くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「弟とアンドロイドと僕」「真夜中乙女戦争」

「弟とアンドロイドと僕」

正直全く訳のわからない映画でした。阪本順治監督のプライベートフィルムのような作品で、何か伝えてくるものがあるのか見えない作品。

 

フードを被った一人の男がこちらに歩いてくる。カットが変わりストレッチャーに乗せられる男の場面、外は雨、こうして映画は始まる。片足の不自由な感じの主人公桐生が雨の中を歩いている。どうやら大学の教授のようで、教室に入っても、片足で飛びながら、黒板に勝手に式を羅列して帰っていく。教授室には不気味な人間の片手のロボットらしいものがある。抜群のIQからこの学校に引き抜かれたという事務員のセリフ。

 

雨の中、自宅の最寄駅を降りた桐生は赤いレインコートの少女に道を聞かれ、ある産婦人科に連れて行く。桐生の自宅は昔ながらの病院で、今は一人で住んでいる。何やら顔を布で覆った人形のようなものがぶら下がっていて、世話をする桐生。弟から、父が倒れたということで病院へ行く。弟とは腹違いで、桐生は博打ばかりしていた父のことを恨んでいた。桐生の右足は自分のものではない気がすると言って、いつも足をひきづっている。桐生はレインコートの少女と再び会い、今度は自分の病院へ連れていくが、桐生が殺人鬼のようなお芝居をしたので逃げてしまう。

 

桐生が自宅で世話をしている人形は、桐生と同じ顔をしている。金の必要な弟は桐生の住んでいる病院を売るために権利証を見にやってくる。そこで奇妙な人形を見つける。どう考えてもおかしい兄の姿に、その人形をチェーンソーで切ろうとする。キレた兄は弟の首を締め冷蔵庫に放り込むが息を吹き返す。そして兄に襲いかかるが、結局弟は殺される。桐生は雨の中外に出る。冒頭の場面である。そして行き倒れとなりストレッチャーで運ばれる途中息を引き取る。

 

冒頭で出てきた少女が桐生の住んでいた病院に来る。そこでぶら下がっている人形を発見する。どうやらこの少女もアンドロイドらしく、見えている景色が人形と同じである。人形はその少女を抱きしめて映画は終わる。つまり究極の孤独な二人がようやく寄り添うものを見つけたというエンディングのようである。

 

とにかく、全編シュールで、常に雨が降っているのは主人公が外界から隔絶された孤独の表現か、暖炉のインサートカットや桐生の幼い頃の場面などが挿入されるけれど、意味が掴めません。退屈な映画でした。

 

「真夜中乙女戦争」

なんとも間延びしたダラダラした映画でした。オープニングはそれなりに頑張っているのですが、どんどん理屈だけが走って映像ではなくなってくるし、ストーリーがいかにも子供染みて薄っぺらいので、それをファンタジーとして描ききれなくなって陳腐になってくるし、どうしようもない映画でした。監督は二宮健。この監督、全く映像テンポの才能は皆無ですね。

 

カメラが縦に回転した映像から、大学の教室の一室、主人公僕の姿へ進んで映画は始まる。独り言で世の中や自分への不満を早口で語る姿から、先生に屁理屈を言ってコーヒーをかけられる。校内では、ちょっとした爆破事件が連続していて、何をするでもない僕は、かくれんぼクラブとおうサークルに参加、そこで、先輩という一人の美しい女性と知り合う。

 

一方、時々見かける黒服の男性がいくところに爆破事件が起こることから、彼に興味を持った僕はたまたま彼を助けたことから懇意になる。黒服と呼んだ彼は、既にさまざまな事業で成功して金持ちになっていて、興味本位で大学に来たのだ。彼の隠れ家には巨大なホームシアターがあり、僕が通ううちに次第に遊びに来る人が増え、それはやがて黒服の信者のようになっていく。一方、僕は先輩とますます親密になるが恋人には一歩届いていない。

 

黒服の組織はクリスマスの夜に東京全てを破壊することを計画し始める。しかし僕はその活動からは離れていた。そしていよいよクリスマスの夜、僕は黒服の部屋に行き、黒服を刺し殺す。そこへ先輩から電話が入る。彼女は今東京タワーにいるという。東京タワーは唯一東京で爆破しないと決めている建物だった。東京中が大爆発する中、東京タワーの先輩と僕は会話をする。こうして映画は終わります。

 

前半、黒服と出会うまではまあまあのテンポでしたが、僕と先輩とのラブホテルの場面は、ひたすらダラダラして、全体の構成からは実にバランスが悪く、原作のファンタジックな色合いがふっ飛んでしまった気がします。しかも、黒服らが行う活動を中心にした物語は実に薄っぺらく描かれているので、映画が陳腐に仕上がった感じです。作りようによれば不思議なファンタジーになったろうに、才能のない演出脚本家がやるとこうなるという典型的な映画でした。