くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「コルドリエ博士の遺言」「捕えられた伍長」「蝶の渡り」

「コルドリエ博士の遺言」

ジキル博士とハイド氏」を元に、人間の心の中に潜む悪への欲望を淡々とした筆致で描いていく。ハイド氏をモチーフにしたオパールの風貌、動作とジキル博士をモチーフにしたコルドリエ博士の気品ある姿が見事に対比して演じられていて、非常に明確なメッセージを伝える仕上がりになっています。時間を感じさせない物語構成も秀逸で、映像表現を駆使した演出は、事細かな感想を書けないけれど、やはり才能を感じさせられました。監督はジャン・ルノワール

 

ジャン・ルノワールがフランス国営放送のスタジオを訪れ、自身の番組「ルノワール劇場」を語り始めて映画は幕を開ける。公証人のジョリは友人のコルドリエ博士から遺言を託される。その中に、すべての財産はオパール氏に譲ると書かれていたが、その人物をジョリは全く知らなかった。それから十日ほど経った夜、ジョリが二階の窓から道を見ていると一人の少女が歩いて来た。そこへ、ぎこちない歩き方のいかにも怪しい男が近づき少女を羽交締めにする。慌てたジョリが駆けつけ、近所からも人々が集まって来たがその男は逃げてコルドリエ博士の実験室に逃げてしまう。

 

ジョリがコルドリエ博士の家を訪ねるが、助手のルジエが現れ、コルドリエ博士は不在だという。そして、さっき見かけた男こそが、オパールであることを知る。ジョリはコルドリエ博士を呼んで詳細を聞くもあやふやな回答しかなかった。ジョリは街に住む精神分析医でコルドリエ博士の知人セヴランの元を訪れる。セヴランはコルドリエ博士の行なっている実験に自分は賛同できないと追い返したのだという。

 

その後も、街でオパールの非道な行動が目撃されるようになり、殺人も行われるに及んで、ジョリは警察に連絡、警察もオパールの行方を追い始めるが見つからない。コルドリエ博士がセヴランのところへ来て説明すると約束した前日、ジョリはセヴランの病院へやってくるが、そこへオパールが現れる。警察も駆けつけるが、オパールはセヴランの診察室に入って鍵を閉めてしまう。駆けつけたジョリや警官が診察に飛び込むと、コルドリエ博士が慌てて飛び出してくる。セヴランは心臓発作を起こしたのだという。オパールの姿はなくおそらく窓から逃げたのだろうと警察は推測する。

 

不安な日を送るジョリの元に、ルジエから連絡が入る。ジョリがコルドリエ博士の家に駆けつけると、家族とルジエたちが怯えていた。コルドリエ博士は実験室に入ったまま苦しそうにうめいているのだという。ジョリが実験室に入るとオパール氏がいた。そして彼は一本のテープを再生する。そして自分こそがコルドリエ博士で、人間の悪の感情を生み出す薬で変身したが、元の姿に戻る薬が効かなくなって来て、今度戻るための量を飲んだら命がなくなるから、最後に伝えたかったと言って薬を飲んで死んでしまう。家族が駆けつけてみんながコルドリエ博士の死を目撃して映画は終わる。

 

人間の善と悪をストレートに描いていくタッチのシンプルそのものの映画ですが、何者かを感じさせてくれる演出が素晴らしい。完成された映画というのはこういう無駄のない仕上がりのものを言うのだろうと感じいってしまう作品でした。

 

 

「捕えられた伍長」

コミカルに繰り返される脱走劇の中に、さりげない人間味のある優しさを散りばめ、ラストは余計な描写を排除してすっとシンプルに終わらせることで、映画全体がとっても心地よい仕上がりにしてしまう。これが手腕と言うべき一本でした。監督はジャン・ルノワール。彼の遺作である。

 

ドイツ軍の戦闘機がパリを大空襲する場面から映画は幕を開ける。1940年、フランスはドイツに降伏して休戦となる。収容所に連れてこられたマイケル伍長は、牛が心配だと出口にやってくるがドイツ兵に押し戻される。休戦したのだから故郷へ戻りたいと言ってもドイツ兵は聞いてくれず、仕方なく兵舎へ戻る。そこで、仲間のバロシェ、エミール、カルーソらと出会い、早速脱走を企てるが塀を乗り越えたところで捕まってしまう。

 

