くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「書かれた顔」(4Kレストア版)「どん底」(4Kレストア版ジャン・ルノワール監督)「J005311」

「書かれた顔」

1995年に製作された傑作ドキュメンターリーで、ドキュメンタリーとしてに現実と虚構の映像が交錯し、どこまでがフィクションかという境目をなくすことで独特の妖艶さが画面に生まれた気がします。色使いの美しさも相まって、女を演じるということの本質を極めていく中、映画の中に陶酔感を感じてしまう素晴らしい作品でした。監督はダニエル・シュミット

 

舞台上で、鷺娘でしょうか、演目を演じる坂東玉三郎の姿から映画は幕を開け、夜の芝居小屋にやって来る坂東玉三郎が舞台の軒下を巡る中で、舞台上では同じく坂東玉三郎が演じている。化粧する坂東玉三郎を延々と写し、交錯する映像から、坂東玉三郎へのインタビューシーン、男目線で女を見つめ、女を演じるという感覚を話す姿から、杉村春子やそのほか様々な演者のインタビューが続く。

 

終盤、坂東玉三郎が演じる架空の芸者の黄昏の物語がフィクションとして展開し、その後、楽屋裏で鏡に映る玉三郎の姿から、舞台シーンへ移り、いくつかの演目ののち冒頭の鷺娘の場面になり映画は終わる。

 

女を演じるために、女を観察する。女だから女を演じるのではなく、女であっても、それを一旦脇に避けた上で女を見つめ女を演じるという芸事の奥義のような台詞もありますが、決して卓越した人物の至高のドキュメンタリーではなくて、一つの映像の中で、一人の人物をドキュメンタリーとして捉えていく作品というイメージの一本でした。素晴らしかった。

 

どん底」(ジャン・ルノワール監督版)

これは傑作ですね。カメラで描く群像劇としては、ここまで昇華されると、もはや見てくださいとしか言いようがありません。描かれる場面場面がユーモア溢れて心地よいし、シンプルな中に漂う人間味あふれる味わいが心を暖かくしてくれます。監督はジャン・ルノワール

 

男爵が大金を使い込んだとして役所の上司だろうか、詰められている場面から映画が始まる。上司の視線で男爵を捉えて、カメラが動くと鏡に上司が写っていて、男爵が座り込んでカット。泥棒を生業にするペペールが、宿屋をしているコストレフの妻ワシリッサのところへやって来る。ワシリッサはこっそりベッドを抜けてペペールの所へくる。外でアコーディオンを弾く男が酔っ払っている様子を聞いたペペールらはコストレフが目を覚まさないように階段下に隠れるが、ワシリッサの妹ナターシャが起きてきてアコーデオンの男を家に入れ、ペペールに気がつく。それでコストレフも起きて来る。ワシリッサを罵倒するコストレフ。コストレフは地下に安宿を経営していて、そこには貧しい雑多な人々が住まいしていた。酔っ払いで自分は病だと信じる作家の男、体が弱くて寝込んでいる女、嘘ばかりつく老人、アコーディオンを弾きながら歌い踊る男などが住んでいたが、みな強欲なコストレフを恨んでいた。

 

ペペールは今夜忍び込む盗みの仕事をするつもりだった。ワシリッサは、ペペールが金を貯めたら二人で逃げるつもりだが、実はペペールは妹ナターシャに惹かれていたが、気持ちをうまく伝えられない上に、ナターシャは泥棒を仕事にしているペペールが嫌いだと言う。

 

その頃男爵は例によって賭博場にやってきて大金を失ってしまい、屋敷のものは全て差し押さえられ、翌日押収される流れになっていた。そんな夜、ペペールは男爵の屋敷に盗みに入ってしまう。ペペールが盗みに入っている所に男爵が帰って来る。ペペールは男爵を脅すが、男爵は好きなものを持っていけばいいと言い、お互い気が合って、二人で賭けをしながら飲み明かす。ペペールは男爵に賭けで勝つが男爵が天国に行くというのを勝ち取ったのだという。翌朝、男爵は別れ際馬の置物と煙草入れをペペールにくれてやる。

 

品物を押収されていくのを眺めていた男爵の元に、ペペールが警察に捕まったと連絡が入る。男爵がペペールに与えた品物を盗品と思われ、ペペールは警察に捕まったのさ。しかし駆けつけた男爵の口利きで釈放される。無一文になった男爵はペペールに相談し、コストレフの宿屋に住まいするようになる。

 

ある日、盗品の故買をしているのを怪しんだ一人の太った役人がコストレフのところにやって来る。ところがやってき役人はナターシャに思いを寄せてしまう。ペペールが自分から離れていきナターシャに気があるという雰囲気を察知したワシリッサはナターシャと役人を結びつけてやろうと考える。ナターシャは姉の命令で役人と一緒のレストランに行くことになる。それを聞いたペペールはすっかり酔っ払っているナターシャのところに駆けつけ、役人を殴ってナターシャを連れ出す。そして、自分の思いを告白するが、ナターシャは真っ当な人間でないと嫌だと言い返す。

