「無言の丘」
名作だった。日本統治下の台湾を舞台に、安定した構図と美しい映像、登場人物それぞれを丁寧に描写していく演出が素晴らしい作品で、三時間近くありますが、ストーリーの構成もしっかりできていて、非常に厚みのある作りで退屈しないし、それでいて人間味溢れる見事な映画でした。監督はワン・トン。
かつて金粉を被ったカエルを見つけたことから金の採掘が始まったという老人の話から映画は幕を開ける。その場にいた農夫たちは、夢を感じて感慨に耽る。ここに父親の葬儀の費用を前借りして酷使されている農夫のチュウとウェイの兄弟は、このままだと殺されるだけだからと農場を逃げ出し、一攫千金を目指して蛙山を目指す。
霧深い中を進んだ二人は、金採掘場のある村にたどり着く。その入り口には一面に菜の花が咲いていて、傍に一人の少女が歌を歌っていた。ふと目を離した隙に少女は消えてしまったが、二人はそのまま村に入る。そして日本人が経営する金山の仕事にありつく。この日、落盤事故で二人が亡くなったらしく、さらに新しい所長が赴任してきた。お調子者の赤目が、男女の営みで遊べるおもちゃを売り歩いていて、金山の役人に叱咤される。
チュウとウェイは地元のズーという未亡人の家に下宿することになる。ズーは、大勢の子供を食べさせるため村の男たちに体を売って生活していた。ある時、採掘人の仲間で調子のいいゴンに誘われて、チュウとウェイは女郎屋に連れて行かれる。そこでウェイは一人の日本人女中冨美子と出会う。冨美子は菜の花畑で歌っていた少女だった。一方、チュウはズーのことが気に掛かり始めていた。ある日、かつての農場の男たちがチュウらを捕まえにくるが、採掘鉱夫たちが追い返そうと立ち向かう。チュウらは農場主に前借りして父の葬儀をあげ、返さないまま逃げてきたという事情を聞く中、チュウは自らの指を二本切り落とし、これで弟の分も含め待って欲しいと頼む。
そんな時、チュウらの採掘場で金が見つかり、チュウらは、尻の穴に隠して持ち出すことを計画する。一方女郎屋では、鉱夫たちから金を安値で買取転売して商売する計画を立て、村の外に持ち出すのに女郎に隠させることにする。しばらくは順調だったが、ある日突然、採掘場で身体検査が行われ、さらに女郎屋へも警官らが捜査に入って、見つけられた金は全て没収される。全て所長の指示だったが、実は情報を流したのは赤目だった。
赤目は冨美子を身請けして結婚させてもらう事を条件に所長に情報を流したのだが、結局所長は約束を反故にした。冨美子はやがて客を取るようになり、持ち前の器量良さから大勢の客を受けることになって体を壊してしまう。ウェイはようやく冨美子の客になれたが、ふらふらの冨美子には金だけ渡してその場をさる。そんな様子を見ていた赤目は、所長の家に行き、所長を殺してしまう。赤目は逮捕され、銃殺されてしまう。
採掘場ではゴロが、嫌気がさして山を出て行ってしまう。チュウはズーに客を取らせずに家に入り浸る。そんなチュウにズーは、いずれ田舎に行って農業を一緒にしようと仄めかし、子供達もすっかりチュウになついていた。いつものようにズーの家族と食事をしていたチュウのところにウェイがやってくる。新しい所長が来る前に勝手に金を採掘して逃げようというのだった。
チュウら数人が鉱山に入り、ダイナマイトを仕掛けたその時、会社の役人が踏み込んでくる。揉み合ううちに外に投げ出されたウェイ以外はダイナマイトの爆発で死んでしまう。新しい所長がやってきて、殉死した職員の慰霊碑に黙祷していた。ズーの家ではチュウの葬儀が行われ、今後チュウを祭りたいとズーが申し出る。ウェイが弟なので、周りの人々は懸念を示すが、ズーはコインを3回振って自分の思う通りに目が出たら供養する事を決め、結局、ズーはチュウの供養をする事ができるようになる。そしてこれまで、竹の筒に貯めていた金を出して、家族と共に農村へ帰っていく。
ウェイは、村の外れの菜の花畑に来ていた。そこには冨美子が座っていた。菜の花は、この村に冨美子が来た時、女郎たちと植えて毎年2回赤目と一緒に植え替えていたという。ウェイはこれからは自分が手伝うと申し出る。体も治ったという冨美子は、かつて体調の悪い時にお金だけもらったウェイに恩返しをしたいと考えていた。体しかないという冨美子は、ウェイを招き入れその場で抱き合って映画は終わる。
歴史背景をさりげなく描写しながら、登場人物それぞれの生き様を丁寧に紡いでいく作劇が素晴らしく、赤や黄色の色彩を散りばめた映像も美しい、相当なクオリティの名作だった。
「HAPPYEND」
なんとも視野の狭い上にスケールの小さい、子供みたいな脚本と、役者任せの演出で、まるで、一昔前の学生運動テイストで、いかにも今風な多民族問題やトランスジェンダー、多様性や自由を上滑りの知識で描く学園ドラマのようなクソ映画だった。こんな低レベルの作品を普通にシネコン公開しているのはどうなのだという一本でした。監督は空音央。
夜のライブ会場の入り口、高校生のユウタやコウたちが入ろうとするが入り口で止められ、裏口に回ってなんとか中に入る所から映画は幕を開ける。結局、警察が踏み込んで追い出されてしまったユウタたちは、一晩遊んで学校へ行く。ところが、校長のスポーツカーが、縦に置かれている事件が起こる。警察が捜査に入るも結論は出ず、それでも、何かにつけ問題を起こすユウタたちに校長も手を焼く。
治安のためにAIによる監視システムが導入され、学生たちは反感を抱く一方で、共感する生徒もいた。学外でも、警官による執拗な取り締まりがあり、その度にユウタたちは、ガキの知識レベルに反感を抱く。そして、とうとう校長室に立てこもり、学生の自由を要求、そんなこんながあって卒業式の日が来る。そして、ユウタが車の悪戯をしたと告白して退学処分になり、ユウタたちはそれぞれの人生を歩み始めて映画は終わる。
なんだこれはという低レベルのストーリーテリングで進む作品で、キャラクターの描き分けもできず、言いたいメッセージもその場限りの羅列に過ぎず、だらだら進む展開のまま、いかにも青春映画ですと言わんばかりのエンディングに苦笑いしてしまう。こんな映画を作るなと言いたくなる嫌悪感だけの一本だった。