その後も、何度も脱走を目論むもうまくいかず、そに繰り返しをコミカルな中に人間味あふれる展開で描かれていく。虫歯で歯科医に連れて行かれた伍長はそこで歯科医の娘エリカと親しくなる。パンシャが一人脱走を企てて捕まって死んでしまう。やがて、再度仲間三人と脱走した伍長はエリカを頼って街に行き、街服に着替えてパリを目指すが、途中で一人が捕まってしまう。まんまと葬儀の列に紛れ込んで汽車に乗った伍長とパロシェだったが、ふとした会話でフランス人だとわかり、ドイツ兵に逮捕されかけるが、折しもその汽車が爆撃に巻き込まれ、そのどさくさの中伍長らは逃げて近くの村へ行く。そこで小作人の農夫に助けられてそのままパリへ脱出、二人はセーヌ川のほとりで分かれて伍長はパリで待つ恋人を目指していって映画は終わる。

 

第二次大戦下の戦争映画ですが、根底に流れる人間の優しさ、人情味あふれる物語がとっても心地よいリズムを生み出して、反戦とか、戦争の悲劇とか言うストレートなメッセージは全く見せずに、やんわりとした人間讃歌が気持ちよくなる映画だった。

 

 

「蝶の渡り」

とっても綺麗な知的でクオリティの高い作品でした。ジョージアの近代化へ向かう時の流れを背景に、一人の画家の周辺の集う人々との関わりを淡々と美しい映像で描いていく。ジョージアの歴史の知識がなければしんどいところもありますが、何気ない物語を次々と紡いでいく作りと、ラストの処理がとにかく美しい。いい映画を見た感じでした。監督はナナ・ジョルジャゼ。

 

ソ連崩壊の後独立したジョージアだが、のちのロシアとの戦争で国土の20パーセントを失ったと言うナレーションとモノクロ映像から映画は幕を開ける。最後の戦闘を記録しようとする女性の声とその映像が繰り返され、その戦争から27年後、画家のコスタの物語へと進んでいく。コスタは半地下の部屋に住んでいた。この日カメラマンのナタが昔撮影したビデオを上映していて、帰って来たコスタは入れないので窓ガラスを破って入ってくる。

 

そんなある日、コスタの絵をアメリカの美術蒐集家スティーブが見たいと言う知らせが入る。コスタには一緒に住んでいる恋人ニナがいた。コスタの家には音楽家の青年ミシャなど様々な芸術家の人たちが出入りしていたが、生活は苦しく、電気も止められる状況だった。正直、誰が誰かほとんどわからなかった。間も無くしてスティーブがコスタの家にやって来て、全ての絵を購入するといい、とりわけ「蝶の渡り」という絵を気にいるが、コスタはそれは売り物ではないと断る。スティーブはそこでニナに会って一目惚れしてしまい、その場でプロポーズする。ニナはコスタに相談するが、コスタは好きなように生きればいいと背中を押す。

 

やがてニナがスティーブと一緒に旅立つ日、空港でニナはコスタに引き止めてほしいというが、コスタは快く送り出す。物語はその後、コスタの家に出入りするナタ、ミシャ、ムラ、ロラなどの人々のエピソードが陽気に繰り返される。ロラはイタリアの蝶のコレクターと結婚してしまう。ムラとミシャは、彼らを雇いたいという人物に出会い、高齢な母をコスタに預けて旅立っていく。ニナは時々嫁ぎ先でスティーブの日本かぶれの映像を送ってくる。コスタは絵をすべて処分し、部屋の中の本や調度品も処分する。間も無くこの建物も壊されることになっていた。

 

この年の年末、ナタが年末をコスタと過ごそうとやって来るが、コスタはカウントダウンまで眠ると横になる。そこにニナが帰って来る。ニナはナタに大きなレンズのカメラをプレゼントする。ナタは、ニナとコスタを二人きりにしようと残して家を出ていく。ナタが外に出ると雪が降っていた。すれ違った少年が、カメラは本物?とナタに聞いたので、ナタはカメラを少年にプレゼントし、撮れるものはなんでも撮りなさい、次はあなたの番よと立ち去る。こうして映画は終わる。

 

ジョージアの国民性もあるのでしょうが、生活も厳しく、普通なら悲壮感が漂うべきところ、平気で力強く生きている姿はある意味陽気で感動的でもあります。光や雪を多用した映像もとにかく美しく、半地下のコスタの家の造形美術もとてもクオリティが高い。良質の作品という印象の秀作でした。