くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「ザ・バイクライダーズ」「ガラスの中の少女」(吉永小百合版)「草を刈る娘」

「ザ・バイクライダーズ」

シカゴの写真家ダニー・ライアンが1965年から1973年にかけて撮った写真集をもとにした作品。時代背景ゆえかどこか懐かしさを感じてしまう、かつて世界を席巻したバイク乗りの青年たちの物語という感じの一本。しかし描かれる背後に、当時の若者たちの心根、そしてベトナム戦争など歴史の一ページなども組み入れて一つの時代を丁寧に描いた演出がとってもいい作品だった。終始聞こえてくるアメリカンバイク独特の音が、大人になりきれない男たちの一途な生き様を盛り上げて、今はなくなってしまった何かを感じさせてくれる心に残る映画でした。監督はジェフ・ニコルズ

 

レイクサイドのバーカウンターで、一人の男ベニーが酒を飲んでいる姿を背後から映して映画は幕を開ける。傍に二人のチンピラが現れ、ベニーのジャンバーのヴァンダルズの名前にイチャモンをつけ、脱げと迫ってくるが、ベニーが無視したので二人はベニーに殴りかかる。摘み出されたベニーはナイフを一人に切りつけ、もう一人がスコップで殴りかかろうとして場面が変わる。バイクライダーたちにインタビューをするカメラマンはキャシーというベニーの妻にインタビューをしている。

 

シカゴ、キャシーは普通の生活をしていたが、女友達に頼まれて男臭いクラブにやってくる。そこでキャシーはベニーという顔はいいがキレやすい男と知り合う。このクラブのオーナージョニーは、バイク乗りが集まる場所にここを作ったらしい。そしてキャシーに近づき、ここでは何も起こらないから安心するようにいう。用が終わってキャシーは店の外に出るが、大勢の男たちも一緒に出てくる。ところがそこにベニーが現れ、キャシーは惹かれるようにベニーのバイクに乗って走り去る。そして明け方近く家に戻ってきたが、キャシーの恋人が待っていた。

 

一夜が開けてもベニーはキャシーの家の前にいた。キャシーの恋人はキレて出て行ってしまう。キャシーはそんなベニーと付き合い始め、五ヶ月後結婚した。ベニーはジョニーのクラブに集まったバイク乗りたちとヴァンダルズを結成、みるみる組織は大きくなって行く。しかし組織が大きくなるとメンバーの一人ソニーは地方に支部を作ることを提案してくる。やがて各地に支部ができ始め、そんなヴァンダルズに、若いバイク乗りも憧れてやってきたりする。若いメンバーはベトナム戦争帰りが多く、ドラッグに染まっていた。

 

そんな中、冒頭のシーン、ベニーはバーで飲んでいて二人に絡まれる事件が起こる。ベニーは一人の男に足を折られ重症になって入院してしまう。怒ったジョニーはそのバーに行き、二人を見つけ出し、バーに火を放つ。しかし今や巨大組織になったヴァンダルズに、地元警察も手を出そうとしなかった。ジョニーが、リーダーの後継にベニーを選んで相談するが、ベニーは複雑な思いだった。キャシーはそのことは知らず、大怪我をしたベニーにヴァンダルズから抜けることとバイクを止めることを懇願する。

 

ある夜、旧メンバーのゴキブリと異名のある男は若いメンバーに、ヴァンダルズをやめて白バイ警官になるという告白をするが、若いメンバーはゴキブリに襲いかかってしまう。重傷のゴキブリをベニーらが病院へ連れて行くが、その頃クラブの中で一人待っていたキャシーは若いメンバーらに襲われる。すんでのところでジョニーに助けられるが、組織の中は旧メンバーと新メンバーの軋轢が露わになり始めていた。キャシーは翌朝、ベニーに、あの時そばにいなかったことを責める。

 

ジョニーはベニーとゴキブリの家を訪ね、ジョニーがゴキブリの足を銃で撃って、脱退を認めてやる、そんなジョニーにベニーは違和感を覚え、ベニーはそのまま姿を消してしまう。しばらくして、かつてメンバー参加を希望してきてジョニーに断られた若者が。地方の支部でヴァンダルズに加わり、ジョニーに挑戦してくる。そして翌日の夜、ナイフで決闘することを決める。

 

翌日、キャシーの元を訪れたジョニーはベニーがまだ行方不明だと確認して別れて行く。決闘の場で、ジョニーは車で仲間とやってきたが、相手はバイクで集まってくる。ジョニーがナイフを手に相手の前に立った途端、相手は銃でジョニーを撃ち殺してしまう。そして新たにリーダーとなった若者は組織をならず者集団に変え、ドラッグ、売春、暴力に染めて行く。地方でジョニーの死を知ったベニーはある朝キャシーの元に戻ってくる。そして従兄弟の自動車修理工場で働くようになる。キャシーがその様子をカメラマンのインタビューに答え、ベニーがキャシーがいる窓を見上げてニコリと笑って映画は終わる。

