くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「御用金」「ポルノ時代劇忘八武士道」「ひとごろし」

「御用金」

恐ろしいほどの傑作だった。微に入り細に入った計算され尽くされた緻密な脚本、ここまで書き込まれれば凡人でもそれなりに面白いものができるだろうという出来栄えに圧倒される。しかも仲代達矢中村錦之助丹波哲郎浅丘ルリ子司葉子などなど役者陣全てが生き生きとして個性を発揮し、存在感が半端ではないし、入れ替わり立ち替わり展開するストーリーにグイグイ引き込まれる。しかも、絵が美しいしスペクタクルなので娯楽性も一級品である。面白いと一言で言い切れない見事な娯楽時代劇でした。監督は五社英雄

 

佐渡金山の金がいかにして幕府に輸送されるかの説明から映画は幕を開ける。黄金に彩られた越前の海を背景にタイトルが流れ、色彩が普通のカラーになると一人の女おりはが、五年の年季奉公を終えて故郷の黒崎村へ戻ってくる。彼方に仰々しいほどに花嫁行列を認め、うっとりと眺める。なんとか村に帰ったおりはだが、やたら黒いカラスが舞い、人がいない。許嫁も父も母もいない。この出来事はのちに神隠しとされて謎の事件として葬られてしまう。そして三年が経つ。

 

江戸、見世物小屋で居合いの見せ物をする男の口上、通りかかった浪人者が腕試しにその居合の腕前を見せろという。そこへ現れた一人の浪人が見事な腕前を見せて姿を消す。夜、さっきの浪人どもは一軒の小屋にやってくるが出迎えたのは調子のいい左門という男だった。一方、見せ物屋の男に刀を売るように依頼をしている居合いの名人の武士。しかし不穏な空気を感じて、その浪人は出ていくと、いきなり武士に囲まれる。浪人の名は脇坂孫兵衛といった。かつて鯖江藩の武士だったが、三年前、神隠し事件に関わって、藩を出た男である。襲ってきた武士の一人に、もう一度神隠しをしようとしているというのを聞く。

 

三年前の神隠しとは、佐渡金山の御用金を積んだ船を越前沖で沈没させ、黒崎村の漁民に金塊を運ばせた末、漁民たちを皆殺しにした事件だった。鯖江藩は、享保以来の不況で極度に疲弊していて、時の家老六郷帯刀は、幕府御用金を略奪することで急場を凌いだのである。帯刀の妹しのの夫孫兵衛もその所業に関わったのだが、帯刀のことを許せず、といって藩の窮状も理解している中、二度とこういうことはしないことを帯刀に約束させて藩を出ていった。あの悲劇を繰り返すというのを聞き、孫兵衛は、再び帯刀と対峙するべく鯖江藩へ向かう。途中の寂れた宿場町で鯖江藩は孫兵衛を迎え撃とうとしていた。

 

その頃、賭場でおりはは壺振りをしていた。しかし、いかさまが見つかって、ヤクザ者に追いかけられている。そこへ、藩への帰り道の孫兵衛が通りかかり、おりはを助ける。三年前、おりはは、許嫁と結婚するために必死で貯めた金で花嫁衣装を作りいさんで戻ってきた所で、神隠しの事件に遭遇したことを孫兵衛は知る。

 

一方、帯刀は孫兵衛を殺したくないためにしのに金を持たせて、孫兵衛と藩を出ていくように仕向けたが、孫兵衛は受け入れなかった。一方左門は鯖江藩に呼ばれていた。直接手を下したくなかった帯刀は左門を雇って孫兵衛を殺そうと考えたのである。しかし、左門はそんな企てを孫兵衛に知らせに行く。実は左門は幕府の隠密だった。

 

宿場町で孫兵衛は鯖江藩の浪士に襲われるが、間一髪、おりはの機転でヤクザ者同士の喧嘩を仕掛け、その騒ぎの中孫兵衛は脱出する。そして左門と共に鯖江藩の元へ向かう。やがて御用金が出帆したという知らせが入る。帯刀らは、御用船の目印になる狼煙の位置を変えることで入江の鮫が淵村へ誘い込み難破させる計画を進める。それを阻止しようと孫兵衛は左門らと共に鮫が淵村へ向かうが途中で帯刀の右腕左内ら刺客に捕らえられる。あわや帯刀らの計画はうまく行くかに思えたが、木に吊るされていた孫兵衛はなんとか脱出、偽の狼煙台に捉えられていた左門を助け出し、駆けつけたおりはらと共に帯刀の計画を阻止していく。

 

策略が失敗した帯刀は孫兵衛と一対一の最後の決闘に向かう。そして、孫兵衛は帯刀を倒すも、鯖江藩の財政はどうしようもなくなってしまう。弱小藩の首を絞めながら肥え太る幕府に嫌気がさした左門も孫兵衛と行動を共にして去って映画は終わっていく。

