くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「マジック・マイク ラストダンス」「湯道」「丘の上の本屋さん」

マジック・マイク ラストダンス」

マジック・マイクシリーズ第三弾最終章、前二作は面白かったが、今回はちょっと理屈がすぎた感じで、映画全体がリズムに乗ってこなかった。それでもダンスシーンはさすがに圧巻で、特にオープニングのマイクのダンスはワクワクドキドキしてしまった。監督はスティーヴン・ソダーバーグ

 

チャリティーのパーティでバーテンをしているマイクは、仕事の後、主催者で資産家の女性マックスに呼ばれる。そして、使用人から噂を聞いたからとダンスを依頼される。久しく踊っていなかったが、マイクは持ち前のセクシーパフォーマンスを披露しマックスを魅了する。マックスはロンドンに所有している劇場でストリップステージを計画していて、マイクを演出家として雇いたいと依頼。

 

マイクはマックスと共にロンドンに飛び、トップダンサーをスカウトして稽古が始まる。マックスには富豪のロジャーという夫がいたが、離婚同様で、契約だけで婚姻生活を続けている状態だった。歴史ある劇場のオーナーとしてのマックスは既成概念を打ち破るべく人生最後のショーを進める。しかし、ロジャーたち旧態然とした人たちの妨害が入る。

 

役所からストップがかけられ、その担当者をバスの中でダンスを披露して納得させる。このバスのダンスシーンが実に面白い。さらに妨害がかかり、公演したら全財産を没収するとロジャーに脅される。一旦は娘のために諦めたマックスだが、マイクはマックスの娘のゼイディの協力で、演劇関係者その他団体を直接招待し、一夜だけのダンスステージを開催、大成功する。マックスは全てを失ったもののマイクの思いに感動し、抱きしめあって映画は終わる。

 

お話の辻褄の説明を一切すっ飛ばしていくので、何でステージ開催できるのかわからないままに映画は終わりますが、ダンスシーンは圧巻で、それだけでも見る値打ちがあります。シンプルなストーリーとダンスパフォーマンスを堪能する映画でした。

 

「湯道」

期待も何もしてなかったけど、めちゃくちゃに良かった。徹底的に様式美にこだわった画面作りとカメラワークで描くレトロな銭湯の画面が、自然と心を癒してくれる上に、散りばめられた心温まるエピソードの配分と挿入が実に上手い。しかも、癖のある俳優を使いこなした演出で映画全体がとっても素敵な物語を紡いでくれました。とっても癒される秀作でした。監督は鈴木雅之

 

マンションの一室で、建築家の史朗がシャワーを浴びているが、そこへ最近取り扱った仕事のキャンセルの連絡が入る。山積みの請求書などの中に葬儀の案内が混じっていて取り上げる。こうして映画は始まる。その案内は父のものだった。一時、一世を風靡した建築家となった史郎だが、独立してから全く仕事もなく落ち込んでいた。

 

昭和の空気がまだまだ残る山間の街の銭湯、悟朗は、温泉好きだとやってきたいずみと二人で切り盛りしていた。井戸の水を汲み、薪で火を焚く昔ながらの銭湯だが経営は厳しい。史朗は、この銭湯をマンションにする計画を持って実家に帰ってきた。シンメトリーでローアングルのカメラと、左右上下直線で移動するカメラワークで、レトロな佇まいの銭湯の外や中を映し出していく。

 

突然帰ってきた史朗に戸惑う悟朗。この日も、風呂仙人と言われるホームレスのような男がリヤカーで薪を運んでくる。いづみが手際良くのれんを出して銭湯を開けると、中でいつも歌を歌う客や、仲のいい老夫婦、近所の食堂の夫婦、日本人の娘と結婚すべく娘の父と仲良くしようとする外人などがやってくる。銭湯のそばに湯道と呼ばれる湯の道を教える道場があり、定年間近の郵便配達人が最近弟子入りした。最初は全く興味を示さなかった史朗だが、いづみに言われるままに仕事を覚え始める。

 

ある時、マンションの設計図を持ってきた史朗と喧嘩になった悟朗は、つい風呂焚き場でボヤを起こしてしまい入院する。数日悟朗が離れ、史朗は風呂仙人の指導で風呂焚きの仕事を覚えていく。やがて悟朗が退院してきたが、父の遺言の手紙を見せる。そこには、銭湯を閉めるようにと書かれてあった。史朗と悟朗は覚悟を決めるが、その翌日、いづみが姿を消す。老夫婦の妻は亡くなり、歌の好きな女性客の息子は黒人で刑務所にいたが出所してきて母と再会する。

