くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「桜色の風が咲く」「宮松と山下」「ミセス・ハリス、パリへ行く」

「桜色の風が咲く」

世界で初めて盲ろう者の大学教授となった東京大学先端科学技術センター教授福島智さんと母令子さんの物語。評判がいいので見に行ったが、普通の作品だった。特に前半、大手病院の横柄な医師や、役立たずな父親の描写などあまりのありきたりで辟易としたものの、ラストシーンはまあまあよかったかなと思う。別に見に行くほどでもなかった感じです。監督は松本准平

 

一人の青年が浜辺で点字を読んでいる場面から映画が始まる。時が遡り、主人公智の幼い日、大晦日の家族の場面となる。三人兄弟の末っ子の智は両親らと初詣に行ったが、母玲子が智の目が異様に赤いことに気がつく。正月ということで、後回しになったものの、正月明けに行った眼科で、大病院に行くように勧められる。ところが行ってみたらいかにも横柄な医師が対応し、軽く済まされるが、後日、担当医が留守の時に若い先生に診てもらい、緊急で入院することになる。しかし、父はあまり関わろうとしなかった。この辺りの脚本が実に幼稚である。

 

しばらくして、担当医から、手術しないと言われ、片目は失明やむなしと診断される。さらにしばらくしてもう一方の目にも負担がかかり、とうとう両目とも失明する。盲学校へ行き、寮生活を始める。しかし高校生の頃、耳も不調になりとうとう聴覚も失ってしまう。孤独の世界に入ってしまう智を母の令子は必死で支えるが、ある時、点字タイプのうごきを指に伝えることで会話をする指点字を考案、令子と智は指点字でお互いの意思疎通を図るようになる。

 

智は、世界で初めてになる盲ろう者の大学進学を目指し、家を出る決心をする。映画は大学進学を目指し一人旅立つところで終わります。令子が一人セリフで呟く言葉がなかなか知的で美しいのでラストはそれなりに心地よく見終わることが出来るのですが、映画としては普通の作品だった感じです。

 

「宮松と山下」

自主映画的な作品で、これという卓越した仕上がりでもなく、ちょっと変わった一本かなと追う感じの小品でした。監督は佐藤雅彦、関友太郎、平瀬謙太朗三人からなる「5月」。

 

屋根瓦が画面いっぱいに広がっている場面から映画は幕を開ける。ここは時代劇の撮影スタジオらしく、浪人らが走り抜けて切られていく場面が映る。その中に一人切られ役の宮松がいた。次々と場面を変えてエキストラの演技を続ける宮松の姿が描かれ、時は12年前に戻る。

 

タクシー運転手をしていた宮松は、ロッカーで誰かと言い争いになり、頭を打って、記憶を失ったらしい。エキストラとケーブルカーのアルバイトをしながら生活する宮松の前に、タクシー運転手時代の同僚谷が訪ねてくる。そして、宮松は本名山下だと告げ、妹さんにも連絡をとったからぜひ会うべきだと話す。

 

山下は妹の藍夫婦と会って、実家に行き、しばらくクラスが、藍に頼まれて買い物とタバコを買っての帰り、過去の記憶が蘇る。タクシー会社のロッカーで、山下は妹と男女の関係ではないかと同僚に詰め寄られ、切れた山下がその男と争って頭を打ったことを思い出す。山下は藍夫婦の元を去り、京都に戻ってまたエキストラの仕事を始める場面で映画は終わる。

 

これということはない一本で、エキストラとして主人公ではない人生を演じる山下の姿というテーマで描かれているのだろうが、それほど迫力のあるメッセージは見えてこない。三人の監督の共同作業ゆえかどうかはともかく、普通の作品に見えました。

 

「ミセス・ハリス、パリへ行く」

テンポも良くて、とっても楽しい映画なんですが、ちょっとエピソードを詰め込みすぎた感じです。もうちょっと整理して、ハイテンポで綴っていけばもっと爽やかな秀作になったのですがもったいないです。でも、素敵な映画でした。監督はアンソニー・ファビアン。

 

1950年代、ロンドン、家政婦のミセスハリスは夫エディからの手紙を開くかどうか迷って橋の上でコインを投げる。このオープニングにまず惹かれます。ハリスは親友のバイと一緒にバスに乗り、さまざまな家を回って家事をしていた。この日、意を決して手紙を開いてみたら、夫エディの戦死の報告だった。

 

