「本日公休」
ヒューマンドラマという言葉がぴったりのとってもいい映画だった。人生の時の流れ、人々との心の交わり、そんな温かい日常がスクリーンから溢れてきます。巧みに時を交錯させる構成も、やりすぎず単調すぎず、その変化のリズムがかえって人生の機微を描き出していく。終盤の締めくくりがややくどい気がしないでもないですが、本当に良い映画でした。監督はフー・ティエンユー。
四十年にわたってこの地で散髪屋をしているアールイは、この日店をお休みにして、長らく乗ってなかったボルボを動かしている。前後に停められた車を押し除けてやがて走り出して映画は幕を開ける。そこに、近くに住む息子のナン、と娘のシンがやってくる。スマホを置いたままでいなくなった母を心配して、美容師をしている姉のリンに連絡するが行き先はわからない。リンはチュアンと結婚していたが離婚した。チュアンは近くで自動車整備工場をしていて、アールイの店に息子=アールイの孫アンアンを連れてきたりしする。
映画は、アールイを心配する娘たちの過去、アールイが営んできた理髪店に通ってくる常連さんたちとの関わり、アールイが常連さんに電話をするくだりなどを時間を交錯させて描いていく。アールイは、常連さんで歯科医のコ先生が倒れて動けないと聞き、遠路散髪に向かったのだった。
アールイは道中、転職して農業をしている青年に出会い、長い髪を切ってやったりする。また、不良みたいな若者たちに絡まれかけるが、その一人はかつて自分が髪を切ってやった青年で、アールイが脱輪した車を搬送してもらったりする。アールイの息子ナンは新しいことが好きで太陽光パネルを母に勧めたりする。娘は短時間で散髪をする店がこれから流行るからと母にアドバイスしたりする。チュアンは、友人に誘われて合コンに行き、一人の女性と知り合う。
ようやくコ先生の家に着いたアールイだが、先生はすでに寝たきりで意識もなかった。アールイは寝たままのコ先生を散髪し、彼が若い頃から通ってきた日々を思い出す。そして、散髪を終えたが、コ先生はおそらく息を引き取ったのだろう。涙の中で帰路に着くアールイ。そして夕方自宅に帰ってくると、娘たちが出迎える。こうしてたった1日のドラマが一旦幕を下ろす。
普通に日常に戻ったアールイの店に常連さんが集っている。チュアンは、年が明けたら再婚すると告げる。リンは、自分で新しい店を構えたらしい、もう一人の娘は教習所に通っている。新し物好きな息子は暗号資産の話をしている。間も無く新年を迎えるアールイの店をとらえて映画は幕を下ろしていく。
主人公アールイが、一日を終えて店に戻ってくるまでが実によくできているのですが、歌が流れその後のエピローグがややしつこいために、せっかくの感動がやや薄まってしまったのは少し残念。でも、映画作品としてはよくできた秀作だった。
「パリのちいさなオーケストラ」
大まかな話はわかるし、退屈はしないのですが、実話ということに全て任せてしまって、映画としてのストーリーテリングがほとんどできていない脚本と演出で、一体今が物語のどの段階なのか見えないままにラストシーンへ行った感じの作品でした。聞き慣れたクラシックだけを多用しているので、それだけで見せればいいかという作りはちょっと雑すぎる気がします。監督はマリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール。
1985年フランスの片田舎スタンの街、一人の少女ザイアは両親がテレビで見ているボレロの演奏場面を覗きにきて一緒に見る場面から映画は幕を開ける。そして十年後、有名な音楽院で優秀な成績のザイアと双子の妹フェットゥマはパリの名門音楽院に編入を認められて入ってくる。指揮者を目指すザイアだが、当時、世界中では女性指揮者がほとんどいない中、学生たちに完全に無視され揶揄われるだけだった。フェットゥマはチェリストとしてプロを目指していたがついている先生から、男性への偏見を感じていた。
ザイアもフェットゥマも間も無く行われるコンクールに向けて練習をする一方で学院で演奏を学ぶものの、受け入れられないままだった。そんなある日、臨時講師として有名な指揮者セルジュ・チェリビダッケがやってくる。大勢の学生の前で、セルジュはザイアの才能を見抜いて自身の自宅で他の数名と一緒に教えることにする。しかし、一方で学院で受け入れられないザイアは授業をボイコットされる。仕方なくかつて学んだ学院のメンバーを呼び寄せて、稽古をするが音楽院の校長からクレームを出される。
そこでザイアは、自分に賛同してくれるメンバーだけでオーケストラを作ることを決意し、小さいながらもオーケストラを作って練習することになる。しかし、パリでの公演には多額の資金が必要で、なかなか前に進まない。そんな頃、ザイアもフェットゥマもコンクールに出るが、男性重視の審査員から結局不合格を通知される。しかしフェットゥマの先生は、フェットゥマ用にチェロを用意して手渡す。一方ザイアはセルジュの教室でも気持ちがのらず、セルジュと言い合ってしまう。
