くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「神は銃弾」「紅いコーリャン」(HDレストア版)

「神は銃弾」

実話をもとにしたフィクションとして描かれるサスペンスですが、映像のクオリティはなかなか高いのですが、いかんせん物語が全編暗い上に、真相の明らかになるラストの鮮やかさにやや欠けるのと、エピソードの構成、登場するキャラクターをもう少し整理した方が良かったのではないかと思えるほどくどかった。三十分は思い切って削除すればキレのいいドラマになった気がします。でも、花火や風船、雪景色、雨など絵作りの秀逸さはさすがという仕上がりでした。監督はニック・カサベテス。

 

どこかの施設、金髪の少女が鏡の前でうずくまり、嘔吐する。カットが変わると母と娘がスーパーから出てくるが母が何かを忘れたのか娘を残してスーパーへ戻る。突然駐車場にいた刺青だらけの男女が少女に群がって誘拐して連れ去ってしまう。出てきた母親は唖然として少女が持っていた風船が飛んでいくのを見て映画は始まる。

 

クリスマスイブ、警察署の事務官ボブは上司のジョンに促され職場を出る。彼は妻と離婚して一人暮らしだった。ボブの娘ギャビは、階下で両親が喧嘩しているのを聞いてドアを閉める。外にボブのパトカーが止まり、合図を送る。ボブの妻はボブの元を離れて別の男性と結婚していた。ギャビはボブに返事をする。ギャビが階下に降りると異様な雰囲気を感じる。台所に大勢の男たちがいて母をレイプしていた。そしてギャビが抱えられて連れ去られようとするので母が後を追っていくが途中で撃ち殺されプールに落ちる。

 

翌日の朝、ボブはサンタの格好をして同僚とギャビの家にやってきた。ところが家に入ると元妻の夫は惨殺されていてプールに元妻の死体を見つける。ギャビの姿がなかったので誘拐されたとわかるが、警察の捜査も虚しく半年近く経っても手がかりが見つからなかった。そんなボブに、ケースという女性から、ギャビのことで話があると手紙が届く。最初は疑ったものの、捜査の進展もない中ボブはケースに会う。ケースは冒頭に出てきた金髪の女性だった。さらに十二年前にスーパーの前で誘拐された少女だった。ー

 

ケースに言われるままにボブは車でフェリーマンという男のところに連れて行かれる。ケースは、左手の小径というカルト集団を抜け出してきたのだという。抜け出す際、リーダーのサイラスにリンチされるが刺青士のフェリーマンに救われたらしい。その映像がフラッシュバックされる。ボブは左手の小径に近づくために全身に刺青をされる。

 

ケースはボブと共に、左手の小径のエロルが営むバーにやってくる。ケースが戻ってきたことで、エロルは、サイラスが歓迎会を開くと言ってくるが、サイラスの仲間らは、ケースと一緒にいるボブの顔にある刺青がおかしいと感じ、逆にケースを拉致してしまう。ボブは通りで痛ぶられているケースを助け、痛ぶっていた男からサイラスの居場所を聞く。サイモンは森の監視官の小屋にいるという。

 

ボブらはサイラスの元へ行くが、そこは悪魔儀式の跡だけだった。しかし、そこにサイラスが密輸している麻薬があった。ボブはそれを奪い小屋に火をつけ、サイラスと交渉に出る。エロルからボブからの取引を聞いたサイラスは、まずエロルにブツを渡して金をもらえと指示してくる。ボブらはエロルの邸宅に行き、薬と金を取引してサイラスの元へ向かう。ケースを引き換えにするという条件だったがボブは金だけを渡しギャビを救出するが、サイラスらが追ってくる。

 

ボブとケース、ギャビはサイラスを迎え撃ち、瀕死の重傷の中サイラスの部下を根絶やしにする。実はサイラスはボブの上司ジョンと、ジョンの妻モーリーンの浮気相手サムと一緒に土地取引の現場で売主の老婆を殺した現場にいた。この取引で利益を得たジョンらはサイラスを見逃して捜査を遅らせていたらしいが、このエピソードを入れる意味が最後までわかりづらかった。ボブはケースに別れを告げるが、その前にケースの母の居場所を伝える。ケースが左手の小径を抜ける決心をしたのはスーパーで母に似た女性を見たからだった。

 