ハリスはたまたま赴いた家で美しいディオールのドレスが椅子の上に広げてあるのを見て引き込まれてしまう。500ポンドするというのを知ったハリスは、サッカーくじを購入するが、なんと当たって、160ポンドほどが手に入り。残りを稼ぐべく、仕事を増やそうとしたり、未払いの給料を請求したり、バスに乗るのを控えたりする。ある時、ドッグレースを見に行き、オートクチュールという犬の名前に惹かれて全額を賭けるのだが、見事負けてしまう。

 

失意の底に落ちたハリスだが、突然、先日路上で拾ったイヤリングのお礼のお金が入ったり、エディが乗っていた飛行機が落ちてから終戦までの年金がまとまって入ってきたり、ドッグレースの受付にいた友人のアーチーが全額かけずに10ポンドだけ残して最後のレースにかけたら勝ったと言ってお金を持ってきたりする。こうして目標の金額を手にしたハリスは一路パリへ向かう。この展開が実に鮮やかでいい。

 

空港で、暇をもてましている三人の男たちと親しくなり、やがてディオールの店にやってくる。たまたま、駆け込んできた一人の従業員ナターシャに紛れて今日開催のファッションショーの会場へ行ってしまう。ところが身なりを見た支配人のコルベールはなんとか追い返そうとする。ハリスを助けたのは、妻を亡くしたものの一人でショーを見にきていたシャサーニュ侯爵だった。

 

次々と披露されるドレスを見て、好みのドレスを選んだハリスだが、ハリスのことを知る婦人が横槍を入れて、ハリスが選んだドレスを横取りする。コルベールないい機会とハリスを追い返そうとするが、ディオールの従業員たちはハリスを気に入り、なんとかドレスを作りたいという。そしてハリスは次点で選んでいたドレスを作ってもらうことになる。しかし一週間近くかかるため、しばらくパリに滞在しないといけない。そんなハリスに、会計係のフォーベルが妹の部屋を貸すことにする。

 

一方、シャサーニュ侯爵は、紳士的にハリスをデートに誘う。ディオールのトップモデルのナターシャは、ハリスを乗せてフォーベルの妹の部屋に行く。そこで部屋を掃除して整理し食事を始めるが、仕事に追いまくられているナターシャは疲れていた。パリの街はゴミだらけで、当時の政治への不満が爆発していて、ディオールの店も古い慣習から抜けられずに経済的には苦しかった。この辺りの描写が弱い。

 

ハリスがいつものようにディオールの店にやってくると、突然解雇された従業員たちが出てきた。ハリスは、彼らをまとめてコルベールのところへ行き、さらに、フォーベルが考えている、体制立て直しの案をディオール本人に直談判するべく乗り込んでいく。そして、ディオールはフォーベルの案を受け入れ態勢を立て直すことになる。

 

やがてハリスのドレスは仕上がり、ナターシャに想いを寄せていたフォーベルは告白して二人は恋人同士になる。しかしシャサーニュ侯爵の屋敷にハリスが行った際、彼がハリスに、かつて可愛がってもらった掃除婦の姿を重ねていることを知って、一人飛び出してくる。

 

ロンドンに戻ったハリスの前に、女優志望で、なかなかオーディションに受からず悲しんでいるパメラがやってくる。プロデューサーの食事に誘われたが、着ていくドレスもないのだという。ハリスは自分が作ったディオールのドレスを貸してやるが、なんと、パメラはレストランでドレスを焼いてしまう。すっかり落ち込んだハリスは寝込んでしまったが、駆けつけたのはバイとアーチーだった。

 

パメラの事件は新聞に載り有名になってしまう。しばらくしてディオールから品物が届く。それは、ハリスが最初に選んだ赤いドレスで、それを横取りした婦人が代金未払いで捕まったため、ハリスのサイズに作り直したのを送ってきたのだ。さらにシャサーニュ侯爵からも真っ赤な薔薇の花束が届く。やがて軍人会のダンスパーティ、真っ赤なドレスに身を包んだハリスは、アーチーとダンスを踊る。こうして映画は終わります。

 

ちょっとエピソードや人物をてんこ盛りしすぎて、なんの話なのと後半混乱してしまう結果になった。イザベル・ユペール演じるコルベールの存在の意味があまりなくて勿体無いし、経営改革を扇動するくだりや、ナターシャとフォーベルの恋などあちこち飛びすぎです。出だしの畳み掛ける展開や。ラストの同様のテンポで締めくくるリズムは絶品なのですが、もうちょっと焦点を絞ってシンプルに走らせれば傑作になったかと思います。