「エノケンのとび助冒険旅行」
家族向けのお伽話ファンタジーで、セット撮影を徹底してトリック撮影を駆使した楽しい仕上がりの映画でした。監督は中川信夫。
人形使いのとび助が、今日も街頭で子供達を前にお芝居をし終える。お金を集めたが、一人お福だけはお金がないという。そんなところへ人さらいがお福を連れ去ろうとし、とび助が大乱闘するが、人さらいに頭を殴られて、数が数えられなくなる。お福は、母の住む日本一の山の麓に行けば、素敵な木の実があり、それを食べると元に戻ると言われる。
早速、とび助はお福を連れて、お福の母の村を目指すことにする。途中、がんこ坊やふらふら坊、いじわる坊のところを抜け、人喰いばばあに食べられそうになったり、死の森で化け物たちと戦ったり、おかしな街で見せ物小屋に連れ去られたり、人喰い鬼を退治したりと大冒険を繰り返し、ようやくお福の母の村に辿り着き、木の実を食べたとび助は元に戻り、お福、その母と賑やかに走り回って映画は幕を閉じる。
なんのことはないお伽話の世界ですが、スローモーションやトリック撮影、ミニチェアワークなど、懐かしい手作り特撮がとっても楽しい。書割のセットも独創的で、カメラアングルや構図、編集の面白さも見られ、ちょっと懐かしいながら、面白い一本でした。
「メイ・ディセンバー ゆれる真実」
自分の解釈が正しいのなら恐ろしいほどの傑作なのかも知れないが、深読みしすぎかと思わなくもない。しかし、主演の二人ナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーアとくればこう考えざるを得ないと思う。素直な幸福で包まれたプライベートな空間に、映画というフィクションの仮面をかぶって他人が入り込んで、真摯に再現しようとするはずがいつのまにか邪念が蝕んでいる。それを逆手にとって、そんなことはわかっていると言わんばかりに、グレイシーとジョーはエリザベスを手玉にとったのではないか。そんな映画だった気がします。挿入される大袈裟な音響効果、意味ありげなシーンの数々、冒頭のシーンがいつの間にか第三者によって汚されようとしている展開にあっさりと笑い飛ばしてしまうような終盤。これは、映像が作り出した人間の心の姿だと思いました。監督はトッド・ヘインズ。
邸宅の大きな庭でバーベキューが開かれようとしている。庭にはプールが修繕中で、大勢の客が出入りしている。主催しているのはグレイシーとジョーという幸せそのものの夫婦。間も無く高校の卒業式を迎えようという双子のチャーリーとメアリー。実は彼らは二十年前、36歳のグレイシーは23歳年下の13歳のジョーと不倫関係になりスキャンダルを生んだ夫婦だった。グレイシーは未成年との関係で罪に問われ服役、獄中で子供を出産して出所後に結婚した。
今も嫌がらせが続くものの幸せな生活を営んでいる。この度、この題材を映画にすることが決まり、この日、主演を務める女優のエリザベスが役作りのリサーチのために訪れた。玄関先で小包を発見、チャイムを鳴らしても返事がないのでそのまま裏のテラスのバーベキュー準備の場にやってくる。出迎えたグレイシーは小包は排泄物の嫌がらせだからと夫のジョーに捨てさせる。
エリザベスはグレイシーに執拗な観察と質問を続け、その中でグレイシーとジョー、さらに彼の周りに人たちは、次第に過去を改めて向き合うようになっていく。エリザベスはグレイシーの元夫トムや、トムとグレイシーの子供達にも会う。しかしトムの言葉からは、グレイシーの批判はあからさまに出てこない。それでも、グレイシーのお菓子の注文は、近所の知人たちが繰り返し注文しているだけだとトムは話したりする。グレイシーとジョーが出会ったペットショップの店長にも会い、グレイシーとジョーが情事に至った物置に行って自らその場を再現してしまうエリザベス。
ジョーは、何やら別の女性とメールのやり取りをしているらしい。蝶の蛹を育てているが、グレイシーから嫌がられている。エリザベスはトムとグレイシーの息子ジョージーと出会う。彼は、かつてグレイシーが幼い頃に兄二人から何かされたのではないかという事を仄めかされ、その真実を話す代わりに映画の音楽監督に推挙してほしいと言われる。
ジョーはエリザベスを自宅に送った際、喘息の器具を調整しに部屋に入り、かつて、グレイシーと関係を持った直後にグレイシーにもらった手紙をエリザベスに渡す。そして、エリザベスと体を合わせてしまう。後にその手紙の内容をエリザベスが一人語りするのだが、グレイシーがジョーとこういう関係になったこと、この手紙はすぐに捨ててほしい旨のことが書かれていたらしい。
ジョーが自宅に戻り、ベッドに眠るグレイシーのそばで考え事をしていて、グレイシーはかつてジョーが自分を誘惑したなどと言って言い合いになってしまう。やがてチャーリーとメアリーの卒業式の日、グレイシーの姿は見えなかったが、ジョーは子供二人を学校へ届ける。グレイシーは一人猟に出て、獲物を見つけるも銃を発砲しない。そして卒業式、ジョーは外で見守り、会場にはグレイシーとエリザベスがいた。エリザベスの帰り際、グレイシーは、ジョージーが言ったことは信じない方がいいなどと告げてその場をさる。
やがて撮影が始まり、グレイシーとジョーがペットショップの物置で情事に発展する場面、エリザベス扮するグレイシーは蛇を持ってジョーに迫っている。そして何度かのテイクで監督のOKの後、もう一度やりたいというエリザベスの言葉で映画は終わる。
果たして、グレイシーとジョーの関係は最初から歪んでいるのか?冒頭で20年も一緒にいることはお互いに愛していないとできるわけがないというジョーのセリフが素直なところなのか?エリザベスがリサーチする中で見えて来るものが果たして彼女の邪念が生み出していくものなのか、グレイシーとジョーは決して純粋な幸せを送っていないのかも知れないが、それでも二人の絆がしっかりしていて、エリザベスら他人の入る隙がないのではないかという解釈でこの映画を楽しみたい気がします。そこまで考えさせるトッド・ヘインズの演出力に拍手したいと思います。