「クレオの夏休み」
とっても優しくていい映画でした。母を亡くした幼い少女が、ほんの少しづつ成長して旅立つ姿に涙が溢れてきました。シンプルなアニメーションが随所に散りばめられた映像がとっても素朴に美しく彩られる感じも素敵。心が温かくなる一本でした。監督はマリー・アマシュケリ。
美しい水彩調のアニメーションとタイトルが終わると、一人のフランス人の少女クレオが、乳母のグロリアと一緒に眼科でメガネを調節している場面になって映画は幕を開ける。クレオの母は癌で亡くなり、アフリカから乳母としてグロリアが雇われて幼い頃から面倒を見ていた。クレオはいつもグロリアと一緒で、母のように慕っていた。しかしある日、グロリアの母が亡くなったという知らせで、グロリアは子供たちの面倒を見るために故郷へ帰ることになる。ここに戻ってこないというグロリアにクレオは、夏に遊びに行くと約束する。
父がなかなかクレオを旅立たせてくれないので、無理を言って一人グロリアの故郷にクレオはやってくる。グロリアには息子のセザールや、妊婦の娘ナンダがいて、世話をしていた。クレオはグロリアに泳ぎを教えてもらったり、セザールらと一緒に遊んだりして日々楽しく過ごす。
まもなくしてナンダに陣痛が始まり、グロリアが付き添って病院へ向かう。クレオはセザールに預けられるが、セザールはグロリアの金を盗んで遊びに行ってしまう。クレオはセザールの後をついていくがセザールは男の子たちと崖から海に飛び込んでは騒いでいるばかりで、クレオには入りにくかった。夕方、セザールはクレオをおんぶして帰ってくる。
赤ん坊が生まれるとグロリアは赤ん坊につきっきりでクレオは次第に寂しさと赤ん坊への嫉妬さえ生まれるようになって来る。グロリアは、自分のお金がなくなっているのに気づき、クレオとセザールを問い詰め、セザールの仕業だと分かったが、セザールはグロリアに反抗して家を飛び出す。
ある日、ナンダが赤ん坊をグロリアに預けて出かけた時、赤ん坊が泣くのでクレオが静かにさせようと赤ん坊のそばにきたが、次第に憎しみが表に出て、昼寝しているグロリアの邪魔をするなと赤ん坊を押さえつけようとする。そこへグロリアが入ってきて赤ん坊を助けてクレオを叱るがクレオは飛び出し、崖まで行ってセザールが飛び込んでいた崖から飛び降りる。クレオはグロリアに教えてもらったように泳ぎ、セザールに助けられて家に帰る。
クレオはグロリアに、赤ん坊が死ねばグロリアと一緒に家に帰れるからとグロリアの胸で泣く。やがて夏休みが終わり、クレオが帰る日が来る。空港までグロリアが送ったが、それぞれ別々に幸せに暮らそうと呟く。クレオを送り出した後、飛行機にまっすぐ向かうクレオを見送りグロリアは涙が止まらず泣き続けて映画は終わる。
母を亡くしたクレオがとっても切ない存在だし、一方のグロリアにとっても赤ん坊の頃から面倒を見たクレオは娘のように可愛く愛しい存在になっている。しかしいずれ別れが来ることはわかっているというシンプルな話に涙せざるを得ない。上品な色彩のアニメが、クレオの母の死や、グロリアとのこれまでなどを映し出す演出も素敵で、本当に優しい作品でした。
「ヒューマニスト・ヴァンパイア・シーキング・コンセンティング・スーサイダル・パーソン」
ヴァンパイアコメディというタッチの作品で、面白い構図やシーンもある一方で、平凡そのもののシーンも散見され、しかもストーリーがテンポに乗ってこないのは脚本の弱さか、演出の甘さか、せっかくの題材を活かしきれていないのがちょっと勿体無い映画だった。監督はアリアーヌ・ルイ=セーズ。
暗闇の中、誕生日を祝う言葉から明転するとこの日誕生日のサシャがキーボードをプレゼントされている場面から映画は幕を開ける。さらに玄関のベルが鳴り、近所の男性がピエロの格好でお祝いに訪れる。招き入れられた男性は一通り芸を見せた後、縄抜けをすると自ら箱に入る。しかし抜けられず暴れていると、サシャの両親や家族らがその男性を襲う。どうやら吸血鬼家族らしい。このオープニングがとっても面白い。
しかし、サシャは人を襲うことができず、いつも血液パックを持ってちゅうちゅうと血を啜って生きている。この設定も楽しい。両親はサシャに人を襲うことを覚えさせるために従兄弟のドゥーニーズに預けることにする。サシャはドゥーニーズと一緒にターゲットを物色し始めるが、サシャはなかなかその気にならない。なんとか見つけたつまらない男JPをドゥーニーズが襲い、サシャにも襲わせようとするが、サシャは車のクラクションを鳴らしてドゥーニーズの行為をやめさせる。結果、JPは中途半端に血を吸われて吸血鬼になってしまう。
そんなサシャはある夜、ボーリング場の屋上で今にも飛び降りようとしているポールを見かける。ポールは下で見上げるサシャを見て降りていくが逆にサシャは屋上に舞い上がり、驚いてコンテナにぶつかって気を失ってしまう。サシャはポールを助けてポールの自宅に連れていく。そして自分は吸血鬼だが人を襲えないことを告白、ポールは学校でいじめられて、これという人生の目標もなく自殺願望があるのだという。
自分を見つめ直すサークルに出かけたサシャはそこでポールと再会する。ポールは自分の血を吸うことでサシャは吸血鬼として自分は自殺できるという提案をするがサシャの牙が伸びてこない。ポールは死ぬ前に、これまで自分を馬鹿にしたクラスメートや校長先生に復讐をしたいと家を訪ね回る。そして、最後に自分をいじめていたアンリにポールは襲い掛かろうとするが逆に襲い返される。あわやという時サシャの力が現れ、アンリの仲間を投げ飛ばし、アンリの血を吸って殺してしまう。
知らせを聞いたドゥーニーズがアンリの死体の処理を手伝うが、ポールがまだ生きていて、自分たちが吸血鬼だと知っているのは良くないから殺すと言い出し、サシャはドゥーニーズを殴り倒しポールの元へ行く。ポールとサシャはモーテルに行くが、そこでポールは自分を吸血鬼に変えて欲しいとサシャに言う。そして、自殺願望者を探し、協力してお互いの願望を叶える人道主義吸血鬼になりたいと説明する。
サシャはポールが襲われることを想像すると牙が伸び、そのままポールに噛み付く。しかし。ポールが復活するのに苦しむのでサシャは家族に助けを求める。駆けつけたサシャの両親らがポールに血液パックで血を飲ませ、ポールは吸血鬼となる。サシャとポールはサシャの母の病院へやってきて、末期の老婦人の安楽死を助ける。サシャが最後の音楽をキーボードで弾いて、ポールが血液パックに血を移していく。そしてことが済んで二人が病院を後にして映画は終わる。
シンメトリーな構図や、テンポの良い音楽のリズム、ちょっとコミカルなシーンを織り交ぜた面白さが随所に見られるが全体にテンポが悪く、お話がまとまっていないために長さを感じてしまう。せっかくのアイデアを活かしきれていない感じの映画でした。