くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「黒猫」「スターフィッシュ」

「黒猫」(1934年版)

いくら古い映画とはいえ、唐突に展開する物語がなんともいえない映画でした。エドガー・アラン・ポー原作なのにほとんど原作とは関係のないストーリーで、申し訳程度に黒猫が出るだけのマッドサイエンティスト映画。ボリス・カーロフベラ・ルゴシ共演だけが呼び物という作品でした。監督はエドガー・G・ウルマー

 

新婚のピーターとジョーン夫妻が汽車に乗り、ウィーンへ向かっている場面から映画は始まる。予約の手違いで精神科医のヴィトスが相席となり、さらに到着駅で同じバスに乗り合わせることになる。ところが大雨でバスが事故を起こし、ジョーンは怪我をしてしまう。ヴィトスは近くに住む知り合いの建築家のポールツィギの屋敷へ行く。

 

ポールツィギの屋敷は要塞の跡地に建てられたもので、要塞を敵に渡すにあたっての取引で、ヴィトスは収容所へ行くことになりポールツィギに恨みを持っていた。そして復讐のためにこの屋敷へ来たらしい。一方ポールツィギは、美女を保存してコレクションしているマッドサイエンティストらしく、ヴィトスの妻カレンの娘カレン(同名)と結婚して暮らしていた。そしてポールツィギは悪魔崇拝者だとヴィトスは言う。もう無茶苦茶である。

 

ポールツィギがジョーンを儀式の生贄にしようとしていることを知ったヴィトスは、ジョーンとピーターを逃すべく奔走する。そして、格闘の末ポールツィギを拘束したヴィトスだが、ピーターは敵だと勘違いして銃で撃ってしまう。瀕死の中、ジョーンとピーターは脱出するが、ヴィトスはポールツィギと一緒に屋敷ごと大爆発を起こさせて自害する。汽車の中のピーター夫妻のシーンで映画は終わる。

 

黒猫のシルエットが不気味に何度か出てくるが全く関係ないし、ヴィトスが極度の黒猫嫌いというエピソードだけで黒猫が使われているというなんとも珍妙な物語。60分強の作品ですが、終盤退屈だった。

 

スターフィッシュ

未体験ゾーンの映画たちで話題になって、単館公開になったというので見に行ったが、なんとも言えない自己中心的な映像でつづるだけのような映画だった。思わせぶりなカットを次々と繋ぎ、語るべき部分で、再度はぐらかすようにシュールな映像で掻き回すだけで、何を描きたいのか見えてこない作品でした。監督はA・T・ホワイト。

 

暗闇の中で何かに語りかける主人公らしい女性の台詞から映画は始まる。小さなカットが続いた後、主人公オーブリーは親友グレイスの葬儀に参列していた。いたたまれなくなりその場を後にし、グレイスの家に忍び込んだオーブリーは、一夜開けて街に誰も人がいないことに気がつく。恐る恐る出て行くと何やら黒い化け物が襲ってきた。慌てて家に戻るが、たまたまあったトランシーバーから男の声が聞こえてきて、トランシーバーを玄関に向けろという。オーブリーがわけも分からずその通りにすると、化け物らしいものは消えてしまった。

 

トランシーバーからの男によると、グレイスは、何か発見をしていた。世の中で起こっている事故や事件、災害などには一定の法則があり、これを止める方法を見つけたというのだ。それはグレイスがオーブリーに託したミックステープだと話す。オーブリーは、グレイスからの遺言に従って、ミックステープを探しはじめる。それは全部で七本あるのだが七番目は見つかっていないのだという。

 

オーブリーは、グレイスとの思い出に場所を回りながら、カセットテープを次々と見つけて行く。最後の一本を写真の裏から見つけたオーブリーは、最後の目的地ラジオ局へ行き、そこで七本のテープ全てを繋いで流す。そこへ、トランシーバーの声が聞こえてくる。その言葉は、テープ全てを流すのは間違いで、それは全てを無くすことになるという。オーブリーが外を見ると何やら地面から空に向かって溶け出すような景色が見えていた。

 

よくわかっていないのかもしれないが、オーブリーは既に死んでいるのではないだろうか、あるいは、グレイスとの思い出を遡って体験するためのテープだったのではないか。冒頭に、これは実話であるとテロップが出るところから、親友グレイスとの思い出を回想するオーブリーの心的世界の映画なのではないかと考えてしまう。どの理解が正しいか分からないのですが、その辺りがうまく語れていなかった気がします。