 

とにかく、緻密すぎるストーリー展開にどんどん引き込まれていく作品で、絵作りの美しさも絶品、クライマックス、左門が積み上げた材木を崩して偽の狼煙を壊すスペクタクルシーンも凄いし、まさに全盛期の時代劇という風格のある一本でした。海外でリメイクされたのも納得の作品でした。

 

「ポルノ時代劇 忘八武士道」

なんというのか、エログロナンセンスの塊のようなバイタリティ溢れる作品で、所狭しと女性の裸体が画面を覆い尽くす上に、首は飛ぶし、腕は舞うし、なんでもありのようなお話も爽快でシンプル。なんとも言えない映画だった。監督は石井輝男

 

橋の上で大立ち回りをする主人公明日死能。腕を叩き切り、首を飛ばすが、斬り飽きたと川に飛び込む。目を覚ますと裸の女二人が介抱してくれていて、傍に忘八の白首という男がいる。そして、忘八衆に入るようにという提案で、何やら長屋の武家の女を拉致してきて、犯すのに立ち会わされた死能は、試験に合格したと吉原の元締め大門の手配下に入り忘八衆として、吉原の廓の仕事を乱す輩を殺して回る役目を仰せつかる。

 

持ち前の剣の腕で傍若無人に人殺しをする死能だが、幕府の老中と繋がりのある大門はお咎めにならない。しかし、町奉行を殺してしまった死能の仕業に、老中もなんらかの示しを見せなければならなくなる。黒鍬組という忍者のような暗殺者を死能に送ってくるが、女忘八衆が守る。

 

しかし、大門に痛い目に合わされたヤクザ者たちも大門に反感を持ち始める。そこで老中は大門らを呼んで、それぞれの言い分を聞き分けて、仲裁案を提案する。それは大門に死能を殺させるというものだった。

 

大門は死能に阿片を吸わせ、女に狂わせ、体を壊させて地下牢へ放り込む手筈だったが、逆に死能に阿片を吸わされ大門が地下牢に放り込まれる。阿片でふらふらのまま吉原の外に出た死能は町方に囲まれ大立ち回りをする。そして、次々と町方を倒し、力尽きていきなり映画は終わる。

 

終始バイタリティだけで延々と続く作品で、裸が所狭しと画面を覆っている。ある時は意味もあり、ある時は意味もなくエロシーンが展開。その合間に首が飛んだり腕が飛んだり、耳たぶがちぎれたりとグロシーンも繰り返され、ラストは何やら虚しいような締めくくりを迎えるという、まさに石井輝男やりたい放題映画という感じの一本だった。

 

「ひとごろし」

時代劇終盤の軽いタッチのコメディ時代劇という出立ちの作品で、いかにもな時代劇とは少し色合いの違う、まさにおふざけ時代劇で、もう少し脚本にひねりがあれば面白かったが、短いながらも終盤ワンパターンで退屈になってしまった。ラストも平凡で、キレもない映画でした。監督は大州斎。

 

越前藩きっての臆病者六兵衛は、この日も饅頭を買ったり、犬に尻込みしたりしている。この藩では仁藤という武芸師範を藩主が雇ったが、藩主たちは相手にならないほど強いために痛めつけられ反感を持っていた。そこで藩士たちは闇討ちで仁藤を殺そうと画策する。しかし、当然ながらみな返り討ちになってしまう。仁藤はその後、故郷へ戻り腹を切るつもりで藩を後にして旅に出る。

 

一方藩では、仁藤を上意討ちにするように藩命が降るが誰も申し出ない。そこで、臆病者六兵衛が、妹からいつも嫌味を言われていることを挽回するために突如追って役を申し出る。そして仁藤の後を追うが、当然まともに戦えるわけもない。オドオドしているうちに、周辺の人間も仁藤のようなツワモノはいなくてほとんどが自分同様の臆病者だと知り、仁藤をひとごろし呼ばわりして孤立させる作戦に出る。

 

最初は相手にしていなかったが、行く先々で怖がられ始めた仁藤は、次第に孤立して弱っていく。ある時、一軒の旅籠の女将が仁藤の窮状を察して旅籠に泊めてやるが、翌朝から六兵衛を手伝ってひとごろし呼ばわりを始める。なんとも言えない展開である。

 

とうとう根負けした仁藤は六兵衛に、ここで腹を切るから首を持って帰れという。しかし六兵衛は、今更つまらないことをしても仕方ないから髷だけを持ち帰ると提案、仁藤は髷を落とし映画は終わる。

 

面白い作品なのですが、もう一工夫あれば良かったかなと思える映画でした。