「ルックバック」
日本アニメの底力を見せつけられますね。挿入された4コマ漫画も抜群に面白いし、静止画と動画を巧みに組み合わせた絵作りのリズムも見事で、60分たらずの作品ながらストーリー展開のテンポがとってもうまい。最初から最後まで楽しめる佳作でした。でもなぜ1700円均一なんだろうか?監督は押山清高。
山深い田舎の小学校、学年新聞が配られている。その新聞には藤野という少女が四コマ漫画を書いていて、それが生徒たちに好評だった。ある日、担任の先生に、引きこもりの京本という生徒が書いた四コマ漫画の枠を空けて欲しいと言われる。そして学年新聞が配られたが、そこに書かれた京本の四コマ漫画を見てそのレベルの高さに藤野は呆気にとられる。
その日から藤野は遊ぶ間も惜しんで漫画の練習を始める。しかし、6年になったある日、限界を感じ漫画を辞めて友達と遊び始め、姉の勧めで空手を習い始める。やがて卒業式を迎え、担任の先生は藤野に京本の卒業証書を届けて欲しいと頼む。渋々京本の家に行った藤野は、チャイムに誰も出てこないので勝手に家に上がる。そこには廊下に山と積まれたスケッチブックがあった。
藤野は京本の部屋らしい前に行き、即興で京本が引きこもり選手権で出てこないままに白骨になるという四コマ漫画を書くが、それが
風に乗って京本の部屋に入ってしまう。慌てて藤野は家を逃げ出すが、四コマ漫画を見た京本が藤野を追いかけて飛び出してくる。京本は藤野の大ファンだったといい、着ているドテラの背中に藤野のサインをせがむ。そして、藤野は漫画の賞に応募するために書き始め、背景は京本が書くようになる。
そして、藤野キョウの名で応募した漫画は見事入選、以来、背景は京本が、漫画は藤野が書いて次々と発表して行く。京本は引きこもりがなくなり藤野と出かけるようになる。しかし高校を卒業する頃、京本は美大に行きたいからもう漫画は書けないと宣言する。まもなくして藤野はプロとして連載を始め、みるみる人気作家になって行く。ところが、藤野が漫画を描いていると、美大に凶器を持った男が乱入したニュースが飛び込んでくる。そして藤野に母から京本が犠牲になった連絡が入る。京本は殺された。
葬儀を終えた藤野は京本の家に行く。そして山積みの本の中に藤野が小学校の時に書いた、引きこもり選手権の四コマ漫画を見つけ、自分が京本を連れ出さなければ彼女は死ななかったと後悔、四コマ漫画を破るが、その一番上が京本の部屋に入って行く。中で、小学校時代の京本は、外に出てこないで、という四コマ漫画の一コマを見つける。
やがて、美大に行った京本が休憩していると、凶器を持った怪しい男が襲いかかってくる。ところが、背後から藤野が飛び込んで蹴り倒し京本を助ける。そして、骨折して搬送される藤野に京本が連絡先を教えて欲しいこと、小学校時代に4コマ漫画を書いていた藤野だと知る。
京本の部屋に入った藤野は、ドアにかけられた藤野のサインの入ったドテラを見て泣き崩れる。そして、藤野はまた新しい連載を先へ進め始める。机の前には藤野が京本を助けた四コマ漫画が貼られていた。こうして映画は終わる。
シンプルなお話ですが、青春の思い出が凝縮された物語と静止画と組み合わせでラストを盛り上げる工夫も上手い。決して仰々しい絵だけがアニメではないという底の深さを思い知らされる一本でした。
「お隣さんはヒトラー?」
洒落たヒューマンドラマという感じで、ミステリー色はかなり薄めというかほとんどコメディタッチなので肩も凝らない。それなりに見て良かったと思える一本だった。監督はレオン・プルドフスキー。
1934年東欧、ポルスキー家の家族が微笑ましく過ごしている場面から映画は幕を開ける。記念写真を撮ったシーンから時間は1960年南米に移る。一人暮らしをする老人ポルスキーは、無愛想に過ごしていた。ただ一つ、庭に植えた黒いバラを大事にしていたが、それはかつて妻が好きだった花だった。そんなポルスキーの隣の空き家に一人のドイツ人ヘルツォークが引っ越してくる。
ヘルツォークの飼い犬がポルスキーの庭に入ってバラを荒らしたので、文句を言いに行ったポルスキーは、ヘルツォークの目を見て、かつて自分たちを苦しめたヒトラーだと感が働く。早速ヒトラーの関連書を集めてきてヘルツォークがヒトラーだという証拠集めをし始める。そして役所へ行き、ヘルツォークを逮捕するようにいうが全く相手にされなかった。
