くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「アット・ザ・ベンチ」「オアシス」(日本映画)「イル・ポスティーノ」(4Kリマスター版)

「アット・ザ・ベンチ」

動画配信されていた二話に三話プラスして公開されたオムニバス作品ですが、五つそれぞれ脚本家が違うゆえか、役者の演技力の差か、クオリティが一貫していないために、ちょっと最後に至って甘さが出てしまう仕上がりの映画だった。第一話、第二話が抜群に面白かったが、第四話がガクンとクオリティが下がり、なんとか第五話で持ち直すが、全体としてまとまっていないのはもったいない映画でした。監督は奥山由之。

 

何も無くなった公園に取り残されたようなベンチ、そこに一人の女性リコがやってくるところから映画は始まる。リコは幼馴染のノリくんを呼び、二人で、この公園がいつの間にか無くなったこと、近所のもやしの安いスーパーのこと、このベンチがなぜ残っているのかなどたわいない会話を続ける。公園には近々保育園が立つのだという。さすがに芸達者でアドリブか脚本かという曖昧な線を見事に描いて行くテンポがとにかく面白い。

 

第二話は、カップルが公園のベンチでお弁当を食べようとやってきて物語が始まる。女性はいつもバイク乗りの格好で来る彼氏に不満で、これまでも小さなあれやこれやの不満があったと語り出す。男の方がスーパーで買ってきた寿司を出したので、そのネタのように不満が寿司桶いっぱいになってきたと責める。二人の後ろに一人のおじさんがやってきて、途中からおじさんも加わり、三人で、女の不満と寿司ネタを絡めたたわいないあれこれが展開。これまた芸達者な掛け合いのリズムが絶妙で面白い。

 

第三話は、ベンチでホームレス同様に暮らす姉を探しにきた妹、二人が激しく口喧嘩している場面を手持ちカメラを振り回して物語が展開。姉は好きな男性を追いかけてここに来たものの、今は会うことも無くなった。しかし大事な人を守るためにこのベンチを守っているのだといい、妹も大事な姉を守るためにこのベンチで一緒にいると言って心が通じ合って行く。激しいカメラワークと叫ぶだけの会話の応酬だが、次第にドラマ部分が表に出てくる終盤がなかなか面白い。

 

第四話はこのベンチを撤去しに来た職員男女の会話。ベンチの一人称カメラで二人がチグハグな会話をするのを捉えて行くが、実は二人は宇宙人らしく、訳のわからない言葉の応酬になる。そこで、実はそれは撮影だったと、クルーたちとの打ち合わせの後、夜のベンチに、母星から迎えに来た宇宙人がベンチに話しかける。ベンチはもう少しここに居たいからというので宇宙人は帰っていってエンディング。職員二人の会話シーンが実に下手くそで、第三話までのクオリティが一気に落ちるのが気になるが、この辺りで息抜きするには良かったかもしれない。

 

第五話は、第一話のリクとノリくん、ノリくんはベンチに座りスーツ姿でパソコンで仕事の連絡をしているところにリクがやってきて、明日から保育園の工事が始まる話や、リクがここで出会った中学生カップルの話、大喧嘩している姉妹の話、最近十五歳という高年齢で大往生したペットのウサギの話などをする。どうやら二人は恋人同士になったのか近々結婚するのかを匂わせる会話の後、手を繋いでベンチを去ってエンディング。

 

草彅剛と吉岡里帆の第四話だけ、脚本も演技も、レベルダウンで、この辺りもうちょっとしっかり作れれば第五話につながって面白い一本の映画にまとまった気がします。

 

「オアシス」

荒っぽい脚本とカット割、勢いで突っ走る演出というギラギラ感満載の作品ですが、新人監督はこれくらいのぶっきらぼうさがあっていいと思う。物語が終盤に向けて次第にまとまって行く演出と、振り返ると意外にシンプルなストーリー構成で、見終わると一つの映像作品として仕上がっているのを実感してしまう。一級品というかどうかはともかく、なかなか次が楽しみな作品でした。監督は岩谷拓郎。

 

一人の若者富井が肩で風を切りながら通りを歩く姿から映画は幕を開ける。そして、薬の売人らしい男と接触し、男の車に乗るが、いきなりその男をリンチする。そして男のボス木村と呼ばれる荒くれ者たちに集まるところにやってきて、このあたりで商売するなと脅す。富井は菅原組という暴力団の構成員だった。一方、荒くれ者たちの中に幼馴染の金森がいた。

 

富井は、いつもコインランドリーで見かける同じく幼馴染の紅花が気になっていた。ある日、菅原組の組長の息子で、タチの悪い男が、紅花を脅していかがわしいクラブで働かせているのを見てキレてしまうが、富井の兄貴に押し留められる。一方、木村たちのグループで、金森を兄貴と慕う三井は、菅原組のやり方が気に食わず、血気流行っていた。そんな三井を金森は抑えていたが、ある日、三井は菅原組の組長の息子を襲う暴挙に出てしまう。

 

