くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」「フェイブルマンズ」

「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」

徹底的に低俗な映像を繰り返して描く家族愛の超大作という感じです。二時間半退屈せずに見入ってしまうほど面白いのですが、個々の映像がいかにも下品。高級品を作る気はなくやりたい放題に自らのセンスをぶちまけていくバイタリティは圧倒されるものがあります。カンフーシーンも本場香港とは雲泥の差のスローモーション処理のキレのなさ、様々な場面のチープさを開き直っての絵作りはそれはそれで評価できるし、こういう馬鹿馬鹿しいものを作ってやろうという意気込みに拍手したい映画でした。監督はダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート

 

コインランドリーを営む中国人のエヴリンが、この日も苦しい経営に四苦八苦。卓上には山のような伝票と背後には店内を映すモニターがある。娘のジョイは、女友達というかレズパートナーのベッキーを連れてきて困らせるし、親切で気の良いだけの夫のウェイモンドが、なんの役にも立たないままに絡んでくる。父親はいまだに英語を話せず、半ば痴呆気味で朝飯の催促をする。店では行儀の悪い客のあしらいをする。エヴリンは娘のジョイとベッキーの関係を素直に認められないものがあり、ジョイとの仲もどこかギクシャクしていた。

 

家族で国税局に所得の申告に行き、エレベーターに乗っていたエヴリンは、隣にいた夫ウェイモンドが突然キリッとし、彼から何やらメモを手渡される。窓口ではいかにも堅物なディアドラが応対し、重箱の隅をつつくような指摘をしてエヴリンを困らせるが、エヴリンは手元のメモを見てその通りに奇抜な行動をすると、突然、周りの景色が用具室になり、アルファバースから来たという別次元のウェイモンドが世界を救うために立ち上がって欲しいと依頼してくる。この展開シーンがセンスがないのかかなり雑な演出。

 

この世界には多次元宇宙が存在し、様々な次元で様々な生き物や世界が展開している。そこに現れたジョブと呼ばれる魔王が全宇宙をカオスに包み込んで破壊しようとしている。ジョブというのはエヴリンの娘ジョイが変身した姿で、ジョブはエヴリンらにより行われた様々な抑圧された感情が募り募って化け物の如くなり、ベーグルという空間を生み出し世界を滅ぼそうとしているのだという。

 

他世界でジョブと戦った別世界のエヴリンやウェイモンドは皆殺されてしまったのだという。わけもわからず、奇抜な行動をすればなぜか別世界に入り込み、カンフーマスターの如く自分が変身する姿を知ったエヴリンは悪の根源ジョブを倒すべく立ち上がる。というのが本筋のようなのですが、別世界に入るために、靴の左右を履き替えてみたり、お漏らしをしてみたり、尻に尖ったものを突っ込んでみたりとどれもこれもが下品極まる。そんな行動を繰り返しながら、現実世界から異次元へと行き来を繰り返して、ジョブが放つ妨害を倒していくエヴリン。

 

所々に頼りないウェイモンドが現れたり、何やら全てを統括しているかのような場所が映されたり、進化の過程で指の長い人間が出てきたり、進化できずに石のままだったり、SFなのか悪のりなのか画面に翻弄されていく。時に画面サイズも大小し、スローモーションや、突然シュールな映像も挿入されまさにやりたい放題になっていく。

 

結局、最後はエヴリンはジョイと心を通わせ、多元宇宙で次々とジョブが倒されていって、現実のジョイとも仲良くなり、エヴリンもベッキーを認める形になる。そして国税局で指定された修正書類を持っていき、丸く収まって映画は終わっていく。

 

一体何のことかというごった煮の如き作品で、仕上がりは本当に低次元を突っ走る作品になっている。そこをどう評価するのかは人それぞれ分かれるところかもしれませんが、私個人としては好き放題に映像を作った普通のレベルの映画だったかと感じました。

 

「フェイブルマンズ」

名シーンも名セリフも出てくるわけではないけれど、丁寧に綴られたフェイブルマン家の物語は不思議なほどに引き込まれてしまうものがありました。ヤヌス・カミンスキーの美しいカメラと、ジョン・ウィリアムズの優しい音楽を背景に、スティーヴン・スピルバーグの自伝的な物語をモチーフにしたストーリーは、映画作りのエピソードを交えながらのとっても好感なドラマを見せてくれた気がします。決して仰々しさも、スピルバーグの若い頃のようなキレのある演出もないけれど、全体が控えられたハイレベルな作品だった。監督はスティーヴン・スピルバーグ

