「チャイコフスキーの妻」
とにかく画面が暗くて、映像も抽象的で、物語も時間や空間をすっ飛ばして描いていくのでしんどい作品だった。チャイコフスキーを盲目的に愛した妻アントニーナの狂気的な心を映像で昇華させていく展開がとにかくシュールで退屈な映画でした。監督はキリル・セレブレンニコフ。
19世紀末のロシア、教会式の結婚は許されず、離婚も裁判所の許可がなくてはできない時代というテロップの後、葬儀の場面、チャイコフスキーが亡くなったと参列者が詰めかけ、そこに妻アントニーナがやってくる所から映画は幕を開ける。遺体の置かれている部屋に来たアントニーナだが、突然遺体が起き上がり、アントニーナを罵倒、アントニーナはその場を去って、時は1972年に遡る。
パーティの席でチャイコフスキーに初めてあったアントニーナはすっかり惚れ込んでしまい音楽院に進む。そこでチャイコフスキーの姿を追い、手紙を出すようになる。チャイコフスキーは何度かアントニーナの家にやってくるが、実は彼は同性愛者で女性を愛せなかった。しかし、世間では同性愛が禁止されていて、噂を払拭するためアントニーナと結婚することにする。
しかし、夫婦生活は最初から皆無で、アントニーナの一方的な愛情が次第にチャイコフスキーを追い詰めていく。そして間も無く別居となり、チャイコフスキーは離婚を望むがアントニーナは承諾しなかった。アントニーナの性の疼きは、弁護士と体を合わせる事で紛らわし、やがて妊娠して子供を産む。それでもチャイコフスキーはアントニーナのところへ来ることはなく、アントニーナは、神がかり的な儀式をしたり、無理やりチャイコフスキーの演奏会に顔を出したりするが、チャイコフスキーは一向にアントニーナに心を向けることはなかった。
ある夜、アントニーナはチャイコフスキーと子供達を交えての幸せな日々を夢に見たが、ふと目が覚めると、アントニーナの家が火事だった。なんとか脱出したものの、結婚指輪を忘れてくるし、子供達も施設で亡くし、全てを失ったアントニーナは、チャイコフスキーからの月々に慰謝料を手にして街に出ると、チャイコフスキーがコレラで亡くなったという号外が配られ、その号外を手にして彼方に歩き去って映画は終わる。テロップで、実際のアントニーナは精神病院で亡くなったことが語られる。
逆光を使った光の演出で、人物の表情はほとんど掴めないし、ワンシーン長回しやジャンプカットで空間や時間を飛ばしていく演出、さらに全裸の男たちと戯れるシュールなダンスシーン、なぜか蝿が舞うショットなど、アントニーナの心象風景を映像化していく作りがとにかくしんどい。絵作りに緩急というリズムを無視した画面に必死についていく映画だった。
「ナミビアの砂漠」
これというものもなく生きる主人公カナの淡々と流れる日常を、希代の逸材河井優美の個性で描き切る作品で、映像のリズムがいいのか映像感性が鋭いのか、実に流れのテンポが心地良いくらいの秀作。ただ、二時間あまりかけて描く何者かがあるかは少し疑問でした。もっとコンパクトに凝縮して、もっと中身の濃い作りができる監督だと思いますが、やはり河井優美を描きたかった感じです。なかなかの一本と言いたいですが、やはりミニシアター向きかなという映画だった。監督は山中瑶子。
主人公カナがショッピングモール前の歩道を歩いている。友達のイチカと会うために向かっている場面から映画は幕を開ける。イチカと会い、最近かつてのクラスメートが自殺した話をし、その後、ホストクラブへ遊びにいく。カナは先に帰るが、しこたま飲んでいてふらふらである。途中、ハヤシという彼氏?らしいのと会い、ちょっと遊んで自宅に帰る。
自宅といっても同棲している恋人のホンダのアパートだった。ホンダは何かにつけてカナの世話をやく真面目な男だが、いつのまにか自信家でクリエイターのハヤシとの関係を深めていき、ハヤシの家に泊まったり、ホンダのところへ帰ったりを繰り返していた。映画は、そんなカナの姿を淡々と、しかもこれというドラマもなくひたすら描いていく展開となる。
次第にホンダの部屋から遠ざかりハヤシの所で暮らすカナだが、突然、ホンダがカナを待ち伏せして、追いすがるように謝ったりし、それがカナには重荷になってしまう。しかし、ハヤシはハヤシで、自分中心的なところも時々見受けられ、自分を構ってくれない苛立ちも感じないことはない。
喧嘩してハヤシの部屋を飛び出したカナは、階段から落ちて大怪我をし、しばらくハヤシに世話をやかせたりする。カナは美容エステに勤めていたが、ふとしたことでクビになってしまい、これから働かないからとハヤシに宣言したりする。自分で、精神的に病気ではないかと、カウンセリングを受けたりする。
ハヤシの両親のところへ行き、ハヤシの両親の家族らとキャンプで話したりし、ハヤシがそれなりの裕福な家庭であることを改めて知る。カナの母は中国人らしい。いつものようにカナとハヤシが自宅に戻り、その勢いで戯れ合いながら喧嘩を始めて大暴れする。突然、カナはランニングマシーンに乗って、携帯でハヤシと暴れる様子を見ている。その後、イチカとキャンプに出かけたりし、場面が元の暴れている部屋に移り、疲れ果てた二人はお腹が空いて食事を始めて、カナのアップで映画は終わる。エンドクレジットの後、題名にナミビアの砂漠だろうか、水たまりに動物が水を飲みにくるアニメが映されてエンディング。
本当になんのドラマもない物語ですが、河井優美の抜群の演技センスとリズム感、そして映像感性に優れた山中瑶子監督の演出がマッチングした結果の秀作という感じの映画だった。