くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「若い人」「ヴァラエティ」「エニバディズ・ウーマン」「エンプティ・スーツケース」

「若い人」

石坂洋次郎原作らしいゆるゆるの青春映画という感じの作品で、これという見どころも見応えもなく、石原裕次郎吉永小百合浅丘ルリ子のスター映画という一本だった。監督は西河克己

 

港町の女子校、若き間崎先生が教室でテストを配る場面から映画は幕を開ける。独身で颯爽とした間崎先生は女生徒の憧れでもあった。遅刻して江波恵子が登校してくる。江波は密かに間崎先生が好きだった。同僚の橋本先生も間崎のことが好きだったが表立って態度には見せないクールさがあった。

 

江波の母は、いわゆる娼婦の如き職業で江波を育て上げた女性で、男にだらしのない性格だった。江波は間崎の気を引こうと事あるごとに間崎に近づいてくる。修学旅行では母のことや間崎への思いで、感極まることも頻繁にあった。橋本は江波が家庭事情を書いた作文を間崎に見せる。

 

その作文を読んだ間崎は、江波の家庭訪問をしようと自宅にやってきたが、江波の母の情夫らしい男がいて、その男に船乗り仲間が喧嘩を売ってきて、そのとばっちりで間崎は怪我をして江波の家で一夜を明かす。江波の母は恵子を間崎とくっつけようとするが、江波に語りかける中で、間崎は橋本先生を愛している事に気がつく。そのことをはっきり江波に告げ、江波も諦めた風にさっぱりと間崎を学校へ送り出す。登校してきた間崎を見つめる橋本の姿で映画は終わる。

 

なんのことはない物語で、三角関係の恋愛ドラマも、それほど緩急の効いた展開もなくだらだら流れていく。思春期の少女に危うさを原作は語っているのだろうが、その辺は適当に流れ、本当に当時の日活のスター映画以外の何者でもない作品だった。

 

 

「ヴァラエティ」

いかにもインディーズという感じの一本で、安価なフィルムによるものか画面が暗いしピントは甘いので、特に前半はかなり退屈だったが、中盤を超えてくると、次第にこの映画の面白さが見えてきた。ヒッチコックの「めまい」をモチーフしたというだけあって特に後半のミステリー色はちょっと面白かった。監督はベット・ゴードン。

 

プールで泳ぐ女クリスティーンの姿から映画は幕を開ける。仕事をしないといけないと友人と更衣室で話していたがその友人に紹介されて

ヴァラエティというポルの映画館の受付の仕事に就く。なんのことはない日々だったが、ある日の休憩の時に自販機でコーラを買ってこぼしてしまう。そこへ一人の中年男がコーラを差し出し、後日また会おうと誘ってくる。当然クリスティーンは聞き流すが、何度か映画館に来るようになったその男性に次第に興味を持ち始める。クリスティーンは恋人と会ってもポルの映画のシーンを語るようになる。このシーンは不思議に幻想的で面白い。

 

男はクリスティーンを野球に誘うが、連絡が入った男は試合途中で退席してしまう。クリスティーンは、黙って男の後をつけ始める。男は事務所らしいところに立ち寄り仕事の話をしている風で、後日はアダルト書店に立ち寄ったりする。クリスティーンは、男をひたすらつけ回し、最後にある交差点で会おうと電話をする。夜の交差点が映され、誰も来ない映像で映画は終わる。

 

なんとも言えない作品ながら、男を追いかけ回す女の話に焦点を絞った作りはなかなか面白い作品だった。

 

「エニバディズ・ウーマン」

「ヴァラエティ」に先駆けて、ポルの映画館ヴァラエティを舞台に作られた短編作品。物語といっても「ヴァラエティ」の小さなエピソードのあれこれが描かれるのみの作品でした。監督はベット・ゴードン。

 

物語というのはほとんど語りだけで綴られ、冒頭にヴァラエティの正面が映された後は、様々なアダルト施設が映され、「ヴァラエティ」の小さなシーンの数々が語られて映画は終わります。

 

「エンプティ・スーツケース」

実験映画という感じの一本で、小さなシーンや写真がまるでスクラップブックのようにつなぎ合わされていくので、延々と終わりなき映像の集大成で、シカゴとニューヨークを行き来する女性を通じて、疎外感や、孤立感、そして女性の自立、社会への反発などが語られる。監督はベット・ゴードン。

 

物語というものはなく、男女の痴話喧嘩、爆弾の作り方、殺伐とした都会の景色、乱立するビル群、自己主張する女性達の姿などが繰り返し繰り返し貼り付けられていく様が冒頭からラストまで描かれて映画は終わる。