15年ぶりの再見ですが、やっぱりいい映画ですね。心がとっても優しくなってしまうし、映像が美しいし、とにかく映画が楽しい。監督はパーシー・アドロン。
殺伐としたハイウェイの隅で、一台の車に乗っている男女、女は車のそばで用をたしている。男はイラつき、二人は乗るのか降りるのかを繰り返して喧嘩腰である。とうとう、女は降りてしまい男は車で去って行こうとする。途中で、黄色のポットを道端に下ろし走りさる。女は一人スーツケースを引きずって歩いていく。こうして映画は始まる。空に二つの光が浮かびあがり、それを見つめる女の姿。女の傍を一台のトラックが通りかかり、乗せようかと誘うも女は断る。トラックの荷台には、黄色いポットが乗っている。
さびれたハイウェイモーテルバグダッド・カフェ、そこにさっきのトラックが戻って来る。乗っているのはこのモーテルの女主人ブレンダの夫サル。コーヒーメーカーを買いに行かせたが忘れて戻ってきた夫を罵倒するブレンダ。サルは耐えきれず車に乗って出ていってしまう。カフェの傍にキャンピングカーを停めて生活するコックスは、そんな寂れたカフェの常連である。カフェの隅ではブレンダの息子のサロモがピアノを弾いているがブレンダにやめるようにやかましく言われている。そんなカフェに冒頭の女がたどり着き泊めて欲しいという。女の名はヤスミンというが、ドイツ名のムンシュテットを名乗っている。ブレンダは怪しいと思うもののとりあえず部屋に案内する。モーテルには刺青を彫るデビーも寝泊まりしていた。しばらくしてバックパッカーの青年もテントを張りにやってくる。
物が散乱し、ゴミだらけのバグダッド・カフェでコーヒーを飲もうとしてもコーヒーメーカーがなく、サルが持ち帰ったポットから出てくるコーヒーを出したりする。ブレンダは友人の保安官アーニーを呼んでジャスミンを調べてもらうが何の問題もなくアーニーは帰っていく。店員のカヘンガは、店に必要な食材をブレンダに買ってきてもらうためにジャスミンに書き出してもらう。そのメモを持ってブレンダは街に出かける。その間に店の惨状を見かねたヤスミンは掃除を始め、ゴミを捨て、看板を塗り替える。そこへブレンダが帰ってきて、ヤスミンを責めるものの、結局受け入れる。友達と遊び回っているブレンダの娘フィリスも帰ってくるが、ヤスミンの部屋を掃除に行った際にヤスミンの服に興味を持ち仲良しになってしまう。
ヤスミンはブレンダの一番下の赤ん坊の面倒も見るが、ブレンダが罵声を浴びせて赤ん坊をヤスミンから取り上げる。しかしヤスミンが自分には子供がいないからと答えたので、ブレンダは言い過ぎたと詫びる。ヤスミンは暇に任せてトランクに入っていた手品セットの練習を始める。ヤスミンは時々、カフェを手伝うようになり、上手になってきた手品を披露するうちにハイウェイを走るトラック運転手の話題になりカフェはみるみる繁盛し始める。サロモもピアノを弾いて店は賑やかになる。コックスは、ハリウッドで映画の背景画を描いていた。コックスはヤスミンに絵のモデルになって欲しいと頼み、自身のキャンピングカーでヤスミンを描き始める。ヤスミンの姿は次第に服を脱いでいく。
カフェもモーテルも順調になってきた矢先、アーニーが訪れ、ヤスミンは旅行者のビザしかないから不法就労になると告げにくる。仕方なくヤスミンは店を後にする。ヤスミンが去った後のバグダッド・カフェはシンと静まり返ってしまうが、まもなくしてヤスミンがバグダッド・カフェに戻ってくる。そしてかつての活気が戻り、ブレンダやヤスミンのショーを楽しみに大勢が集まるようになる。サルも、ずっと店のそばで店の様子を見ていたがとうとうこの日戻ってきてブレンダと仲直りする。ある朝、コックスはヤスミンの部屋を訪ねる。このままだとまたヤスミンは去らなければいけないが、アメリカ人と結婚すれば永久にと止まることができるとヤスミンにプロポーズする。ヤスミンはブレンダと相談すると答えて映画は終わる。
黄色や赤などのフィルターをかけた画面作りも美しく、軽快なテンポで物語が進む中で、いつのまにか冒頭の騒がしさが優しい映像に転換していく様が呆気にとられるほどに素晴らしい。これが名作というものだなと胸が熱くなってしまう。本当にいい映画です。
「はたらく細胞」
もっとつまんない映画かと思っていたら、意外に退屈せずに最後まで楽しめました。人気俳優総動員で、どこに誰が出ているのかを楽しみながら、ありきたりとはいえ、工夫して頑張っている感満載の作品だった。芦田愛菜じゃなかったらもっと面白くなったかと思いますが、彼女、大人になってからの演技は本当のいただけません。個人的な感想ですが、普通のエンタメ作品だった。監督は武内英樹。
映画は、いかにも不健康な今時親父の茂と、しっかり者の娘日胡の物語とその体内の細胞を擬人化した物語が並行して展開する作りになって展開していく。細胞内の話は赤血球と白血球、そしてキラー細胞のやり取りをエンタメ感満載で描きながら、日胡が白血病になって生死を彷徨うクライマックスで、擬人化された細胞たちが一掃されて生まれ変わって大団円を迎えて映画は終わっていく。
そもそも、映像化するにはかなりの想像力が必要な作りなのですが、無難にこなした仕上がりは評価して然るべき出来栄えで、拍手するほどではないけれど、まあこの程度なら良かったという映画だった。とはいえ、正月作品まで引っ張れる迫力は残念ながらなかったです。