金森が駆けつけ、組長の息子に詫びを入れようとする。その頃、紅花に頼まれて同伴の途上にいた富井は、連絡を受けて金森たちのところへ向かうが、組長の息子は三井を殺した後だった。富井を追って紅花も駆けつけたので、富井も紅花も窮地に陥ってしまう。金森はキレて息子の子分らに襲いかかり、息子は紅花に襲いかかったので紅花が息子を刺し殺してしまう。仕方なく金森や富井はその場で大暴れして三人で脱出する。

 

息子を殺された菅原組組長らは金森らを探し始める。富井の兄貴の口利きで、富井に金森らを連れてくるようにと指示する。富井らがやってくると金森と紅花は拘束され、組長は二人に銃を向ける。耐えられず富井は助命を土下座して頼むが、組長は富井の兄貴に銃を預け、組長は富井と一騎打ちをしに行く。あわや金森らが撃ち殺されようとする時、木村らが駆けつけ大暴れし、富井は組長の一騎打ちで組長を刺し殺す。

 

木村に言われ、金森と紅花はその場を脱出富井と合流するが、目の前に富井の兄貴が立ち塞がる。しかし兄貴は銃を向けたものの三人を見逃す。車に乗った三人は何処かへ行き、車を降りてこれからどうするという金森の言葉に知らないと富井が答えて映画は終わる。

 

一見、雑なヤクザ抗争の映画かと思うのですが、次第に三人の幼馴染の物語になり、ヤクザの生き方に疑問を感じる組長らの姿が垣間見られた後、主人公三人の青春ドラマのようにエンディングを迎える。不思議に胸に何かを感じてしまうちょっとした映画だった。

 

「イル・ポスティーノ」

物語はシンプルに、映像は美しく、典型的なイタリアラブストーリーという感じの装いのヒューマンドラマ。名作と言われるだけある一本です。監督はマイケル・ラドフォード

 

主人公マリオがベッドの上で手紙のようなものを見ている。イタリアの小さな島、この日も水が出なくなったと父親が嘆いていて、息子のマリオに仕事につけと責めている。そんなマリオは映画館で、チリの共産党員で有名な詩人パブロ・ネルーダがチリを追放されこの地に滞在することが決まったというニュースを見る。マリオは村の郵便配達人(ポスティーノ)の募集案内を目にする。早速郵便局に行き、局長と会ってすぐに採用になる。とは言っても、この島にほとんど手紙は来ない。ネルーダ宛の手紙しかないから、毎日届けるようにと指示される。

 

マリオは、最初はチップ目当てでネルーダの家に手紙を届けるが、そこでネルーダは自作の詩を聞かせて、詩の隠喩について語る。自身もネルーダの詩に魅せられ、本にサインをもらったりしながら妻マチルデを愛するネルーダの温かい人柄に惹かれて行く。そんな時、マリオは居酒屋で働くベアトリーチェと出会い恋に落ちる。マリオは、ベアトリーチェに詩を贈りたい一心でネルーダに相談をするが、ネルーダは、ベアトリーチェ本人を知らないのに詩はかけないという。

 

マリオの熱心な思いに惹かれたネルーダはマリオと居酒屋に行きベアトリーチェと出会う。マリオは、もしベアトリーチェと結婚することになればネルーダに立会人になってほしいという。ベアトリーチェの母親代わりの叔母ローザは、マリオに悪さをさせられるのを恐れてネルーダのところに行き、マリオをベアトリーチェに近づけないようにしてほしいと頼むが、ベアトリーチェもマリオを愛するようになり、結婚することになる。もちろん立会人はネルーダだった。

 

結婚式のパーティの日、ネルーダにチリから、逮捕が取り消された通知が届く。晴れて故郷に戻るネルーダとマリオは抱き合って別れを噛み締める。しばらくしてベアトリーチェが妊娠したことがわかる。マリオはネルーダにちなんだ名前をつけるとベアトリーチェに話す。まもなくしてチリから事務的な手紙が届き、ネルーダの残してきた荷物を送れと言う。自分たちのことが忘れ去られたかと寂しい思いをしたマリオがネルーダの居宅に行くと、そこにネルーダがいた頃使っていた録音機のネルーダの声を聞くにつけ、自分が手紙を書くべきだったと知り、この島の波の音や風の音、魚の網の音や教会の鐘の音などを録音し始める。

 

そして五年の歳月が流れる。ネルーダ夫妻は再びこの島を訪れ、ベアトリーチェの働く居酒屋にやってきた。そこでマリオの息子らしい少年と出会う。奥から出てきたベアトリーチェは、マリオは息子の顔を見ずに死んだことを告げる。マリオは共産党の集会で、壇上で詩を朗読するように言われ、群衆の中壇上を目指したが、阻止する官憲によって重傷を負ってなくなった映像がかぶる。ネルーダは一人海岸を歩き、マリオが録音した音や詩を聴き感慨に耽る姿で映画は終わる。

 

物語が詩的で美しく、背後に流れる曲がまるでパブロ・ネルーダの詩がそのまま物語になったかのような錯覚に陥るほど効果的で美しい。映像より美しいストーリーに引き込まれてしまうあまりにもピュアなヒューマンドラマという色合いが素晴らしい作品でした。