くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ロストケア」「トットチャンネル」

「ロストケア」

素直に良かったと感想を書く作品ではないと思うし、終始、自分に問いかける相当に重苦しい映画だった。確かに、殺人も人種差別も、児童虐待も、そんな社会のそれぞれは悪であり罪であるかもしれないが、その裏側を本気で推し量って意見している人はどれくらいいるだろうか。そう考えるとまた逆に奇妙な偏見と平等感を抱いてしまう。そもそも、殺人は罪であるという主旨がぐっと描けていないのと、では主人公の行動が正しいのかというのを掘り下げているわけではない。その曖昧さに最後まで囚われてしまう作品でした。監督は前田哲。

 

孤独死の現場から映画は幕を開ける。そこに立ち会っている1人の検事大友の姿、場面が変わると、ケアセンターの職員が今日も介護のために一軒の家にやってくる。テキパキとこなす帰り、1人の老婦人が歩いているのを見て、介護士の斯波は、その老人に寄り添いに行く。新入りの足立は、そんな斯波の姿に感銘を受け、目標にしていくのだが、この足立の描写が実に弱い。彼女にもっと芸達者を入れて膨らませたら映画のメッセージがしっかりした気がします。

 

そんなある日、梅田という老人が亡くなり、そばにケアセンターの所長団も死んでいたことから事件が動き始める。介護している家に窃盗に入ることを繰り返していた団の存在が表に出て、老人殺害も団のせいではないかと検察側はまとめようとしていくが、担当検事大友は、助手の椎名の分析結果から驚くべきことを発見する。このケアセンターの老人の死の比率が群を抜いていた。しかも、介護者が亡くなっている日は、斯波が休みの日に集中していることがわかる。早速斯波を取り調べるが、斯波は大友の前で、自分の犯したのは殺人ではなく救いだったと断言する。

 

映画はここから、斯波の父の介護の悲惨な現場の描写から、殺すに至る経緯を描き、一方で老人ホームに入れた母を見舞う大友の姿を対比させながら、老人介護の現実を浮き彫りにしていこうとする。四十二人殺した斯波は、なんの反論もなく死刑を受け入れ、そんな斯波の姿に、大友は、幼い頃に出て行った父が孤独死したことで、自分も殺人者だと獄中の斯波に話す。冒頭の孤独死したのは大友の父だった。こうして映画は終わっていく。

 

斯波の行動にはっきり殺人であると糾弾できるのかどうかという曖昧さのまま映画は終わるのですが、当然結論は出ないものだろうと思う。映画の出来栄えで感想を書けば、大友の心の葛藤が今一つ弱かった気もします。それでも、なかなかの仕上がりの一本だった。

 

トットチャンネル」

黒柳徹子の自伝を元に、テレビ黎明期の舞台裏話をコミカルなエピソードを繋いで描いていくテンポの良い青春群像劇、初公開以来の再見でしたが、楽しかった。監督は大森一樹

 

戦後間も無く、NHKが募集する専属俳優のオーディションに主人公徹子が応募するところから映画は幕を開ける。一次、二次と合格していく様をコミカルに描きながら、徹子の周りの同期性を交えての爽やかな物語が展開。テレビ放送黎明期のさまざまなエピソードを楽しみ、役者にならずにスチュワーデスになったり、映画の世界へ進んだりと別れを繰り返しながら、やがてドラマのオーディションに合格、大先輩から暖かく励まされる。

 

一方、結婚することになった同期の涼子の披露宴で司会を務めた徹子は、古臭いスピーチをする老人をやり返し、司会をクビになって夜の公園を歩いていると街頭テレビに歓声をあげている人たちに出くわし、自分の進む道は正しかったと納得して歩いて行って映画は終わる。

 

決して傑作ではないけれど、映画を作っている大森一樹監督らの楽しそうな笑いが見えてくるような作品で、さりげない遊びのシーンの数々に笑いながら、劇場を後にできる至福の時間を噛み締める。その意味で、よかったなあと言える一本でした。