くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「MEMORYメモリー」「アルマゲドン・タイム ある日々の肖像」

「MEMORY メモリー

単純なアクション映画でしたが、ちゃんと物語を作っている感じで素直に面白かった。監督はマーティン・キャンベル

 

メキシコ、ある病院に、いかにもチンピラ風の男が花束を持って見舞いに来る。母親らしき患者の部屋に入ると傍に看護師がいる。次の瞬間、看護師が背後からその男の首を絞め殺してしまう。そして地下にある車に行くが、キーが見当たらない。ポケットを探りなんとか見つけて逃亡する。こうして映画は始まる。

 

その仕事ぶりで絶大な信頼のあるアレックスこそ、その看護師だった。しかし、彼はアルツハイマーを患っていて、今回で仕事を辞めると元請人マウレシオに告げにいくが、マウレシオは次の仕事をアレックスに依頼する。ターゲットが二人いて、まず一人を殺害し、次の資料を見たら少女だった。子供は殺さないという信念があるアレックスはマウレシオに、契約破棄を告げるが、直後、保護されていた少女ベアトリスが何者かに殺される。アレックスはマウレシオが実行したこと、さらに自分も殺そうとしていることを突き止め、

マウレシオを殺す。

 

事件はFBIのヴィンセント、リンダ、メキシコから来たマルケス、らが追っていたが地元警察も捜査を進めてくる。アレックスはどうやら事件の背後に未成年者の買春組織が存在することを突き止め、当初に依頼人は不動産王のダヴァナであることを知る。彼女の息子ランディもまた不動産王で、少女買春の組織を牛耳っているのを知る。ランディが狙われていると判断したヴィンセントらは、ランディが開催している船上パーティの現場を張り込むが、アレックスはまんまとランディを殺してしまう。

 

なかなか動きが遅い警察組織に業をにやしたアレックスはヴィンセントに直接連絡し、ダヴァナを起訴するように仕向ける。しかし、ヴィンセントらとの銃撃戦で重傷を負っていたアレックスは、身を隠しながら次の作戦を練る。次のターゲットはダヴァナだと判断した警察はダヴァナの自宅を警護するがアレックスは難なく侵入してダヴァナに銃口を向ける。ところが引き金を引いても銃が発砲されない。分解して組み立て直した際に部品を装着し忘れていた。地元警察に逮捕され拷問される。

 

ヴィンセントはアレックスの引渡しを要求し、見受けして病院へ入れるがダヴァナから、ドクターに扮した刺客が送り込まれる。すんでのところでそのドクターを人質にしてビルの外に出たアレックスだが、警官隊に取り囲まれていた。駆けつけたヴィンセントの車に飛び乗ったものの、ダヴァナを起訴する証拠のあるフラッシュメモリーの隠し場所を忘れていた。ところが最後の最後四文字をヴィンセントに告げて警官隊に撃たれる。

 

事件が終わった中、ヴィンセントらは転任先への準備をしていた。たまたま壁に貼られている写真を見て、アレックスの最後の言葉の意味を知る。それはフラッシュメモリーの隠し場所だった。ヴィンセントはそこでダヴァナの脅迫電話の声が入ったメモリーを手にし、上司に起訴するようにいうが、アレックスが死んでいるのでできないと断られる。結局ダヴァナの力に屈していたのだ。

 

ヴィンセントはどうしようもなくホテルに戻るが、そこに相棒のリンダが飲みに行こうとやってくる。仕方なくバーに行った二人はダヴァナが何者かに殺されたというニュースを知る。リンダはヴィンセントのアリバイを作るために誘ったのだ。ダヴァナを殺したのは、メキシコからやってきたマルケスだった。こうして映画は終わる。

 

普通のアクション映画だといえばそれまでですが、アレックスが誤って見回りの警官を殺してしまったり、一夜を過ごした女性が犠牲になったりと、ちょっと常道から外れたエピソードが気にならないとは言いませんが、退屈しないシンプルな娯楽映画でした。

 

アルマゲドン・タイム ある日々の肖像」

相当な傑作で、オープニングのタイトルが空に写り、カメラが公立学校の教室に移ってからが、どこか違うと感じてしまう。一見、一昔前のホームドラマのようにお話が始まるが、どこかに棘がチラチラと見える。1980年という舞台設定も見事だが、物語が進むにつれて、平凡な親子の確執とか、心の問題ではなく、ユダヤ人であること、黒人であることに対する突き刺さるような視線が見え始め、どんどん先の展開に引き込まれていく。そして終盤、ありきたりな展開をはぐらかすようなミスリードの後、再度観客にメッセージをぶつけてくるエンディングに圧倒されてしまいました。見事な作品でした。監督はジェームズ・グレイ

 

