くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「名前のノート」「ハイパーボリア人」「ドライブ・イン・マンハッタン」「聖なるイチジクの種」

「名前のノート」

行方不明になった若者達の名前を延々とノートに語らせて行く短編作品で、なんとも感想の書けない一本だった。監督はクリストバル・レオン&アキン・コシーシャ。

 

「ハイパーボリア人」

チリの国情がわからないと理解できないかもしれないが、実写とストップモーションアニメ、さらにマペットを交えた不可思議千万なシュールな作品でした。トリック映像を楽しむだけにとどまってしまい、物語があるのかないのかわからないままに終わってしまった。監督はクリストバル・レオン&アキン・コシーシャ。

 

アントが、自身の出演した映画のフィルムが盗まれたので、再度映画を作ろうと思うというオープニングから映画は始まり。まだマペット制作途中の頭だけの二人の監督が現れ、アントと会話をしながら撮影が始まる。幻想に悩む患者が現れ、アントは寝たきりの両親の元を訪れたりする。

 

二人の監督は、その幻想は詩人でヒトラー信奉者でもあったミゲル・セラーノの言葉ではないかと説明、これを元にアントの映画は撮影が進む。しかし、アントはいつの間にかどんどん謎の深層へはまり込んでいく。そしてチリの政治家ハイメ・グスマンから、国を揺るがすほどのことが記録された映画フィルムを探す指令を受ける。鍵となるのはメタルヘッド。映画は目眩くトリック撮影を繰り返しながら、アントがはまり込んでいく危険な世界を描き、冒頭の場面になって映画は終わる。

 

なんとも言えないほどにシュールでわかりにくい作品で、前作もそうだったが、ちょっとついていけない部分だらけの一本だった。

 

 

「ドライブ・イン・マンハッタン」

これは良い映画だった。タクシー運転手と乗客である一人の女性との会話劇のみで展開する物語ですが、カット割りのテンポが実に上手いし、ショーン・ペンの演技力が光っていて、どんどん二人の会話のミステリアスさに惹かれていきます。クライマックスは、いつの間にか胸が熱くなって、涙さえ浮かんでくる。なかなかの秀作でした。監督はクリスティ・ホール

 

夜のJFK空港、一人の女性が出てくるのを次第にカメラのピントが合ってきて映画は始まる。タクシー乗り場で一台の車に乗った女性は、マンハッタンを目指してほしいと告げる。運転手の男は、最近の料金支払いはアプリばかりになって、チップも稼げないなどと愚痴を言う。しばらく走っていたタクシーの運転手はさりげない世間話を女性に語りかけ始める。

 

女性はプログラマーの仕事をしていてオクラホマに二週間いてこちらに戻ってきたのだという。運転手の男は二度の結婚を経験し、幸せも失敗も味わってきたという。そんな会話の合間に女の愛人から携帯にメールが届き、早く会いたいだの、我慢できないから下半身の写真を送ってほしいだの言ってくる。適当に交わしながらもメールのやり取りを続ける女。時折、運転手からの問いかけなどに答えながら車はハイウェイを走っていく。

 

途中で事故の渋滞にハマってしまい、運転手は女に、既婚者の男性と付き合っているのだろうと見抜いてしまう。そして、自分もかつて女性を遊びにしか考えなかった過去を話したりし、女の付き合っている男性は、年配者であることや、子供もいることを聞き出していく。女も次第に運転手の会話に素直に応え始める。そんな間も女の恋人から執拗に、エロトークのようなメールが来る。

 

ようやく車が動き出した頃にはすっかりお互いに赤裸々な会話をするようになっていた。運転手の最初の妻は、明るい女性だったこと、途中で若い女と浮気をしてしまったことなどを話す。間も無くして高速を降りた頃、運転手は最初の妻との生活は幸せで楽しかったと感慨深げに話す。女はオクラホマへ行く前に妊娠していたことを話し、オクラホマで長い間会っていなかった姉と会ったが、女は子供を堕ろすつもりつもりだったが、途中で出血が始まって、姉に告白するまでもなく流産したこと、そして、その罪に悲しくなり、雨乞いの祭りに参加して自身に雨が降るように祈ったことを告白。そしてその頃には出血も止まったと話す。そんな女に運転手は、全て清められたのだろうと話す。女のスマホには恋人の子供が目を覚ましたことや子供達のことが書き込まれ、女のことは考えている以上に大切に思っていることと、愛してるという言葉が書き込まれる。やがて、タクシーは女の家の前に着く。

 

運転手は女のトランクをおろしてやり、別れ際、女がかつて父と別れる際に握手したように手を差し伸べるが、女は運転手の頬に手を当てる。そしてアパートの中に入っていく。じっと見送る運転手のショットで映画は終わる。

 

室内劇の如く展開する会話劇ですが、時折タクシーを外から捉える映像を挟み、タクシーの中のカットをさまざまなアングルで見せていくカット割りが素晴らしい。一見たわいないお話なのに次第にクライマックスに向かって内容が深く深く入っていく様と心の深層にたどり着くあたりの二人の演技が見事。とにかく、非常に優れたクオリティの高い一本だった。

