くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「雄獅少年/ライオン少年」「波紋」

「雄獅少年/ライオン少年」

躍動感あふれる物語なのに、カメラ視点が良くないので、アニメにする必要性を感じない絵作りで終わったのがものすごく勿体無い。それに、エピソードの配分が悪く、後半の主人公の出稼ぎシーンがやたら入っていて、お国柄でしょうが、この場面をもう少し手際良くクライマックスに繋げばもっと面白いワクワクするアニメ映画になっていた気がします。もちろん、3Dアニメの稚拙さは日本同様、ソフトや技術力の差かもしれませんが、面白い映画のはずなので、勿体無い題材でした。監督はソン・ハイペン

 

墨絵のような獅子が舞い踊る迫力あるタイトル画面が終わると、広東の田舎の村、主人公チュンは招福駆邪を呼ぶ獅子舞を見物している。時は春節祭で村は盛り上がっているがチュンの両親は広州市へ出稼ぎに行ってここ数年帰っていなかった。村では獅子舞の名手にいじめられて、この日もせっかくもらったお年玉を奪われてしまう。

 

ところがそこに一匹の赤い獅子頭をつけた獅子が飛び込んできて鮮やかにお年玉をお取り返し、名手を相手にあっさりとやりこめてしまう。なんとその獅子頭をかぶっていたのは美少女チュンだった。チュンは第五回獅子舞大会で優勝したチームのメンバーだったが、女性が獅子を舞うことを反対され今年は出ることを諦めていた。

 

自分と同じ名前の女の子チュンに説得され、チュンは獅子舞を始める決断をする。そして幼馴染のマオ、ゴウを誘い、若き日には獅子舞の名手だったが、今は魚屋で燻っているチアンを師匠になってもらい猛特訓を始める。

 

映画の前半はこの特訓シーンに、地元に獅子舞チームと対戦したり、特訓場面をコミカルに描く一方、チアンの魚屋夫婦のドラマをさりげなく挿入する。そして地元の予選で見事本戦出場の切符を手に入れるが、ここが実にあっさりと流す。本戦に向けて盛り上がるチュンたちだが、チュンの両親が仕事場での落下事故で意識不明で戻って来る。チュンは、家族のため働かざるを得なくなり、広州へ旅立つ。

 

中盤からはチュンが寝る間を惜しんで仕事する姿、やがて本戦の開催日が決定される件へとややダラダラと展開、なかなか地元に戻って来ないチュンを諦め、チアンが獅子頭となって本戦出場することになる。その頃チュンは、さらに稼ぎのいい仕事に就くため上海へ行く準備をしていた。同僚と上海へ向かう途中、獅子舞の本戦の会場に立ち寄る。そこで体力の限界を経験で補って予選を進むチアンたちの姿を認める。

 

準決勝で、あわやという時に、チアンが靴を脱いで匂いでライバルを蹴散らすくだりがいかにも稚拙で、ここでこの笑いをとるかと思ってしまう。そして、間一髪で、獅子頭をつけたチュンが登場、見事チアンチームを決勝戦へ進ませる。

 

勝戦は、チュンが配達のバイトをしていて出会ったこともある優勝候補の無極隊だった。そして、花を採る戦いは引き分けになり、最後は足場の上での舞い踊りを競うことになる。しかしチュンは足に怪我をしていた。とってつけたような設定を挿入した後、無極隊は見事な舞を披露、チアン隊も足場に臨んでいく。

 

そして頂上まで辿り着いたが、より高くそびえる塔をチュンは目指すという。それは、山の頂には人が乗り越えないものがあるという戒めのための高さの塔で、普通は飛び乗れないものだった。チュンが塔を見つめる中、敗退した獅子舞のメンバーが皆太鼓を叩いて応援、会場にいた美少女チュンも太鼓を叩く。

 

会場が一つになる中、塔へ飛び立つチュン。そして自らの体は獅子頭を離れて落下するが、獅子頭は見事塔の上に被さる。奇跡が起きた中、地元ではチュンの両親の意識が回復しようとしていた。こうして映画は終わります。

 

カメラの視線が常に人間の高さなので、せっかくの獅子舞の躍動感が描ききれていないのは演出者の感性の才能の弱さでしょうか。ドラマ部分をしっかり描きたいにならあの展開は違うと思うので、やはり試合シーンを目玉にしたいものだと思います。アニメで描くならもっとダイナミックなカメラワーキングを取り入れたほうが全体のリズムに緩急がついたと思います。ああいうつくりで抑えたのに意図があるとすればちょっと物足りなさを感じる映画でした。

 

「波紋」

面白い。新興宗教、難病、障害者差別、老人差別、モンスター顧客などなど、日頃腫れ物を触るように扱っているさまざまをストレートに見下げて描く脚本が秀逸、と褒め言葉を用意していたのですが、どこか遠慮が見えなくもない。LGBTには触れていなかったり、ハラスメントは扱っていない物足りなさが映画全体を甘くしたように思えます。そうではなくて、水に広がる波紋のようにいつの間にか広がっている不可解なものを描かんとしたのかもしれない。パート先の掃除婦の水木が、クレーム客を追い返した依子にさらっと言う優しさがこの映画のキーなのかもしれない。そう考えると、どこか芯になる物がぼやけた気もするし、シュールな演出がブラックユーモアになって痛快だと思えるところもある。面白い映画ですが、傑作にほんの少し手が届かない、そんな気がしました。監督は萩上直子

