「山遭いのホテルで」
淡々と静かに進むストーリーですが、次第に心のうねりが見えてきて、母と子それぞれが未来に進まんともがく姿が画面から滲み出てきて、ラストはなんとも言えない胸を打つ思いを体験する作品でした。カメラも静かで美しいし、主要人物二人の表情も素敵。良質の一本だった。監督はマキシム・ラッパズ。
ダムのそばに立つ山間のホテルに向かう列車に乗っているクローディーヌの後ろ姿から映画は幕を開ける。ホテルに着くと、フロントの男性に客の情報を聞いて客の男性に近づき、一時のSEXを楽しんで家に帰る。家では障害のある息子のパディストが、近所のシャンタルという女性に世話になって待っていた。クローディーヌは、自宅で服飾の仕事をし、パディストをシャンタルに預けてはホテルに行ってアバンチュールを楽しむ日々だった。ホテルで客から聞いた街々の話を手紙にして、パディストが憧れるダイアナ妃の雑誌の切り抜きを入れて投函、パディストには父からの手紙だと言って語る日々だった。
そんなクローディーヌは、ある日ホテルでミヒャエルという男性に声をかけられ、ひとときのSEXをする。どこか惹かれるものを感じたクローディーヌは、後日ミヒャエルに再会する。彼は水力発電の専門家で、この地に出張できているのだという。クローディーヌは、次第にミヒャエルと繰り返し会うようになるが、ある夜パディストのことを忘れて遅くに帰って、パディストが風呂で一人になってしまう。シャンタルが帰っていたので文句を言って首にし、パディストを施設に連れて行く。その帰り、ミヒャエルは街でクローディーヌがパディストと一緒にいる姿を見かけるが、後日ミヒャエルに聞かれたクローディーヌは、人違いじゃないかとパディストを隠してしまう。
ミヒャエルは、アルゼンチンに出張が決まり、クローディーヌに一緒に来て欲しいと頼む。クローディーヌは、パディストを施設に預けることにする。その頃、ダイアナ妃が事故で亡くなってしまう。クローディーヌは、ミヒャエルが待つバス停にやってくるが、いざバスに乗ろうとすると罪悪感なのか息苦しくなり、結局ミヒャエルと行くことを断念する。施設に戻ったクローディーヌは、パディストに花束を渡すがパディストはその花を手にせず、施設でできた友人?あるいは彼女と去っていく。その姿を見て、パディストも未来へ進んだことをようやく知り、自分の方が子離れできていなかった現実を突きつけられて施設を後にしてこちらに向かって歩いてくる。そして、息苦しいように言葉を発するクローディーヌのショットで映画は幕を閉じる。
大人のラブストーリーであり、母と子の自立に向かうお話でもある重曹的な作りが淡々とした画面に盛り込まれている演出と脚本が実に上手い一本で、真摯で丁寧な作品のお手本のようななできばえの一本だった。
「クラブゼロ」
奥の深い斜めに捉えたカメラアングルと、引きと寄りを繰り返すカメラワーク、背後に流れるクリスマスソング、無表情な演技などなど、全編シュールな装いで展開する不条理劇的なスリラー。俗っぽい解釈をすれば、大人たちに強制されるさまざまに対し子供たちが、一人の教師によって目覚めさせられる物語。あるいは、当然のように食を貪る現代人が、その根本的な感謝を思い起こさせる宗教的な物語。あるいは、単純に神か悪魔かわからない存在として登場する教師が子供たちを連れ去るホラー。そんな様々を組み合わせて、交錯させて淡々とラストに向かっていく背筋が寒くなるような作品という一本だった。エンディングは明らかに最後の晩餐であるかの構図に見えるから宗教色が背後にあるのだろう。監督はジェシカ・ハウスナー。
鋭角に構えたカメラアングルで、幾何学的に並べられたテーブルと椅子が数人のイエローの制服を着た男女によって円形に並べられ座る場面から映画は幕を開ける。中心である栄養学の教師ノヴァクによって、意識的な食事について語られている。それは少食であることこそが社会的な束縛から解放されるというものだった。母と二人暮らしで奨学金を貰うために勉学に勤しむベン、拒食症に悩むエルサ、トランポリンが得意なラグナ、両親が海外にいるフレッド、そしてヘレン達だった。
生徒達はノヴァク先生の指導を早速実践し始め、食事は極端に少なくなって親達は危惧する。しかしネットの評判でこの学校にノヴァク先生を呼んだのは父兄だった。校長もノヴァク先生に期待し、生徒達はさらに食事を完全に断つようになっていく。そんな時、ノヴァク先生がフレッドを連れてオペラを見に行っているのを目撃され、父兄達は問題視してノヴァク先生を辞任に追い込む。しかし、生徒達の食事への拒否はさらにエスカレートし始め、命の危険さえ感じた父兄らはノヴァク先生に戻ってもらうことにする。しかし、ノヴァク先生は、自分に賛同してくれたベン、エルサ、ラグナ、フレッドにクラブゼロの会員参加を認める。
クリスマスの夜、ベン達は家族のもとで普通に食事をし、親達は一安心するが、翌朝、四人は姿をくらましてしまう。たまたまヘレンは両親とスイスに行っていたため、行方不明にならなかった。ノヴァクの部屋に飾られた絵画の中に四人の生徒が入り込みノヴァク先生と円になっている。一堂に会した父兄とヘレン、そして校長らは自分たちが誤っていたのか考え、自分たちも食を断てば子供達に会えるのだろうかと相談するが、ヘレンは意識を持って食事しなければ意味はないと告げる。カメラがゆっくり弾いていくとヘレンを中心にした父兄達の座る姿は最後の晩餐の如くになっていた。こうして映画は終わる。
素直に、ノヴァク先生という悪魔がなしたシュールなホラー映画だと割り切った方がわかりやすいのかも知れず、至る所に出てくる様々が何かの風刺だと勘ぐり始めると混乱するような気もします。オリジナリティあふれる独創的なホラーミステリー映画ということで感想を締めくくりたい、そんな映画だった。