀は小平太らに襲いかかってきて、結局ここまでの物語はなんだったのかという大団円を迎える。こうして映画は終わる。あっけに取られるラストである。

 

これという見どころもない一本で、冒頭のあたりは流石に三隅研次と思わせるカメラワークも見られたが、後は本当に平凡な時代劇に終始していった。明らかに日本映画黄金期の大量生産品の一本という出来栄えの映画でした。