「雨の中の欲情」
現実か夢かはたまた漫画の中の世界か、目眩くようなシーンの交錯に中盤以降はとうとうついていけなくなった。果たして現実の話はどれだったのかと混乱してしまい、原作がどうなのかわからないが少々作りすぎの感がないわけではない。ただ、鏡を使ったり、プリズムの光を多用したり、突然服装が変わったりと、シュールな雰囲気なので、結局全てが心象風景の物語だったのだろうかと感じてしまいました。とはいえ映像作品としては面白かった。監督は片山慎三。
動物の交尾や、戦争シーンなどが細かく挿入されて画面は土砂降りのバス停の小屋、一人の女性が雨宿りしていてそこにもう一人の男性が入ってきて映画は幕を開ける。雷鳴が轟き、女性はその度に絶叫、男は金物は危ないからと言ったので女性はアクセサリーを全て外す。さらに服のボタンの金属も危ないと男性が言うので女性は服を脱ぎ下着だけになる。さらにブラの金具も危ないと言うのでブラも取ってしまう。男は小屋の屋根に自転車が置かれていたので、ここにいるのも危ないと女性の手を取り雨の中へ、直後落雷して小屋は燃える。
泥田の中走る二人だが、ナイロンの下着も静電気が危ないと言う言葉に身の危険を感じた女性は逃げようとするが男はそのまま女性を襲いレイプする。空に虹がかかる。その瞬間、寂れたアパートで義男が目を覚ます。部屋に虹色のプリズムの光。あれは夢だったのか、漫画家を目指す義男は今の夢を漫画に描く。そこへ片足不自由な大家の尾弥次がやってきて、引っ越しの手伝いについてこいという。同じ住人の伊守も一緒に福子という女の元へ行く。義男が福子を呼びに部屋に入ると、全裸で向こう向きに福子が寝ていたので、義男はデッサンする。目を覚ました福子と荷物を運び出し、アパートへ向かう。義男は妖艶な福子に惹かれる。
福子が働くカフェで義男は伊守と飲んでいたが、伊守が言うには福子には恋人がいるという。義男は伊守にいい話があると言われて訪ねると福子がいた。福子の恋人は伊守だった。伊守は南町ではやっている百名店の雑誌を北でも発刊すれば大儲けができると提案し、営業のベテランの男らを交えて市場の店にスポンサーになってもらうように回り始める。ところが、営業のベタランという男が顧客をたくさん取って金だけ持って逃げたことがわかり、伊守と福子は、市場の店主たちから逃げるために義男の家に転がり込んでくる。
夜、伊守と福子が愛し合うのを見た義男は、ムラムラした気持ちで夜の街に出る。そこで一人の女を見つけ後をつけるが。女は突然飛び出してきた車に轢かれ泥田に飛ばされてしまう。車が逃げたので義男は女の元へ駆けつけるが、女の下着が顕になっていたのでつい手を入れてしまう。ところが目が覚めると自宅だった。
夢だったかどうかと思っていたが、近所で轢き逃げ事件があったと聞かされる。警察が女のそばにあった足跡の人物を探していると聞いて義男は靴を買い替えたりして神経質になる。やがて伊守は、南へ帰ると福子を置き去りにして出ていく。南で伊守は大富豪の養子で、妻も子供もいるのだと言う。
大家の尾弥次がやってきて、仕事があるから手伝えと言うので福子と怪しげな建物へ向かう。そこで祭りのような服と仮面をつけて大勢の子供を脅かす。すると看護師らしい人物らが子供のつむじに注射針を刺して何やら液体を抽出する。この液体はつむじ風と言って、南ではダイヤモンドより高価な薬なのだと言う。義男は尾弥次と南へ一緒に行くといい、福子も義男を探しについていくことになる。
途中南北間の検問があったが、つむじ風を運んでいると言うと通してくれた。南でつむじ風を海から来た男たちに大金で売り捌き、伊守の家らしい御殿へやってくると妻と子供が応対した。そこへ義夫が帰ってきたので、福子はかんざしで刺し殺そうとする。義男はそれを止めて、三人は北へ戻ってくる。戻ってから義男は福子と体を合わせるが、気がつくと野戦病院のベッドの上だった。彼の左手と右足はなくて、重傷で横たわっていた。伊守が見舞いに来る。そこの医師は尾弥次で、五体満足な姿だった。どうやら義男は夢を見ていたのか。
ここから、義男が日本軍の兵士として戦い重傷を負うくだりや、かつてひき逃げされた女と出会い、話していると日本軍が襲いかかってきたり、さらに目が覚めて北で漫画が完成して出版社へ向かう姿になったりと、これまでの場面が夢か現実かわからないままに時間と空間の交錯を繰り返していく。時にカットが変わると服装が変わっていたりするのでますます錯綜してくる。
尾弥次の裏の仕事が警察に知れることになり、警官が押しかけてくる。果たして、義男は日本軍として兵士だったのか、漫画家としての存在が現実なのか。福子は義男とボートに乗り、普通の生活がしたいと呟くかと思えば、福子は娼婦で娼館で男に抱かれ、壁に義男が冒頭で書いたデッサンが貼られていて、義男はただの客であるかのセリフも入る。冒頭のバス停の場面や、義男が見ているであろう部屋に光るプリズムのカットなどが交差して、映画は終わっていく。
終盤三分の一は果たして何を理解したら良いのか完全にわからなくなった。とは言っても、その混乱が映像作品として目眩く陶酔感で面白かったのも事実である。傑作というより怪作という感じの映画だった。