落ち込んで部屋に篭るセルジュに、打楽器の音が聞こえてくる。外に出るとザイアのオーケストラのメンバーがザイアの家の前の広場に集まっていた。そしてザイアも参加して、ボレロを演奏して映画は終わる。その後がテロップされるが、物語の中のオーケストラの公演の話や、ザイアの練習相手になってくれるピアニストの話はエピソードで終わってしまった。
お話はこんな感じだと思いますが、主人公たちの今の物語のどの段階にあるのか、地理的、時間的に把握しづらいために、ぶつ切りのシーンの連続に見えてしまう。ザイアの指揮シーンは圧巻ながら、どうにも気持ちが入りきらない作品だった。
初公開以来だから二十年近く経っての再見。韓国映画の良いところが徹底された作品で、乙女チックなラブストーリーと、徹底的なバイオレンスアクション、緊張感連続のスパイ戦などが緩急うまく交えながら展開する面白さは今見ても飽きさせない。やはり、韓流ブームの火付け役というのも納得の映画だった。監督はカン・ジェギュ。
1992年、北朝鮮工作員の残酷なまでの訓練シーンから映画は幕を開ける。訓練を受ける工作員の中で群を抜いて成績が良いイ・バンヒは、教官でもあるパクから何かにつけ目をかけられ、やがて特殊工作員として韓国へ派遣される。そして韓国では相次ぐ政府高官や研究員の暗殺が続き、謎の工作員イ・バンヒの存在を捜索する日々だったが、なぜかここ一年、暗殺事件が落ち着いていた。
韓国の諜報員ユ・ジュンウンはアクアショップの店主でもあるイ・ミョンヒョンと交際を続け一ヶ月後に結婚が決まっていた。しかしジュンウンはミョンヒョンに自分の仕事を話すことができなくて悩んでいた。ジュンウンは相棒のジャンギルとイ・バンヒの行方を追っていたが、ジャンギルが北朝鮮の情報を話すという武器証人との接触の際、その相手が突然逃げ出し、ジャンギルが追跡する途中で射殺されてしまう。
その後もいく先々で捜査情報がばれているかのような状況が続く。そんな頃、韓国が密かに開発していた液体爆弾CTXが、北朝鮮工作員の第八部隊のリーダーパクらによって奪われる事件が起こる。CTXは、無色透明で、光と熱が加わると大爆発を起こすものだった。そして、北朝鮮工作員が仕掛けた最初の爆弾が爆発する。
ここにきて情報が内部の人間からの漏洩だと判断したジャンギルは密かにジュンウンの車やジュンウンが出入りする恋人ミョンヒョンのアクアショップに盗聴器を仕掛ける。ところが、ジャンギルが、内部から情報が漏れているから調べたいと相談していた同僚も会っている際、何者かに狙撃されてしまう。実は、イ・バンヒは、計画実行のために邪魔をしている人物を狙撃する計画も進めていた。しかし、ジャンギルも狙撃できたにも関わらず、イ・バンヒは狙撃しなかった。
様々な状況から不審に思い始めたジャンギルだが、たまたま捜査本部に飾られている熱帯魚の水槽の中から盗聴器を見つけてしまい、その熱帯魚がミョンヒョンの店から来たことを知りミョンヒョンこそがイ・バンヒではないかと疑う。一方ジュンウンも、狙撃した人物を追ううちに、その犯人がミョンヒョンの店に逃げ込み、そこでミョンヒョンこそがイ・バンヒだと知ってしまう。そして、ミョンヒョンを調べると、同じ名前の女性がサナトリウムにいることがわかり調べに行く。そこで、イ・バンヒの写真を見せると、姉だという。
その頃、単身ミョンヒョンの店に行ったジャンギルはミョンヒョンを問い詰めたが、パクが現れ銃撃戦になってしまい、ジュンウンも駆けつけたもののジャンギルは撃たれて死んでしまう。パクとイ・バンヒはその場を逃走し、政府に逃走のため、空港にー金と飛行機を要求するが、ジュンウンは、残りのCTXは北朝鮮と韓国の親善サッカーの試合のスタジアムに仕掛けられていると判断する。パクらは、両国の首脳を殺戮して南北統一を革命的に成功させようとしていた。しかしジュンウンの連絡に上層部は信じなかった。
単身、スタジアムに向かうジュンウンだったが、スタジアムではパクらが巧みに韓国警備員に変装して計画を進めていた。CTXは、北朝鮮と韓国の首脳の頭上の照明に仕掛けられていた。そして、昼にも関わらず照明が点灯される。ジュンウンは、管制室へ飛び込むが、パクらに拘束されてしまう。その頃、スタジアムの警備に来ていた新前諜報員のオが異常に気がつき、警備員らと管制室に突入、ジュンウンを救出し、パクらを倒し、すんでのところで照明を消すことに成功するが、スタジアムではイ・バンヒは、直接大統領らを狙撃するべく迫っていた。
大統領らは緊急避難をするがそれを追ってイ・バンヒ=イ・ミョンヒョンが迫る。ところが立ち塞がったのはジュンウンだった。計画失敗を判断したイ・バンヒは、取り囲む警備隊に発砲して自ら撃たれて死んでいく。ジュンウンは、その後上層部に取り調べを受ける。イ・バンヒは妊娠していた。そしてスタジアムに入る直前、ジュンウンに電話をし、来ないようにとメッセージを残していた。ジュンウンはサナトリウムへ行き、ミョンヒョンの妹に会い、お姉さんに会えなかったと語って映画は終わる。
終始、緊張感が途切れない一級品のエンタメで、とにかく面白い。じっくり思い返すとツッコミどころがないわけではないものの、単純に娯楽映画として楽しむには十分な出来栄えだったと改めて感心してしまった。