くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「海の沈黙」「ドリーム・シナリオ」「太陽の下の10万ドル」

「海の沈黙」

書き込まれた脚本、掘り下げられた演出、圧巻の演技陣、美しい映像、そして物語は若干詰め込みすぎた感もあるがそれなりにシンプルに、非常にクオリティの高いしかも良質な秀作。こういう映画を見て評価しないと日本映画は廃れる。それくらいの仕上がりの映画だった。美とは何かを突き詰めていくメッセージも最後までブレない展開も素晴らしい。ただ難を言うと、ややぼやけた部分がちらほら見えるのは残念。監督は若松節朗

 

落日のカットから、レトロな室内で何やら占いをしてもらっている女性の場面から映画は幕を開ける。占い師はその女性に、かつて一人の男性に恋していたかのようなことを言うが女性は覚えがないと答える。この女性は田村修三画伯の妻で安奈と言い、蝋燭細工の工房で、火を灯すと涙を流したようになる蝋燭を作る。この日、東京国立美術館で美術展が開催されることになり、画壇の第一人者田村画伯、文部科学大臣らが挨拶のために集まってくる。ところが、田村画伯は自身の代表作落日の前で、怪訝な顔をする。

 

一通りのセレモニーが終わった後、田村画伯は、あの落日は自身のものではないと衝撃の発言をする。しかし、いまさら引き下がれない美術展の主催者たちは、頭を下げて目を瞑ってほしいと頼む。落日を借りてきた地方の美術館の館長村岡は、この作品に惚れ込んで買ったもので、田村画伯に惚れ込んでいる人物でもあったため、そのショックは並外れたものだった。しかも、隠蔽したまま美術展は開幕したが、直後、田村修三は、贋作であることをマスコミに告白する。

 

そして地元議会の追及にあった村岡は自殺してしまう。落日の贋作を描いたのは、学生時代の田村の同級生津山竜次であろうと推測された。学生時代、津山は、恩師の絵画の上に海の沈黙という絵を描いたために退学に追い込まれた。恩師の画伯は認めたものの周囲は許さなかったのだ。当時、津山は恩師の娘安奈と恋人同士で、潰した絵は恩師が安奈を描いたものだった。それ以来津山の行方は消えてしまう。

 

安奈は村岡の葬儀の帰り道、中央美術館の清家の車に乗り、そこで村岡が残した遺書を見せる。そんな姿を杖をついた一人の男スイケンが見ていた。津山は、小樽で廃校になった学校で作品を描いていた。小樽のバーで、中央美術館の職員が壁にかけられているドガの踊り子のような絵画を発見する。しかしドガの作品にこのようなものはなく、何者かの贋作だと清家は判断、かつて存在した津山という天才の存在を語り始める。

 

その頃、父が彫り師でもあった津山が手がけた刺青を背負っているボタンという名の女将にスイケンは契約切れの金を届ける。ボタンは次に選ばれたクラブのホステスアザミに会いに行き、その後入水自殺する。アザミは津山のところへ行き、体を見せる。スイケンは安奈を小樽に呼ぶ。津山は肺癌を患っていて、知り合いの病院にかかっていたが、余命わずかだと宣告されていた。安奈は津山に自身の作った蝋燭をプレゼントする。

 

田村と清家は、津山と会う約束をするが、津山の病状が悪化し、スイケンが田村たちに会いにホテルにやってくる。そして、三十年間そばにいたスイケンは、津山の思いを田村たちに話す。名前や金、周囲の言葉だけで美が飾られることに津山は疑問を感じていたのだという。落日の贋作は清家の元に引き取られることになる。清家は津山が以前書いた海の沈黙の絵を見たいというが、その絵の上に落日を描いたのだとスイケンは答える。

 

津山の病状は悪化、この日、田村修三は叙勲を受けることになっていたが、津山の危篤の知らせがスイケンから安奈に届く。安奈は病院に駆けつけるが、津山は目を開けなかった。傍には安奈がプレゼントした蝋燭が灯っていた。安奈はその場を後にする。安奈が去った後、津山は目を覚ます。ところが、津山が病院からいなくなったと知らせが届き、津山を支援する友人たちが廃校に駆け寄るが、スイケンの腕の中で津山は生き絶えていた。アザミはその場で号泣する。こうして映画は終わっていく。

 

