「ウーマン・トーキング 私たちの選択」
寓話形式で描く女性蔑視を訴える痛烈なインテリ映画ですが、いい作品でした。出だしは、ちょっと小賢しい空気感で始まるのですが、どんどん物語が一方向性へ集約していくとともに、登場人物一人一人が生き生きし始め、人間味を帯びてきて訴えるべきメッセージが観客の心の中に染み渡ってきます。所々に挿入される音楽も見事に映画全体にリズムを生み出していくし、ラストへ行くに従って希望とこれからの苦難を垣間見せるリアリティに引き込まれてしまいます。見事な一本でした。監督はサラ・ポーリー。
2010年、自給自足で生活するキリスト教を信じる村、ベッドで目覚める一人の女性オーナのカットから、裾が乱れ太ももの内側にあざを見つけて絶叫して映画は幕を開ける。この村では、女たちは牛を麻痺させる薬で気を失わされて男たちにレイプされるのが昔から当然のように行われ、人々はそれが悪魔の仕業であるとか作り話だと言い聞かされてきた。たまたま一人の少女がレイプ現場を目撃して大騒ぎになり、実際に犯罪だったことが明るみになってしまう。
男たちは、捕まった男たちの保釈金を支払い釈放してもらうために街へ出かける。男たちが不在になる二日間に、村の女たちは納屋に集まり、このまま男たちを許すか、男たちと戦うか、村を出ていくか、を決めることになる。しかし、キリスト教の教義では赦すことこそが本来であり、赦すことで天国に行けるのだから、天国に行くためには赦すべきだと言う意見が年配のスカーフェイらによって訴えられる。しかし、たとえ天国に行けなくても今の現在を守ることも大切だと言う意見も出て、投票により決めることになる。しかし、読み書きのできる人間は一人もいないため、自分の意図するところにバツをつけて投票する。
その結果、村を出ていくと戦うが同数となる。そこで三つの家族を選び、話し合うことになる。書記を務めるのは、読み書きができ、母が慣習に反対したために村を追い出され教師となって戻ってきた息子のオーガストだった。レイプされ妊娠してしまった長女オーナ、母アガタ、次女サロメ、姪のナイチャら九人で議論が始まります。映画はこの議論の様子を描きながら、レイプによって女性であることから男性であることに目覚めたトランスジェンダーになった女性、幼い少女たち、まだ男に到達しない少年たちの姿などが巧みに挿入されていく。
舞台が2010年と設定されていることから、明らかに寓話であり、架空の村での出来事という前提があった上で、三つの選択から意見が次第にまとまっていく中、狂った信仰や、極端な旧態然とした男尊女卑の問題へと突き進んでいきます。一夜目、一人の男が保釈金不足で帰って来ることがわかり、議論は急速に進展し、翌朝の夜明け一時間後納屋に集合してみんなで村を出ていくことになります。そこで次の問題はいくつまでの子供を連れていくかということになり、結局、13歳あたりまでを目処にする事に落ち着きます。いよいよとなり、オーガストはオーナに愛を告白します。
一人戻ってきた男の妻は、殴られたものの酒を飲ませて眠らせ、納屋にやってきます。村を出ることに反対だったスカーフェイの娘たちも結局追いついてきて、計画通り女たちは村を後にし、延々と続く道を進んでいく場面で映画は幕を下ろします。
旅立つ女性たちの背後に流れる曲、物語の中盤らに挿入される歌など、音楽挿入のセンスも抜群で、寓話形式で描かれる女性蔑視の問題を痛烈に訴える重いテーマを見事な商業映画に昇華させ、観客に真面目に向き合っていく気持ちにさせてくれます。いい映画でした。
「怪物」
描き込みすぎた感のある脚本で、カンヌ映画祭の賞を取ったというのはわからなくもないけれど、軸になる話を膨らませるための脇の端役の存在をあちこちに散りばめ、さらに小道具も散りばめ、時間軸をずらせて平行して物語を描いて、後半で真相を明らかにしていくというのはわかるのですが、結局、終盤湊と依里の微妙な関係のストーリーが大きく出てしまったことになり、たぶん本来描きたかった、本当の怪物は結局どこにあるのかという霧の中のような展開が崩れてしまった気がします。ラストの唐突なエンディングで、言いたいことは伝わるものの、終盤の尺が長すぎる。とても作品賞をとれるレベルではなかったです。もちろん、一級品の作品だしクオリティは十分ですが、是枝裕和監督作品の中では中程度だった。
夜の港湾を見つめる少年の後ろ姿から、彼方に消防車のサイレンの音が聞こえて映画は幕を開ける。カメラが切り替わり消防車を捉えると、向こうにビル火災が見える。少年たちや野次馬が駆け抜ける映像の後、場面はシングルマザーの早織と湊の家庭になる。父親は亡くなったらしく、小学五年生の湊は早織と二人暮らしである。遠くの火事を見ながら食事をする普通の家庭である。
ある日、湊の靴が片方ないことに気がつく。また水筒から泥が出てきたり、突然髪の毛を切ってみたりする。さらに、深夜いなくなり、早織が探しにいくと、廃トンネルにいるのを発見する。早織が問い詰めると、担任の保利先生に、湊の脳が豚の脳と入れ替わっている、だの、殴られたなどと言い始める。
