ほぼ7年ぶりの再見。癖になる陶酔感に浸れる傑作。明確な物語を語れないほどに伏線を張り巡らされた映像作りは見事というほかない。それでいて、全体を振り返ると、そういう話だったかと背筋が寒くなるほどにゾクっとしてしまうから凄い。これぞデビッド・リンチの世界である。
大勢の若者たちが踊り狂うブルーバックの場面から映画は幕を開ける。そして三人の女性のショットからカットが変わるとマルホランド・ドライブの看板から疾走する車をカメラが追っていく。一方で、若者たちが馬鹿騒ぎしながら車二台をぶっ飛ばしている。最初の車は暗闇の一角に止めたので、中に乗っていた黒髪の女が「ここに停めないで」と呟くと助手席の男が振り返って銃を向ける。そこへ、二台の車が突っ込んで大事故になる。
車が大破した所から、銃を突きつけられた女が呆然として出てくる。彼女は無傷である。そして裾に広がる夜景に向かって山を降り始める。そんな頃、女優を目指すベティは大女優の叔母の家に居候するべくやってきた。迎えたのはココという叔母の友人だった。その様子を道の隅で見ていたのはさっきに女だった。女は草むらに倒れていたが、隙を見てその邸宅に忍び込んで眠ってしまう。荷物を整理していたベティはシャワールームにいる女性を発見し、最初は叔母の友人と共同で住むのかと思ったがどうやらそうではなくその女は記憶がないことがわかる。差し当たりリタと名乗ったのでそのまましばらく一緒に住むことにする。リタは大金の入った鞄と謎の鍵を持っていた。
リタはマルホランド・ドライブで事故に遭ったらしく、ベティは警察に電話をして事故があった事を確認する。リタは鞄を持っていたが、なんと大金が入っていた。二人がたまたま立ち寄ったレストランで、ウェイトレスのダイアンと会う。その名前からリタは自分はダイアンという名前だと思い出す。ベティはその名前を電話帳で調べ、住所を確認する。
そんな頃、映画監督のアダムは次の作品の会議をしていたが、スポンサーから、主役はカミーラという女にするようにと強硬に指示される。気に入らないアダムは部屋を飛び出し自宅に帰るが妻は別の男とベッドにいた上、アダムは逆に追い出されてしまう。ここにチンピラが一人の男を殺し、自殺に見せかけようとしていたが、次々と目撃され、目撃者全員を撃ち殺す羽目になってしまう。
アダムの企画の映画は全て没になったという知らせが入り、まもなくしてカウボーイハットの男が接触してくる。そしてアダムが待ち合わせ場所に行くと、威圧的に脅され、仕事に戻るようにと強要される。アダムの家には大男がやってきて、アダムの妻とその愛人をぶちのめす。
ベティはこの日オーディションだった。ボブという監督のもとで、熟練俳優と濃厚なラブシーンを演じて見せて喝采を浴びる。結局、役はカミーラに決まった。しかし、その場にいたベテラン女優はベティを呼び出し、ボブのことを散々貶した挙句、アダムの撮影現場に連れていく。アダムはベティを見て気に入ってしまうがベティはダイアンとの約束があったのでそそくさと帰ってしまう。アダムはこの日カミーラの演技を見ていた。そしてそばにきたスポンサーに「彼女だ」と指示された通りつぶやく。
ベティはダイアンと、ダイアンが住んでいたらしいアパートへ向かう。しかし、住所の部屋番号には別の人物がいて、最近ダイアンと部屋を変わったという。ベティらはその部屋に行き、窓から忍び込むが中には女がベッドで死んでいた。ダイアンはショックで髪の毛を切ろうとするので、金髪のウィグをかぶらせる。ダイアンはベティと似る。その後二人はベッドで体を合わせる。しかし、そんな中、ダイアンは自分はカミーラという名だと記憶が戻り始める。カミーラは寝言で「静寂」と何度もつぶやく。そして、深夜、ベティを誘ってその劇場へ行く。ベティはキューブのようなものを持っていて、ダイアンが持っていた鍵で開くとカメラはその中に入っていき真相が見えてくる。
ベティとダイアン、カミーラが混沌とし始め、ベティは車でマルホランド・ドライブを走り、深夜の道端で停められる。ここは嫌というベティだが、そこでカミーラに出迎えられアダムがホームパーティをしている邸宅に行くが、そこでアダムとカミーラが親しくなりいちゃついているので嫉妬を覚える。ベティはチンピラに、叔母の財産で得た金を渡しカミーラを殺して欲しいと頼む。
ベティはベッドで、さまざまな悪夢が幻覚を見て、小人たちが出てきたり、ダイアンであったり、カフェの店員がベティに変わっていたりと現実と夢が混同され、ダイアンと交錯しベッドの上で自殺してしまう。冒頭の三人の女優か女性かのショットから、ベティとカミーラが行った深夜の劇場で「静寂」と役者がつぶやいて映画は終わる。
終盤は相当にシュールになっていき、これまでのエピソードが現実と夢を混同して交錯していく様は、混乱というより陶酔感をもたらす。これこそデビッド・リンチの映画という感じの一本でした。
「エストニアの聖なるカンフーマスター」ラファエル、リタ、イリネイ、ナファネエル
なんとも珍妙な映画だった。古き香港カンフー映画へのオマージュがあり、どこかで見たコミカルシーンの模倣があり、それでいて映像を遊びきったようにトリックシーンもあり、でも神と悪魔に話であったりと、ある意味支離滅裂で行き場が見えないままに、ラストはあっさり終わってしまう。ーまさに怪作という一本だった。監督はライナル・サルネット。
国境警備隊のラファエルの前に三人の修道士の格好のカンフーマスターが舞い降りて珍妙なカンフーとラジカセで踊りまくりながら警備隊を倒してしまう所から映画は幕を開ける。それ依頼ラファエルは、カンフーと音楽に夢中になるが、たまたま通りかかった修道院で、巧みなカンフーを操る姿を見て修道院へ入って修行しようと考える。
修道院の長老や先輩修道士のイリネイ関わりながらも、いつまで経っても謙虚さも悟りも見えてこないラファエルに、長老は都合のいい理屈をつけて導こうとする。しかし、思いを寄せるリタを連れ込んだりして欲望を抑えることもせず、イリネイとの諍いも絶えない中、とうとう、自分に修道士になる資格はないとリタと一緒に俗世間に戻って映画は幕を閉じる。
ワイヤーアクションを使ったカンフーシーンや、狭い空間で繰り広げる格闘シーンは、ー懐かしい香港映画を思い出し、懐かしいトリック撮影を組み合わせたレトロ感は独特の雰囲気を生み出しています。ただ、監督のノリだけで走る感じで全くお話が見えてこないので、何を見ていけば良いのかと混乱すすままに映画が終わってしまいました。まさにカルトムービーかもしれない一本だった。