「太陽の少年」
初公開より十分長い完全版。名作のクオリティ十分な映画だった。青春ドラマなのだが、散りばめられる中国近代史の空気、淡い恋物語、友情と、若さゆえの確執、そんな全てがまるで映像を操るように虚と実を織り交ぜながら描いて行く様は見事。キネマ旬報ベストテン二位は納得の一本でした。監督はチアン・ウェン。
1970年代初頭、文化大革命下の北京、街に人気もなく、シャオチュンら少年らの天下だった。小学校の校庭でカバンを投げ上げて高さを競うシャオチュンらのカバンが落ちてきて高校生の姿に時間がジャンプして映画は幕を開ける。シャオチュンは、合鍵を作るのが得意で、最初は自分の親の卓などを物色していたが、そのうち他人の家に忍び込んで見慣れない色々を触っては楽しむようになる。シャオチュンの仲間は年上のイクー、ヒツジ、活発な少女ペイペイ、アりんこ、そして頭に足りないクルクル達だった。
そんなシャオチュンは、ある家で水着姿の少女の写真が壁に貼られているのを見つける。どうやら仲間たちの間で噂になっているミーランらしいとわかる。すっかりその写真に一目惚れしたシャオチュンは彼女の部屋に日参するようになる。ある日、帰り忘れて彼女が戻ってきたのでベッドの下に隠れ、彼女の足を目撃する。
そんな時、クルクルをいじめた敵対グループにヒツジがやられ、シャオチュンらが仕返しに行き、シャオチュンは相手の一人をレンガで殴って大怪我させてしまう。結局ヒツジがやられた相手ではなかったのだが今更だった。次の日、シャオチュンは街で写真の少女と出会う。そして名前を聞いて彼女がミーランだと知る。シャオチュンはミーランを必死で口説くが、年上のミーランは彼を軽くいなすだけだった。一方、シャオチュンがレンガで殴ったせいで盧溝橋の下で果し合いをすることになり双方百人近くで相対することになった。しかし北京の顔役が双方を手打ちにして収めてしまう。
シャオチュンはミーランに頻繁に会うようになり、シャオチェンは仲間にミーランを紹介する。皆と打ち解けるミーランだったがイクーが彼女に近づくようになる。嫉妬を覚えたシャオチェンは、誰も登ろうとしない煙突に登ってミーランの気を引いたりする。ミーランとシャオチェンの仲間たちは、党幹部の映画会に忍び込んだり、屋根の上でロシアの労働歌を歌ったりして一緒に遊ぶようになる。シャオチュンとイクーは、年は違うが同じ誕生日だった。二人の誕生パーティーで、ミーランはイクーにマフラー、シャオチェンに赤いふんどしをプレゼントするが、シャオチェンはやたら絡み始め、ビール瓶を割ってイクーと喧嘩寸前になってしまうが、それはシャオチェンの幻覚だった。
プールに泳ぎに行ったシャオチェンらだが、ミーランの元カレピャオズが居合わせたため、トラブルになりかけるがイクーが収める。それ以来、ミーランはイクーの彼女になってしまう。シャオチュンの祖父が自殺する事件が起こり、シャオチュンはしばらく田舎に家族と帰る。戻ってきたシャオチェンだが、すっかりミーランはイクーの彼女になりきっていて、シャオチェンの妄想は膨らむばかりとなって行く。農園までミーランを送ったシャオチェンは、そこで反乱軍と戦ってミーランが死ぬ妄想を見たりする。
ますます居た堪れなくなって行くシャオチェンは、とうとう、ミーランの部屋に押しかけ彼女を襲ってしまう。ミーランの抵抗もあってシャオチェンは追い返されるが、シャオチェンとミーランの仲はこの日で終わってしまった。仲間たちからものけ者にされてしまったシャオチェンは、プールの飛び込み台から飛び込んでプールに上がろうとするも仲間たちに蹴り返される妄想なども見てしまう。その二ヶ月後ミーランは姿を消し、イクーは別の恋人ができた。
シャオチュンらは全員軍に入隊するがイクーは中越戦争で精神を患い、仲間たちも散り散りになってしまう。どこまでが夢か現実かわからないもののあの一夏の思い出だけが残った。時が流れ、大人になったらシャオチェンらがリムジンに乗っている。道をクルクルが走っているのを見つけ、サンルーフから顔を出したシャオチェンらが叫ぶ姿で映画は終わる。
中国近代史の中でもがく青年たちの瑞々しさを描く前半から、一人の少女に恋焦がれた主人公の切ない物語を現実と妄想を繰り返して行く後半と、多彩な映像表現が見事な一本で、二時間を超えるものの気がつくと終わっているという完成度の高さが素晴らしい名作でした。