 

アメリカンニューシネマの頃を背景にした作品なので、今となってはノスタルジー満載の空気感になってしまうが、それはそれで、主人公たちのがむしゃらな生き方を感じられて、不思議な感慨に耽ることができた。悪く言えば古臭いテーマかもしれないが、こういう映画は作られて然るべき一本だと思います。

 

「ガラスの中の少女」

今となっては一昔前の物語なのですが、当時の世相をしっかり把握していないとこの映画自体は勘違いしてしまうと思います。吉永小百合浜田光夫コンビの第一作、60分余りの中編ですが、背景の景色を映像で二重露出して描いたり、いわゆる、尺を合わせるための工夫は随所に見られる職人芸的映画だった。監督は若杉光夫

 

霧深い湖、土地の男たちが湖に女の子が浮かんでいると叫んでいる場面から映画は幕を開ける。浮かんでいるのは靖代という女学生で、彼女の回想から物語は始まる。

 

女学校に通う靖代は地下鉄の出口で幼馴染の陽一と再会する。洋一は中学時代靖代にラブレターまがいの手紙を出して、靖代の父杉太郎に怒られたことがあった。杉太郎は大学の先生で、靖代の亡き父の恩師だったが、父が戦死して靖代の母里子と結婚して靖代の父となったのである。

 

陽一は中学校を出て近くの町工場で働き、飲んだくれの父と生計を支える母、幼い弟と暮らす貧乏家庭だった。杉太郎は靖代に厳格で、ちょっとしたことも許せないタイプだった。そんな杉太郎は教授に昇格し、その祝いの席で飲んで帰った夜、靖代は杉太郎に抱きしめられて、なぜか嫌悪感を覚えてしまう。そして翌日は学校を休んで陽一と会い遊びに行く。

 

遅く帰った靖代に杉太郎は厳しく接する。一方、陽一は家で喧嘩をして飛び出して、同僚の男の下宿に転がり込む。陽一は靖代に会いたくて手紙を里子に託すが里子はその手紙を焼いてしまう。杉太郎は北海道への転任が決まり、最後に会いたくて靖代は陽一の工場へ会いに行く。そして二人は近くの湖に遊びに行き、靖代が持ち出してきた薬を飲んで心中する。杉太郎と里子は、自身を反省し、車で康代の死体確認に出かける場面で映画は終わる。

 

つまり貧富の格差の話であって、頑固親父の話ではない点がこの映画を理解する上で大事なことで、制作された1960年を考えると、なかなか時代をつかんだ作品といえばそういう一本だった気がします。

 

 

「草を刈る娘」

原作石坂洋次郎らしい、平和な日本の清純青春映画という感じのほのぼの映画だった。今は失われた東北の農家の風景の中、方言満載で展開するたわいない恋物語に、思わず微笑んでしまう展開が楽しい。文芸映画としてはちゃんと作られた感も見どころの一本でした。監督は西河克己

 

津軽の山の麓、そで子が、姪のモヨ子を馬車に乗せて草刈りにやってくるところから映画は幕を開ける。別村のため子とそで子は毎年、この草刈りで、若い男女を引き合わせるのを常としていた。ため子は村の若者時造を連れてやってきていた。モヨ子が野菜を洗っていると、川上で馬を洗っている時造と出会う。一目で惹かれあった二人は親密になって行くが、時造は同じ村の若者に、女は力づくで迫られるのを待っているなどと言われ、モヨ子と一緒に馬に乗っていて転げ落ちた際に、つい覆い被さってしまってモヨ子に噛みつかれてしまう。

 

モヨ子と時造は一時喧嘩仲になってしまう。そこへモヨ子の幼馴染の一郎が帰ってくる。一郎はモヨ子に求婚するつもりで、モヨ子もその気になりかけるが、村祭りの時、そで子が湯あたりで倒れた際に時造が世話をし、モヨ子は時造を許しかける。そこへ一郎が立ち塞がり、二人はモヨ子をかけて喧嘩をするも、モヨ子は負けた時造に寄り添ってしまい、一郎は諦めて身を引く。

 

そんな時、村の女が、男に殺される事件が起こり、不安に震えるモヨ子に時造がプロポーズする。時造を許したモヨ子は時造のプロポーズを受け、それを知ったそで子たちも大喜び。やがて草刈りが終わり、馬車で引き上げて行くモヨ子とそで子のそばを馬に乗った時造が駆け抜けて映画は終わって行く。

 

なんとも平和な作品で、殺人が起こる割にはあっさりと流してしまうし、恋敵は潔く東京へ帰って行くし、仲違いもすぐに気持ちよく仲直りしてハッピーエンド。本当になんの蟠りもない娯楽映画だった。