 

ナターシャがワシリッサやコストレフの言うことを聞かず、役人のところに謝りに行かないのでコシトレフは詰問し殴る。それを知った男爵は、ペペールに助けを求めにいく。ペペールがけつけ、コストレフを引き摺り出すが、かねてから恨みにあった宿の連中と揉み合いの末、コストレフは死んでしまう。ワシリッサが、ペペールの仕業だと言うが、宿の人々は皆自分がやったと庇う。しかし、ペペールが首謀とされ逮捕される。

 

ワシリッサは、嫌な亭主が死に財産も手に入ったので、どん底を出ていく。ナターシャはペペールが出獄するのを待つと言って残る。ある夜、男爵が帰って来ると、出獄してきたペペールとナターシャがこれから出ていくところだった。ペペールは男爵との別れの記念に、以前もらったブロンズの馬の置物を二つに分けて与える。役者の歌声とセリフが聞こえてきて、男爵がその方へ歩いていくと、役者が首を吊ったのを発見する。男爵はコストレフが死んで歌い踊っているどん底へ行き、今夜は歌はやめようという。ペペールとナターシャは道端でパンを食べ、警官が通っても陽気に挨拶をし、二人で意気揚々と歩き出して画面がズーンと小さくなりFINの文字が出て映画は終わる。

 

各所で見せるリズム感のある緩急の効いたカメラワーク、さりげなく繰り返されるエピソードが次第に主人公の人生の行く末を語っていく様が実に上手い。群像劇なので、役者崩れの男の自殺や、アコーディオンを引きながら陽気に現れる大道芸人などがスパイスになって映画に厚みを持たせていく。映像全体が映画になっているという感じで、名作とはこういうものだなあと感じさせる名品でした。

 

「J005311」

ぴあフィルムフェスティバルで満場一致でグランプリに輝いたロードムービー。延々と手持ちカメラで主人公をとらえていく映像がほとんどで、しかもセリフもほとんど聞こえないくらい環境音を省略していないドキュメンタリータッチの絵作りで90分ほどをひたすら描いていく。ストーリーは?この主人公の意図は?と考えさせられるだけの映画で、ラストシーンで全てを観客が推測して終わる。面白いといえば面白いが、商業映画として成り立ってるのかというと疑問な一本。監督は河野宏紀。

 

洗面所でひたすら歯を磨いている主人公神崎の後ろ姿から映画は幕を開ける。どうやら簡易ホテルの一室のような空間。突然電話がかかってきて、今から向かいますという返事の後、神崎は通りでタクシーを待っている。一台のタクシーに何やら説明するがそのまま走り去ったので、仕方なく歩道に戻ると向かいの通りを駆け抜ける一人の若者を見つける。どうやらひったくりをしたらしく、神崎はその青年を追いかけ、百万円払うので自分をあるところへ連れて行って欲しいという。

 

最初は相手にせず威嚇するだけの青年だったが、百万円が気になり現物を見せろと言う。神崎は銀行で出金すると言うが、出金してきたところ、青年が鞄をひったくろうとする。神崎が抵抗し、カバンを取り戻し青年も仕方なく神崎のいうことを聞くことにし、レンタカーで走り出す。

 

青年の名は山本というらしく、映画はひたすら室内の二人の会話を捉えていく。あるドライブインで山本が車を出た後、神崎がベルトで首を絞めようとしたりする。あるところで、神崎が降りてスピード写真を撮ろうとするが、結局撮らず、そこに携帯を残して車のところに戻ると、車がない。神崎は近くの神社に行き戻って来ると車があったので乗り込む。少し走って、食事をしようと神崎が提案、ドライブインに入り食事をし、外でタバコを吸っている山本に神崎はタバコを貰う。初めて吸ってむせながら、山本が捨てた吸い殻を拾ってポケットに入れる。

 

後20分くらいだと神崎は山本に言うが、突然、ここからは歩ける距離だからと金を渡して山本と別れる。神崎は一人富岳風穴の雪の残り森の中に入って行く。山本が車で近づくが無視。森の奥まで行ったところで、山本が突然神崎に飛びかかり押さえ込む。そのまま、山本はその場を去る。

 

神崎は元の駐車場に戻ってきたら山本が車の脇にいた。神崎は車に乗り、山本も車に乗る。パトカーが近づいてきて、フレームアウトして、しばらくの間の後暗転エンディング。神崎は何かの犯罪を犯し、自殺するつもりだったのか?冒頭の電話は自首を促すものなのか?ラストのパトカーは神崎を追ってきたものか?自主して再スタートする決意をした神崎の前進を表現するラストか?いかにもチンピラ的な生活をしている山本の存在が一気に光る。

 

終始、観客に問いかけ続ける作品で、決して劇的に面白いとは言い難い映画ですが、いつのまにか何かある隠されたものを感じ取っている自分に気がつく。ちょっと面白い映画だったが、フィルムフェスティバル満場一致というのはどうかとは思う。