 

かつて、湯道の師範は、紅茶屋というところで入った風呂が生涯のベストだと言っていたのを聞いていた郵便配達人は、そこにいづみがいるのではと史朗たちにアドバイス。史朗たちは山奥にある紅茶屋に向かう。ところがついてみると老婆が出迎えてくれ、丘の上に置いた五右衛門風呂がその風呂だと教える。史朗と悟朗は川から水を汲み風呂に入るが、突然、いづみが現れる。いづみはこの家の孫だった。

 

祖母の勧めもありいづみはまるきん温泉に帰ってくる。月末で閉めることを決めて最後まで通常通り営業することにする。最後の日、常連が集まる中に、温泉評論家の男もやってくる。ひたすら銭湯を罵倒する評論家の言葉に常連たちは、銭湯は誰にとっても幸せにする太陽だとこたえる。そんな頃、湯道の師範は死の床にあった。駆けつけた風呂仙人は実は師範の弟だった。

 

全ての客が帰った後、史朗、悟朗、いづみは風呂に入り、これからも銭湯を続けようと決める。湯道の師範は亡くなり、風呂仙人が跡を継ぐ。郵便配達人は退職し、改装していた家の風呂を見にいくと、家族が反対していたのに檜ぶろになっていた。こうして映画は終わる。

 

とにかく、小さなエピソードの配置が見事に全体にマッチングしていて、さりげなく挿入される歌や、コミカルな展開が絶妙のテンポで映画にリズムを生み出していく。さりげないエピソードそれぞれに手抜きがなく、どれもこれも心に響いてくる。とっても好感な秀作でした。

 

「丘の上の本屋さん」

もっとハートフルなストーリーかと思っていたのですが、メッセージを押しつけてくるクライマックスはさすがにいただけないし、映画で語るという根本的な部分を忘れた絵作りはちょっと受け入れられない。古本屋を世界の縮図のごとく使った脚本も自分としては拒否反応を覚えてしまった。いい映画と言いたいところですが嫌いな作りの作品でした。監督はクラウディオ・ロッシ・マッシミ。

 

静かな曲を背景に、一人の初老の男リベロが坂道を降りていく姿を背後から捉えて映画は始まる。彼が辿り着いたのは小さな古書店で、鍵を探していると近くのカフェの青年ニコラがやってくる。こじんまりした書店の中には、発禁本のコーナーがあったりする。時々やって来るキアラという女性にニコラは気があるらしい。開店と共にボジョンという男が、ゴミ箱で拾ったという本と日記を届けに来る。リベロはその本を買い取ってやり、日記らしきものを読み始める。

 

ある時、一人の黒人少年エシエンがやって来る。本が好きだが買う金はないのだという。リベロはエシエンに、一冊の漫画本を貸してやる。エシエンはそれから毎日のように本を返しにきては次の本を借りて帰る。リベロは、最初は漫画を次にイソップ物語星の王子さま、白鯨、などなどを貸す。エシエンは借りた本を返しに来るたびにリベロに感想を話す。リベロは、医者になりたいエシエンにシュバイツァー博士の本を貸す。

 

リベロはある日、街の病院へ検査結果を聞きにいく。おそらく余命わずかという内容だったのだろう。リベロの本屋には、ユダヤ人を嫌うような発言をしヒトラーの本を求めに来る人や、初版本の収集家、自身の本を出している先生、性的倒錯者のような女性、発禁本を求める男性などがやって来る。リベロが読む日記には1957年1月から一人の女性がアメリカに渡るまでの様子が語られている。おそらくリベロの恋人か何かの日記だろう。

 

ある時、エシエンはリベロから一冊の本を貰う。貸すのではなく与えるという。リベロは店を閉め、夜道を帰るが、日記をどこかに捨てた

様子である。やはり日記は彼の恋人のものだったのか。しばらくしてエシエンが本屋にやってくると喪中の張り紙。ニコラが、リベロが亡くなったことを告げ、エシエンへの手紙を渡す。そこには、店の本は好きなだけ持って帰ってもいいということが書かれていた。もらった本は「世界人権宣言」だった。こうして映画は終わる。

 

冒頭のユニセフの標語に始まり、世界人権宣言で終わる押し付けがましいメッセージ映画だった。所々に美しい風景を俯瞰で挿入しているのは、世界はこれほど平和なはずなのに、いたるところで人種差別や貧富の差が生まれているということを言いたいのだろう。書店はいわば世界の縮図ということで、そのあざとさが鼻につく。こういう作りの映画は嫌いです。