ケースは母の家に向かうが、母はベランダで新しい男と仲睦まじくしていたのでその場を去る。一人森の監視小屋のそばでサイラスが自宅に戻るのを待つ。戻ってきたサイラスにケースが襲いかかり、最後はサイラスを撃ち殺してしまう。元の生活に戻ったボブが車を洗っていると、ケースが戻ってくる。そして二人はいい感じになって映画は終わっていく。

 

クライマックスのサイラスらとのバトルシーンで背後に花火が上がったり、ケースがボブの元を離れてサイラスを待ち伏せするあたりに雪が降ったり、冒頭、ケースがスーパーの前で拉致されるあたりで風船が飛んだりと、映像的にも凝った作りになっていて、クオリティはなかなかなのですが、終盤がややくどいように思いました。もう少し鮮やかに締めくくったら、暗いながらも傑作になった気もします。でも全体になかなかの作品だった。

 

 

紅いコーリャン

二回目の鑑賞ですが、改めて傑作ですね。というか才能ある監督のデビュー作らしいギラギラしたバイタリティが炸裂している気がします。映画全体が深紅に染め上がっていて、それは色彩面でも、ストーリー面でもコーリャンの赤さと血の赤さが入り混じった仕上がりに圧倒されてしまいます。監督は張芸謀(チャン・イーモウ)。彼のデビュー作です。

 

山東省、十八歳の九児は、親子ほども歳が離れたハンセン病を患っているコーリャン酒を作る金持ちの李大頭の家に嫁入りが決まり、その支度をしている場面から映画は幕を開ける。真っ赤な衣装を着て紅い輿に乗った九児は、儀式として左右に揺られながら担ぎ手によって進んでいく。途中担ぎ手は九児を憐れみ、歌を歌うようにと促したりするが、手にしっかりと鋏を持ったまま身じろぎもせず、やがて泣き始める。そこへ盗賊が現れ、金を要求してくるが、担ぎ手が返り討ちにして殺してしまう。その際、主になったのが外部から手伝いに来た担ぎ手の余だった。

 

輿入れして三日ののち、儀礼によって九児は曽祖父に連れられて実家に戻る。その途上、コーリャン畑を通った際、九児が小用に畑の中に入っていきそこで覆面を被った男に襲われるがそれは余だった。九児は畑の奥へ導いて余に身を捧げる。間も無くして李大頭が殺される。九児は酒蔵の跡を継ぐことになり、番頭の羅漢の元で酒が作られる。ところがある日、余が酔っ払って現れ、九児を妻として契ったのだから一緒に住むと居座ってしまう。そんな余を羅漢らは瓶に放り込んでしまうが、そこへ盗賊の秀が現れ九児を誘拐し身代金を要求してくる。

 

羅漢が身代金を準備して九児が戻ってくるが、その姿を見た余は、秀のアジトへ行き秀に謝らせようとする。そして、九児の家に戻ってくると、九児は使用人と和やかに過ごしていた。余は酒樽に小便をした上、九児の部屋にこもってしまう。ところが、羅漢がその酒樽を調べるとなんとも言えない美酒になっていた。羅漢はその旨を九児に告げた後姿を消してしまう。その酒は十八里紅と名付けられ広まっていく。

 

九児と余の間に生まれた息子豆宮は九歳になっていた。コーリャン酒の仕事は順調だったが、日本軍がこの地にも侵攻してくる。日本軍は道路建設のためにコーリャン畑を潰し、秀を吊るして肉屋に皮を剥ぐように命令するが、逆らったため肉屋は殺されてしまう。反日運動に加担していた羅漢も吊るされ肉屋の手代に皮を剥がれてしまう。羅漢の復讐のため、余達は日本軍の車両を爆破することを誓い、コーリャン酒を爆弾に仕立てて道に埋めて日本軍を待つ。

 

しかし、なかなか日本軍が現れず、食事を持った九児らが、余らが隠れているコーリャン畑にやってきる。ところが運悪く、そこへ日本軍の車がやってきて九児達は日本軍に殺される。余達が反撃して日本軍の車を焼いてしまうが、生き残ったのは豆宮と余だけだった。空は皆既日食となり、コーリャン畑が深紅に染まっていた。それはまるで血に染まる大地を表すかのようだった。こうして映画は終わる。

 

圧巻の様式美の世界と映像美、さらにストーリー展開の構成のうまさ、それぞれが見事にマッチングした傑作で、のちに制作される傑作の数々の序章であるのをはっきりと窺わせる映画だった。見事。