くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「あなたと過ごした日に」「ぼくのエリ 200歳の少女」

「あなたと過ごした日に」

公衆衛生専門家エクトル・アバド・ゴメス博士の半生を描くのですが、なんとも物語の構成にメリハリがないのと、今何が起こっているのか全く説明しない脚本で、とにかくダラダラと長い。映画自体は誠実に丁寧に描かれているし、一見平穏で幸せな家族の姿とその背後の不穏な政治情勢が描けていないわけではないのですが、映画全体から緊張感が今ひとつ見えないために、余計に映画が長く感じた。監督はフェルナンド・トルエバ

 

1983年トリノ、映画を見ていたカップルの姿、青年エクトルが自宅に帰ると、コロンビアの実家から父アバド・ゴメス博士の講演があるから戻ってきてはどうかという連絡が入っていた。父アバド・ゴメス博士は、コロンビアのメンジスの街に向かう。ここまでモノクロ映像がカラーに変わり、時は1971年、エクトルの少年時代に戻る。

 

公衆衛生の重要性を訴える一方で、政治活動にも参加するエクトルの父アバド・ゴメス博士は、ともすると共産主義者であるとかの非難を浴びていた。大学を追われたのちパリへ移り仕事をすることになるが、エクトルは、そんな父が大好きだった。大勢の姉たちに囲まれ、エクトルの家族は一見平穏でし幸せな家庭だった。映画は、エクトルの家族の日々を中心に、周囲で起こる様々な出来事を交えて展開していく。姉のマルタが皮膚病になりアメリカで治療するも結局命を失う。クララは結婚して子供が生まれる。時は経ち、1983年となりモノクロ映像になる。

 

アバド・ゴメス博士は、とうとう大学を追われ、1987年となる。彼はメンジスの市長に立候補を決めていた。そんな頃、過激派がアバド・ゴメス博士ら急進派を暗殺するというリストが出回る。同僚の教授の葬儀に参列するために一人向かったアバド・ゴメス博士は、二人の暗殺者によって銃弾に倒れる。悲しみに打ちひしがれる家族たちの姿、父の思い出を噛み締めるエクトルの姿で映画は終わるのですが、暗殺されてからの映像も結構長いので映画が完全に間伸びしてしまいます。

 

全体には良質の作品だと思いますが、人物への思い入れが強すぎるのか、カットすべきをカットせずに淡々と進むわりには肝心の世相の描写が弱く、やたら長い映画に仕上がった感じです。

 

「ぼくのエリ 200歳の少女」

ほぼ13年ぶりの再見。テアトル梅田閉館に伴うさよなら公演の一本で見にきた。何回見ても本当に綺麗なヴァンパイア映画です。しかも、散りばめられた伏線に全く無駄がないし、北欧独特の寂寥感が映画全体を研ぎ澄まして透明感を生み出していく。Blu-ray版の上映だったのので、股間のぼかしはないのかと思っていたけど、やはり劇場上映用だからぼかされていた。でも、スタイリッシュな映像と、たまらない切なさ、そして、見終わった後に振り返ると見えて来る様々がたまらない感動を呼び起こしてくれます。本当に名作です。監督はトーマス・アルフレッドソン

 

深々と降る雪の場面から、夜、一人の少年オスカーが窓辺でナイフを手にして「お前は豚だ」などと呟いている。一台のタクシーが着いて、中から何やら人と荷物が下ろされる。窓に段ボールを貼っていく男。何かを感じてオスカーはベッドにはいる。こうして映画が始まります。

 

学校ではいつもいじめられているオスカー、なんとかやり返そうと家で鬱憤を晴らすも結局何もできない。一人の男が何やら荷物を持って夜の公園に出かける。通りかかった男を襲って木に吊るし、血を手に入れようとするが、散歩に来ていた犬にみつかり方法の丁で逃げる。家に帰った男は何者かに罵倒されている。

 

夜の公園で一人佇んでいたオスカーの背後に一人の少女が現れる。エリだと名乗る少女に一目で惹かれてしまうオスカーは、自分の持っているルービックキューブを渡す。翌朝、いつもの公園に全て色が揃ったルービックキューブが置かれていた。こうしてオスカーとエリはどんどん仲良くなっていく。エリは言う「私が女の子でなくても好きか?」と。意味がわからずオスカーはうなづく。至る所に散りばめられた台詞の伏線が、エリがヴァンパイアであることを示唆するのですが、実はさらにもう一つ意味がある。この見事な脚本が素晴らしい。

 

エリに言われて夜のトレーニングを始めるオスカー。一方、エリと同居している男は、別のターゲットを捕まえるが今度も失敗。限界を感じた彼は顔から硫酸をかぶり病院へ搬送される。病室にやってきたエリは男の首に噛みつき血を啜る。男はそのまま地面に落ちていく。男の最後の奉仕だった。

 

エリは何度かオスカーの家に行くが、招き入れられないと入れない。無理やり入ると身体中から血液が滲み出て来る。オスカーはエリのその姿を見て、シャワーを浴びさせ、母の服を与えるが、一瞬エリの股間を見てしまう。ぼかしているのでわからないが、男性を切り落とした跡がある。女の子になる事で自分を擁護してもらう庇護者を見つけやすいためなのだが映画ではここは説明していない。これもまたこの映画の優れているところです。

 

スケートの時間にオスカーはエリに言われたようにいじめっ子に反抗して、棒で殴り耳を怪我させる。そんな頃、自分を支えてくれた男が死んで自分で血を求めなければならなくなり、エリは一人の女性を襲うが、すんでのところで夫が追いかけてきたために中途半端のままエリは逃げる。翌朝、入院した女は日の光を浴びて燃えてしまう。夫は、妻を襲ったのはヴァンパイアだと確信し、エリの部屋に忍びこむ。しかしそこにはエリに呼び出されたオスカーもいた。エリは忍び込んできた夫を噛み殺す。そして、もうここにはおられないからと、タクシーで旅立っていく。それを見送るオスカー。

 

翌日、いつものトレーニングに呼び出されたオスカーは、そこでかつて耳を殴ったいじめっ子の兄貴と会う。待ち伏せされていたのだ。プールに沈められ息苦しくなったオスカーの目の前を何やら手や首が沈んでいく。本当に美しい殺戮シーンである。プールから出たオスカーの前にエリがいた。列車の中、オスカーが乗っている。傍らのトランクからエリと決めたモールス信号の音が聞こえる。こうして映画は終わります。

 

やはり、本当にいい映画ですね。何回見ても、当初見た印象は全く揺るぎませんでした。