ポルスキーはなんとか証拠を掴もうとヘルツォークの家に忍び込むが、見つかりそうになって逃げ出した際、ヘルツォークの愛犬に追いかけられる。襲い掛かられついてスコップで殴り殺してしまい、事故に見せかけて犬の死骸を道に捨てる。それを見つけたヘルツォークが嘆き悲しみ、ポルスキーに手伝ってもらい死骸を葬る。
土地図面からポルスキーの植えた薔薇がヘルツォークの敷地内になっていることから、塀の位置をずらすが、ポルスキーはヘルツォークのヒトラーの証拠を掴むためにヘルツォークに書面をもらいたいからとチェスをするようになる。しかし、ヘルツォークはタイプ打ちをして手渡す。それ以降もポルスキーとヘルツォークはチェスを繰り返し、ポルスキーはなんとか証拠を集めようと、ヘルツォークが画家でもあることから、自分の肖像画を描いてもらうことにする。
絵が完成して数日後、ヘルツォークの家に何人かの人物が訪れる。その男たちが帰り際、ヒトラーへの挨拶のポーズをしたことからポルスキーは確信し、絵を持って役所へ行き、ヒトラーの筆致だと言い張るも追い返される。ところが後日、役所の職員がポルスキーの家にやってくる。隣の男はナチスの関係者かもしれないから監視するという。ポルスキーはヘルツォークの家に行き、ことの次第を話すと、ヘルツォークはナチスのマークの入った箱から写真を取り出す。彼はヒトラーの替え玉だった。ヒトラーなら睾丸が一つのはずだから見せろというポルスキーの要望にヘルツォークは答え、ヘルツォークが替え玉だと判明する。
ポルスキーは、二日後に取調べの役人がくることをヘルツォークに知らせる。ヘルツォークは、翌日引っ越しを決め、ポルスキーに別れを告げて去って行って映画は終わる。
コメディタッチの部分がもう少し面白ければ後半のドラマ部分が引き立ったかもしれないが、少し物足りないために傑作に届かなかった感じです。でも、ヘルツォークが密かに恋心を抱く女性にプレゼントさせようと最後にポルスキーが黒いバラを切ってヘルツォークに与えるくだりはほんのり胸を熱くさせてくれます。程よい感動を盛り込んださりげない作りがとっても好感な作品だった。
映画を面白く作ろうという気は全くなく、ただ、ダラダラとシーンを引き延ばし、機関銃のようなスラングの連続と、奇抜な暴力シーンを繰り返してその場限りのエンタメを見せるだけの地に堕ちたシリーズに成り下がってしまった。いつまで、ハリウッド、特にディズニーは技術だけでは面白いものは作れないと気がつくのかと思える映画だった。監督はショーン・レビ。
デッドプールが森の中、ウルヴァリンの死体を掘り起こし復活させようとしているところから映画は幕を開ける。そこへ時間管理局の兵士が現れ、デッドプールと戦う。そして時が遡るのですが、物語が混沌としているので、要するにこういうことかと思いました。TVAという時間と空間を管理する組織は、危険な超能力者カサンドラを虚無の世界に追放した。彼女を倒すべくデッドプールはウルヴァリンを相棒にして虚無の世界に送り込むことにする。デッドプールは様々な異世界のウルヴァリンを探し、とうとう理想のウルヴァリンを発見する。
タイムリッパーという時間軸を操作する装置を勝手に作っているパラドックスは、タイムリッパーで空間を操ろうとしていた。カサンドラはタイムリッパーを手にして時間軸と空間を全て破壊しようと目論んでいた。世界を救うため、TVAはデッドプールとウルヴァリンに世界を救うべくミッションを与えた。
デッドプールとウルヴァリンはカサンドラの砦に行くが超能力で反撃に会い、這々の体で脱出、多重世界のアベンジャーズのメンバーを集めて再度乗り込み、カサンドラに超能力を封じる仮面を被せて自分たちを元の世界に戻すように依頼。元の世界に戻ったデッドプールとウルヴァリンだが、カサンドラもその世界に来てパラドックスが作っていたタイムリッパーにアクセスし始める。
デッドプールとウルヴァリンは、命をかけて、カサンドラの計画を阻止、カサンドラは塵と消えてしまう。死んだかと思われたデッドプールとウルヴァリンは無事で、元の世界に帰って行ってハッピーエンドらしいが、ここまでのストーリーで描かれるウルヴァリンの苦悩やデッドプールの言いたい放題の悪態、次々出てくる何かのシリーズのキャラクター、さらに様々な映画のパロディに、これは観客を楽しませようと作品を作ろうというより、自分たちだけが楽しんでいる独りよがりのお遊び映画になってしまった。駄作という表現さえもったいないような無駄な大作映画だった。