 

主婦たちが大挙して水を買い求めにスーパーに飛び込んで来る場面から映画は幕を開ける。依子、修、息子の拓哉、そして寝たきりの義父が暮らす普通の家庭のショット、テレビでは福島原発放射能の話題が出ていて、どうやら東日本大震災直後の東京であるらしい。水が汚染されているという話題で、依子が水を買いに走ったのだろう。

 

依子は義父に食事を与えているが、義父は依子の胸に手を伸ばして来る。それをさりげなく払い退ける。父の世話を妻に任せっぱなしで、庭では修がガーデニングの花に水を撒いている。ふと手を止め、次のシーン、依子が修がいなくなったのに気がつく。そして何年経ったのだろう。

 

依子は、新興宗教に凝って緑命水という水を家の中所狭しと置いている。庭は枯山水になっている。この日もスーパーのパート先で、クレームをいう老人の姿にでくわし、帰って来ると門の外に夫の姿があった。ガンなのだという。依子は修を家に入れ、食事を与え、寝室を用意する。

 

最初は遠慮していたが次第に図々しくなって来る修。息子の拓哉は九州で就職したのだという。ある時、依子はパート先の掃除婦をしている水木に声をかけられ、依子が更年期障害で苦しんでいるのに優しい言葉をかけられ、近所の公営プールで泳げばいいとアドバイスされる。緑命会では教祖の橋本の元、十人余りが訳のわからない言葉を唱えて入る。今や依子にとってはこの行事だけが頼りになっているようである。

 

修について病院へ行った依子は、保険適用外の高額な薬の治療しか方法がないので相談して欲しいと医師に言われるが否定的だった。そんな依子に水木は復讐してやればいいと言う。依子は修を緑命会に一緒に行く代わりに薬代を出すと話す。緑命会で修は神妙に教祖の言葉に答え、経を唱える。

 

修が東京へ仕事で帰ってくる。そして一緒に彼女タマミを連れて来るが、耳が聞こえない障害者だった。露骨に不快感を見せる依子。東京を案内して欲しいと修に言われ、依子は数カ所案内するが、ある神社へ行った際、修と別れて欲しいと頼む。タマミは、もし依子にそう頼まれたら、親子の縁を切って家を出ると修に言われたと話す。そこで依子は緑命会にタマミを連れていく。

 

帰ってきた依子たち、タマミの態度が明らかに変わっていた。おそらく、緑命会で、憐れみを浴びせられたのだろう。この後タマミの姿は画面から消えるということは、別れて帰ってしまったのだろう。

 

修は、拓哉から、いつから依子が新興宗教にはまり庭に枯山水を作ったのか聞く。そして、父が出ていってすぐだと答える。そんな母を見たくなくて九州の大学へ進んだのだという。そんな時、水木がプールで倒れ、入院する。依子が見舞いに行き、水木は飼っている亀が気になるからと依子に頼む。

 

依子が水木の家に行くとゴミ屋敷になっていて、遠くへ行って帰ってこないと言われていた息子の写真と位牌があった。思わず泣き崩れる依子。東日本大震災で息子を亡くしたのだろうか、震災の後、片付ける気が起こらないという水木に依子は室内を片付けさせて欲しいという。

 

依子がパートに行っている間、一人縁側にいた修は、枯山水の石の上にカマキリを見つけ水をかけるが、次のカット、依子が帰って来ると倒れていた。でもまだ死んでいなかった。拓哉から、枯山水の庭にしたのは、修が出ていった直後で、深夜ガーデニングの花を抜きながら母は笑っていたと話す。それを聞いた修は、早めに死んでしまおうと呟く。

 

次のカット、葬儀が終わり、喪服姿の依子と拓哉。棺を持った男たちが庭を通るが、つい棺を落として砂の波紋の上に修の遺体が転がる。出棺の後、修は依子に、昔やってたフラメンコをまたしたらどうかと言って九州へ帰っていくが、依子は突然喪服のままフラメンコを踊り始める。真っ赤な長襦袢と真っ赤な傘を振り回し、踊り狂う。こうして映画は終わる。

 

水の上に立つ登場人物たちが波紋を起こしながら会話したり、シュールな演出も施され、不条理劇のようなブラックユーモアのような、不可思議な作品に仕上がっています。向かいの主婦の猫のエピソード、その主婦をやり込めるのに夫の癌で憐れを呼び起こす性格の悪さも面白い。小さなエピソードにさりげない毒を散りばめた脚本はなかなかなのですが、やはり、ストレートに思い切ったことができなかった不完全さも皆無とは言えない。その中途半端さが傑作に一歩及ばなかったかもしれません。でも面白い作品でした。