早織は学校へ乗り込むが、出てきた校長をはじめ保利先生までも、形式的に謝るばかりで埒があかなかった。後日、再度早織は乗り込むが、保利先生さえも出てこない。中庭にいるのを見つけたので問い詰めると、保利先生は、湊はクラスメートの依里くんをいじめていると言われる。
早織が帰宅して湊の部屋にいくと、チャッカマンなどを見つけてしまう。早織が依里くんの家に行くと、父と二人暮らしらしく、家に入れてくれるが依里くんの手には火傷の跡があった。早織はいつまでものらりくらりする学校側に、公聴会で保利先生に謝らせる。保利先生は、ビル火災の中にあったガールズバーにいたという噂もあった。
校長の伏見は、最近孫を事故で亡くしていたが、原因は伏見の夫が駐車場で遊んでいる孫を轢いてしまったということだった。さらに、実は轢いたのは伏見で、校長という立場を守るために夫に身代わりになってもらったらしいと言われていた。
場面が変わり、赴任したばかりの保利先生は恋人の広奈と暮らしていた。保利は学校であったことを話していたが、この日近くのビルで火災が起こっていた。しばらくして、保利は早織に乗り込まれる事件に巻き込まれていく。そのことを広奈と話したが、軽くかわされていた。しかし、事態が大きくなり、週刊誌にも取り上げられるようになると、広奈はさりげなく保利の元を去っていく。
保利は学校で公聴会を開かされ、やがて保利も学校を去ることになる。生活も追い詰められる中、保利は明らかに嘘をついている湊に真実を話してもらおうと学校へ行き、階段で湊は自分で落ちて、保利先生に突き落とされたと叫ぶ。精魂尽きた保利は屋上へ行き、飛び降りようとするが、音楽室からトランペットやホルンを吹く音を聞く。
場面が変わる。伏見は刑務所の面会上で夫に会っていた。そろそろ落ち着いたので学校へ戻ると報告し、孫が生前口にしていたことを話す。果たして身代わりになってもらったのかどうか、不明のまま場面は変わる。学校のベランダ、湊は階段から落ちて保健室のベランダにいた。隣にベランダには伏見がいた。湊は嘘をついてしまったが、正直に言えないのだと伏見に話す。伏見は湊を音楽室に連れて行き、トランペットに言いたいことを叫べばいいと教える。そして湊はトランペット、伏見はホルンを吹く。保利が聞いたのはこの時の音だった。
湊は依里のことが気になっていた。依里は女の子のような顔立ちで、いつもクラスでいじめられていた。湊はそんな依里のことが気になっていたが、親しくすると自分が男が好きなように疑われるので遠ざけていた。早織の夫はラガーマンで男臭い人だったらしく、何かにつけ早織は湊に男らしさを求めていた。しかし、湊は学校の外では依里と一緒に遊び、近くの里山の奥にある廃線のトンネルの先の古びた車両の中で過ごすようになっていた。そこは二人にとっての秘密基地だった。
まもなくして、台風が迫ってきていた。湊と早織は窓ガラスに段ボールを貼ったりして台風に備えるが、深夜早織が湊の部屋を見ると湊がいなかった。窓の外を見る。ここで画面が変わる。台風の中、引越しのために部屋の片付けをしていた保利は、依里が書いた将来の希望の作文を見つける。文字の添削を始めた保利は文章の頭をつなぐと「ほりからみなと…」となることに気がつき、湊の家に向かう。早織が窓の外で保利を発見、湊がいないことを言い、二人で探しに向かう。向かった先は、廃線のトンネルだったが、途中土砂崩れで通行止めだった。それでも二人は徒歩で車両にたどり着く。そして窓を覗く。
場面が変わり、湊は依里の家に向かっていた。先日、依里は引っ越すことが決まったと言っていたからだ。しかも、祖母の家に行くらしく、どうやら父に捨てられたのではないかと思われた。父清高は、保利が以前訪ねて行った時、依里の頭の中は豚の脳なのだが、まもなくして治せるのだと話していた。湊が依里の家に行くと、依里は風呂場で倒れていた。依里を助け出した湊は二人で秘密基地に向かう。そこで、湊はつい依里にキスしそうになり、思わず湊は依里を突き飛ばしてしまう。
折しも台風が迫っていた。依里を探す清高の姿などのカットの後、車両の下のトンネルを潜る湊と依里、そして晴れた草むらに出た二人は彼方に走って行って映画は終わる。
エピソードが時間軸を並行させて繰り返しながらラストへ向かうので、上記は少し前後間違えているかもしれませんが、いったい嘘をついている怪物は誰なのか、そのサスペンスの面白さで引っ張っていく前半から、後半次第に湊と依里の話に焦点が絞られてきて、真実を描き始めると、ここまでの脇役で描写してきた様々な謎の面白さが吹っ飛んでしまい、結局、描きたかったのは湊と依里の怪しげな友情的な物語で締めくくられた感じです。よくできた脚本かもしれませんが、もう少し、整理した方が映画作品としてはクオリティが上がった気がします。使い捨ての役者が多すぎたのと、是枝監督が演出しきれないほどエピソードを盛り込みすぎた出来上がりになったように思いました。