 

 

「聖なるイチジクの種」

他国に住む者には信じられないくらいに女性蔑視が徹底されているイランの国情をしっかり把握しておかないと、妙な解釈してしまいそうな作品。厳格な宗教観を踏襲しながらも、女性を人とみなしていない男性社会という位置付けが徹底的に描かれ、いかにも家族のドラマであるかのように始まるオープニングからどこか狂っていく様が、実は本当のメッセージはこれなのだとグイグイと迫ってくる息苦しさに圧倒されてしまいます。映像作りもしっかりとしていて美しいし、空間の使い方も上手い。時折挿入されるスマホ映像なども緊迫感を生み出し、一方で家族愛の背後にある真実があらわになる展開も恐ろしい。これがイランの現状なのだろう。少々長いが、クオリティは一級品だった。監督はモハマド・ラスロフ。

 

革命裁判所で調査官に昇進したイマンが廊下を歩いてくる。そして自宅に戻ると妻のナジメが出迎え、昇進を祝って映画は始まる。調査官になったことで身に危険が及ぶ可能性があるとイマンは銃を手渡されていた。イマンはベッド脇のサイドテーブルに銃を格納するようになる。イマンに与えられる仕事は、検察官の指示で、逮捕された容疑者の起訴状を作成することだが、ろくに調査もせず次々と処理していかないと間に合わないくらい逮捕者がいた。そんな事務処理にイマンは毎晩悩むようになる。

 

テヘラン市内では、一人の女性が不審死を遂げ、それがきっかけで反政府デモが激しくなっていた。ナジメはテヘラン大学に通うレズワンや次女のサナを学校へ送り迎えしていたが、レズワンには、デモに参加している友人サダフがいた。ある日、デモが激しくなり、学校も休校になったレズワンとサナを連れて帰ってきたナジメだが、間も無くしてレズワンが、顔に散弾銃を浴びで重傷を負ったサダフを連れ帰ってくる。イマンの仕事に差し支えるからとサダフとの接触を心配したナジメは応急処置をしてサダフを帰してしまう。そんなナジメの態度にレズワンは反感を持つ。

 

間も無くしてサダフが逮捕されたらしいとレズワンが知り、収監場所を聞いてほしいとナジメに詰め寄る。ナジメは友人のファメテに頼むが、その行方はわからなかった。仕事に追われるイマンだったが、家族との団欒が必要だとナジメに責められ、一緒に夕食を取ることになるが、イマンがレズワンの行動に批判的かつ高圧的な態度を取るので大喧嘩になってしまう。ナジメはイマンの立場を考えるようにとレズワンらを宥めるも溝は深まるばかりだった。

 

ところが翌朝、サイドテーブルになおしていた銃が行方不明になる。焦ったイマンは娘達を疑うも知る由もない。ナジメにも詰め寄るも、隠すことはないと一喝される。職場で同僚のガデリに相談するも、20年勤めてきた信頼が失墜し、今後の出世も望めないから、しばらく隠すことにする。追い詰められたイマンはナジメと相談し、ファメテの夫が尋問官を務めていてその道のプロだから娘達を尋問してもらうことにするが、ファメテの家に行くとナジメも尋問を受ける事になる。

 

尋問が終わり、帰宅した家族だが、結果はレズワンらしいと判明する。しかしイマンがレズワンに詰め寄っても反論するばかりだった。そんな中、イマンの個人情報がネットに拡散してしまう。身の危険を感じたイマンは、家族の携帯を封印して故郷の家に避難する事にし、車でテヘランを出る。途中、立ち寄った店でイマンの素性がわかり動画で狙われたりするが、イマンは反撃して家族を守る。イマンは、ガデリに予備の銃を貸してもらっていたが、そのどさくさの中、サナがイマンの銃を隠していたのをレズワンが知る。

 

イマンの実家に着いたものの、イマンはナジメ、レズワン、サナを閉じ込めて、銃のありかを白状させようと本性を露わにし始める。サナが脱出し、離れの小屋に隠れて、家族が平和だった頃のホームムービーの音声を大音声で流したりし、イマンを誘き出してナジメ達を救出するが、イマンが迫ってくる。今や父という存在ではなく、敵でしかなかった。廃墟の遺跡跡に逃げ込んだナジメ達に銃を持ったイマンが迫る。そしてとうとう銃を手にしたサナと対峙する。撃てるわけがないと迫るイマンにサナは発砲、同時に遺跡の地面が崩れてイマンが落ちてしまう。街では反政府デモが激しさを増すばかりでその映像と共に映画は終わっていく。

 

自分たちの世界観でいけば、父を蔑ろにするバカな娘達という展開のように見えるが、イランという信じられないような男尊女卑の世界では、そういう物語ではないことは周知の事実なのだろう。視点を間違えると的外れな感想になってしまうような作品で、映像作品としては恐ろしいほどの仕上がりの映画だったと思います。