少々、エピソードを詰め込んだ気がしなくもないものの、作品の出来栄えはなかなかのもので、叙情的な画面が実に美しく、テーマとなる絵画それぞれも目を引くほどに素晴らしい。そのこだわりが映画全体を拡張高いものに仕上げていて、美とは何かをというテーマを徹底的に描いていく展開は秀逸。演技派の役者を揃えた重厚感も映画を盛り上げている見応えのある一本でした。

 

「ドリーム・シナリオ」

シンプルな話をひたすら引き延ばした感じの作品で、アイデアは面白いが、ホラーでもサスペンスでもなく、と言ってシュールでもなく、何やらメッセージが見えてくる終盤は、どうもまとまりがない。アイデアのみでそのほかがついていかなかった感じの一本だった。監督はクリストファー・ボルグリ。

 

プールの脇で枯れ葉を掃除している中年のポールの姿。傍に娘のソフィがいる。空から鍵が落ちてきてガラステーブルを壊し、靴が落ちてきて人が落ちてくるがポールは何もしない。という夢を見たという話から映画は幕を開ける。大学教授のポールは、講義でも人気はなく、昔考えたアイデアが同僚の論文にされそうだと勝手に証拠探ししたりする。そういう本人は何の論文も書けない。

 

ところが、ある時から、ポールが夢に出てくるという噂が広まる。しかも、夢の中でポールは何もしないのだという。次第に話題になり始め有頂天になってくるが、ある時、ポールが暴力を夢の中で振るって以来、夢の中でポールに危害を加えられるという噂が広がり始める。今度は周囲はポールを悪であるかのように見て、嫌がらせも始まる。そんな彼に、広告代理店が彼を宣伝に活用しようと近づいてくる。自身の本の出版を条件に話を進めるが、納得がいかないポールは基本的に断る。

 

しかし、代理店の若いモリーは、夢でポールに迫られたと自宅に連れて行き再現を試みるが、ポールは上手くいかず帰ってくる。娘のソフィやハンナの学校でもポールは危険視され始め、大学でも休職を勧められ、妻のジャネットも仕事を失いそうになる。しかも、ポールは夢の中で自分がボーガンなどで襲われる夢を見るようになる。

 

ところが、その後、突然ポールがいなくなり、夢の中に入れるウェラブル端末が発明される。それはブームとなり、様々な人の夢に入れるようになる。ポールとジャネットは別居してしまうが、ポールは一人ウェラブル端末でジャネットの夢の世界に入り、ジャネットと仲睦まじい頃の夢を見て映画は終わる。

 

何とも言えないダラダラ間延びした展開で、終盤、ウェラブル端末が出てくるに至ってはこれまでの話は何だったのかと思えてしまった。A24は時としてこの手のはてな映画を出すのに引っかかった感じでした。

 

「太陽の下の10万ドル」

淡々とトラックが砂漠を突き進むだけで、キレのないストーリー展開とコメディタッチの流れで、非常に長く感じてしまった。監督が監督だけに期待はしたが、それほどでもなかった。監督はアンリ・ヴェルヌイユ

 

砂漠地帯を一台のトラックが走ってくるところから映画は幕を開ける。運転しているのはマレックというベテランドライバー。会社に戻ると新人らしいハンスという男がいて、入ったばかりの新車に乗って明日荷物を運ぶのだと社長に言われる。マレックの同僚で同じくベテランのロッコらとその日はしこたま飲んで、翌朝、新車のトラックが出ていくのを社長が送り出すが、実はロッコが恋人のペパを乗せてトラックごと盗んだのだった。

 

社長はマレックに後を追いかけるように依頼、首になったハンスを乗せてロッコのトラックを追っていくのが本編となる。途中何度もマレックのトラックはトラブルになるが、通りかかった石油運搬のトラックに助けられ、途中、破損したまま走ったロッコのトラックに追いつくが、ロッコは銃でマレックを脅して荷物を積み替えてマレックのトラックごと走り去る。例によって石油運搬のトラックが通りかかり、マレックらはロッコが目指した街に辿り浮く。しかし、ロッコは処分して十万ドルを手にしようとしていた品物はペパに車ごと盗まれて一文無しになっていた。マレックと呆れた状態で映画は終わる。

 

ひたすら砂漠を走るだけの映画で、途中のトラブルも都合よく乗り越えての同じパターンの展開はさすがにしんどい。もっと引き絞った脚本で、見せるところにキレを見せてくれればもっと良かったと思える映画だった。