左上の空にタイトル、カメラは1980年の公立学校の教室、この日は六年生の授業の初日、先生が話している場面となる。一人、先生の顔をノートに書いている。この少年が主人公ポールである。当然先生に非難される。そんな彼に、近づいたのが黒人の少年ジョニー、彼もまた黒人であることで周囲から見下げられている視線に違和感を持っていた。

 

ポールが家に戻ると、父アーヴィング、母エスター、兄テッドらと食事の場面になる。一見普通の家庭なのだが、どこか刺々しいものが見え隠れする。アーヴィングの家族はユダヤ人だった。ユダヤ人であることで、様々な出来事が過去にあったらしい。配管工という仕事さえも、妻エスターの家族からは見下げられていたらしい。そんな家庭で、ポールが唯一心を開けるのは祖父のアーロンだった。と言っても、いかにも物分かりがいい老人という設定ではなく、これまで生きてきた中で舐めてきた辛酸な出来事を心に秘めた人物である。

 

ポールは芸術家になることが夢だった。学校でグッケンハイム美術館へ社会見学に行く予定があるが、ジョニーの家は貧しいので行けないとポールに語る。そんなジョニーに、ポールは、自分の母はPTAの会長で教育委員会にも立候補する予定だし、ー家も裕福だから心配しなくていいと答える。と言ってもポールの家は中流家庭なのだ。兄のテッドは優秀で、私学に通っていた。

 

グッケンハイム美術館へ行った際、ポールはジョニーとクラスを抜けて二人で街へ遊びにいく。ある時、学校で先生に叱られ、ポールとジョニーは揃って立たされるが、トイレで、ジョニーはいとこにもらったというタバコをポールに進める。しかしそれはドラッグだった。吸っている現場を見つかった二人は校長室に呼び出される。ポールはエスターと共に校長先生の前に座るが、校長先生の物言いに、エスターもカチンときてしまう。そしてポールはテッドの通う私学に転校することになる。

 

ポールが通うようになった私学は、通っていた公立学校と違い制服があり、規律も厳しかった。さらに黒人など一人もいなくて。クラスメートをはじめ周囲の人たちは自分たちは選ばれた人々だという自負を持っていた。ジョニーが校庭の外に遊びにきてもポールは以前のようの接することを躊躇うようになっていた。

 

ある時、ジョニーがポールの家にやってくる。ジョニーが施設に移されそうになっていて、連れていかれるのは嫌なので、ポールが昔アーヴィングに建ててもらった庭にある小屋にしばらく住みたいと言ってきたのだ。戸惑うものの了解したポール。まもなくしてアーロンが他界する。心を許せる存在がなくなって、居心地も悪くなるポールに、ジョニーはフロリダにいる従姉妹の所に行きたいと言い出す。しかしお金などあるはずもない。ポールは学校にあるパソコンを盗みそれを売ってお金を作ろうと提案、深夜学校に忍び込みパソコンを盗み出す。

 

ジョニーの知り合いが買い取ってくれるからと、ジョニーがその店に一人持ち込むのだが、まもなくしてパトカーが駆けつけジョニーは逮捕される。そして近くにいたポールも逮捕されてしまう。ポールは自分が計画して二人で盗んだと自供するが、ジョニーは自分一人でしたことだと告白する。黒人である自分への視線を鋭く感じ取ったためだ。

 

警察署へ迎えにきたアーヴィングは、担当の警官が知り合いだと気がつく。かつて配管工事を無料でしてやった縁があるのだという。ポールはアーヴィングと一緒に解放されるがジョニーはそのまま少年鑑別所送りになるようだった。自宅に戻ったポールとアーヴィング。車の中でアーヴィングはポールに、世の中は不公平の上に成り立っていること、その不公平の中で自分の生き方を見極めるようにというようなことを話す。この場面が実に見事なシーンです。テレビニュースでは大統領になるであろうレーガンの姿が映されていた。

 

ポールの学校では感謝祭のパーティが開かれようとしていて、学生たちは講堂に集まっていた。高額寄付をしているらしいPTAの一人の男が、ここにいる学生は、いずれ社会を担う存在になっていく等の話を始める。この学校のものは選ばれた人たちだと言わんばかりのスピーチに、ポールはその場を離れ、外に出る。カメラは、誰もいない道、廊下、ポールの家の部屋を映しゆっくりと引いていって映画は終わっていく。このラストのカメラが抜群に素晴らしい。

 

ポールと両親は一見心が通っていない描写だが、当時よくある普通の家庭である。そのさりげないリアリティが映画をさらに分厚いものにしている。ジョニーやポールが私学で出会うクラスメート、さらにはポールの家族の人たちなど、脇役の描写が素晴らしくて、あまりにさりげなく淡々と展開する中に散りばめられる刺々しい何者かを感じていく演出と脚本に引き込まれてしまいます。素晴らしい仕上がりの作品でした。