 

「地上最大のショウ」を見にきた幼いサミーと両親の場面から映画は幕を開ける。大きな画面が怖いというサミーに父のバートもと母のミッツィは面白さを説いてサミーを劇場へ誘う。場面は列車が脱線する名シーン、画面に引き込まれたサミーはクリスマスプレゼントに列車を希望する。列車の模型に見入っていたサミーは、映画で見たシーンを再現しようと脱線させる。列車のおもちゃが壊れ、それを見たミッツィはバートの8ミリカメラを与え、それで撮影して何度も見直せばおもちゃは壊れないと言う。早速サミーは父のカメラで列車を撮影する。

 

サミーはカメラで日常の様々を撮り始めるが、父は単に趣味だからと割り切って接していたが、母はサミーの夢を支えてくれていた。物語はそんなフェイブルマン家を淡々と描きながら、サミーの成長を追っていく。フェイブルマン家には父の同僚で親友のベニーもよく遊びにきて家族ぐるみで付き合っていた。父バートの仕事が認められアリゾナに転居することになるが、母ミッツィの願いでベニーもアリゾナの会社に連れていくようになる。

 

サミーも成長し、ある時ベニーも交え、家族でキャンプに行く。サミーはいつものようにその様子をカメラで撮影するが、まもなくしてミッツィの母が亡くなる。気落ちするミッツィを励まそうとバートはサミーにキャンプの時の映像を編集して見せてやるように言うが、サミーは、次の作品の撮影の準備があった。それでも懇願する父の思いにサミーは撮影フィルムを編集し始めるが、そこで、ミッツィとベニーが必要以上に親しくしているのに気がついてしまう。サミーはその場面だけカットして編集し家族に見せ絶賛される。この日からサミーの母への態度が微妙になってくる。

 

ミッツィにそっけない態度をとるサミーのことが気になったミッツィは、サミーを問い詰める。サミーはキャンプの映像のカットした部分だけのフィルムを母に見せる。母は、ベニーへの思いは否定しなかったが、バートを愛しているから別れることはないとサミーに話す。そんなバートはさらに仕事が認められてカリフォルニアに移り住むことになる。しかも、今度はベニーを連れていくことは無理だった。強引にカリフォルニアに移ったフェイブルマン家だったが、ユダヤ人がほとんどいない地域で、ユダヤ人であるサミーは高校でいじめられるようになる。特にローガンという学生に目をつけられる。

 

一方、ベニーと離れてしまったミッツィは精神的に落ち込んでしまい、とうとうバートと別れることになってしまう。学校ではサミーはガールフレンドもでき、それなりの高校生活だったが、ローガンらとのトラブルは付き纏っていた。ガールフレンドを自宅に呼んだ際、彼女の父が高級カメラを持っているというので、カリフォルニアに来てから映画を撮っていなかったサミーは、学校の「おさぼりの休日」を撮影することになる。プロムの夜、サミーはガールフレンドにプロポーズするが断られる。その場でサミーの撮影したフィルムが上映されるがローガンが必要以上にヒーローに撮られていた。それに逆ギレしたローガンにサミーは責められるが、サミーを殴ろうとしたローガンの友人のチャドをローガンは殴り返す。自分なりに努力してきたことを語り涙するローガンに、いつの間にかサミーも心を通わせていた。

 

サミーは大学に進んだが、映画を仕事にすることは諦めきれず、様々な会社に手紙を送っていた。この日パニック障害で自宅に帰ってきたサミーに、父は好きなことをすれば良いと答える。たまたまCNSプロダクションからの招待の手紙がサミーに届いていた。プロダクションの事務所に行ったサミーは、さしあたり何でも仕事がしたいと言い、所長はたまたま向かいにいるある監督を紹介してくれる。サミーがその監督に部屋に入ると、何とジョン・フォードだった。おもむろに帰ってきたジョン・フォードは、壁の絵をサミーに示し、地平線の位置を訪ねる。そして、地平線が下にあったり上にあったりした時は面白いが真ん中にあるときほどつまらないものはないと話す。外に出たサミーは晴れやかな気持ちで空を見つめ歩き出す。カメラは最初地平線をど真ん中に捉えるがすぐにわざとらしく下にずらして映画は終わる。

 

スティーヴン・スピルバーグの原体験をもとに作られたストーリーなので、どことなく監督の意識が見え隠れしてしまいますが、丁寧に撮られたクオリティの高いドラマだったと思います。良い映画でした。