「ブルータリスト」
ブルータル(粗野な乱暴な)と呼ばれる建築様式を扱う建築家の物語ですが、非常に作品全体に知性が先走ったインテリ映画という感じの映画でした。前半は普通のヒューマンドラマの如く展開するのですが、後半から次第に何かを訴えるメッセージが見え隠れし、クライマックスに至っては、語りたいメッセージを一気に映像で見せていく。そしてラストのスピーチで全ての謎を明らかにするのですが、それがちょっと鼻につきます。作品のクオリティはなかなかのものだし、アカデミー賞ノミネートも分かりますが、何かひっかかるものがある映画だった、監督はブラディ・コーベット。
窓際に座る一人の女性に言葉がかぶさってゆっくりカメラが引いていくと暗闇の中もがくように進む一人の男ラースロー。そして外に出たら、自由の女神が逆さまに映されて映画は始まる。1947年から1952年の物語として始まる前半、第二次大戦で、ユダヤ人強制収容所で生き抜いたラースローは、アメリカに出国できたが、妻エルジェーベトと姪ジョーフィアはラースローと引き裂かれて別々の収容所に入り、ヨーロッパに残されたままだった。
ペンシルバニアにやってきたラースローは、従兄弟のアティラの経営する注文家具を扱う店に雇われる。その店に大富豪ヴァン・ビューレンの息子ハリーが、父が留守の間に書斎を大きく改造して驚かせたいとやって来る。ラースローは、ハリーの父の大邸宅にやってきて、大きな改修を行なってモダンで独創的な図書室を仕上げるが、早めに帰ってきたヴァン・ビューレンは激怒する。そしてラースローたちを追い出し、ハリーは費用を払わないと言い出し、ラースローは従兄弟の店を追い出されてしまう。
教会の救護院を転々としながら、建築現場などで働いていたラースローの所にヴァン・ビューレンがやって来る。彼はヨーロッパでのラースローの名声を知り、探し出してきたのだ。そして自宅のパーティに招き、そこで、この地に巨大な礼拝施設を建設する事を決定し、その設計をラースローに依頼する。
ラースローは、ヴァン・ビューレンの敷地内に住むようになり、ヨーロッパに残っている妻たちについても顧問弁護士のマイケルが手立てを考える事になる。そして工事が着手されて前半が終わり15分のインターミッション。
後半、1953年から1960年、妻のエルジェーベトと姪のジョーフィアが汽車でやって来るところから始まる。エルジェーベトは車椅子に乗っていて、栄養不足による骨粗鬆症だと言う。ラースローとエルジェーベトらは共に暮らし始め、オックスフォード大学出身のエルジェーベトには、ヴァン・ビューレンの口利きで雑誌記事の仕事に就く事になる。ジョーフィアはエルジェーベトに付き添うのだが、口数が少なく、その無口さがハリーには気に入らなかった。物語の随所に、英語とハンガリー語が交錯し、ラースローらの名前もユダヤ人の呼び名のままにこだわる下もあり、次第にラースローたちユダヤ人とヴァン・ビューレンらとの溝が見え隠れし始める。
建築工事は順調に進んでいくかに思われたが、予算の件で、ラースロー以外の建築家に意見を乞うたりして設計が修正され、ラースローは頑なに反論して、自身の思いを貫くために自分の報酬を当てたりするようになる。結局、ヴァン・ビューレンにとってはラースローの才能に興味はなく、ただその知名度だけを望んだのだ。そんな時、資材を運搬している汽車が脱線し、トラブル処理のため工事は中断、ラースローもヴァン・ビューレンの紹介で設計事務所へ転職せざるを得なくなる。
そして二年、顧問弁護士のマイケルがラースローを訪ねて来る。ヴァン・ビューレンが、一部縮小するものの建築を再開したいと申し出て来る。ラースローらは、ヴァン・ビューレンの元に戻って来るが、ジョーフィアは、ユダヤ人のフィアンセとエルサレムに移ると言い、ラースローの元を去っていく。ラースローは仕事に没頭し、エルジェーベトは次第に孤独に苛まれていく。ラースローはヴァン・ビューレンと共に教会に使用する石を物色するためイタリアへ行く。夜、現地の祭りに参加したラースローはしこたま飲んでしまい、ヴァン・ビューレンに呆れられてしまう。
やがて建物が完成に近づいた頃、夜中、足の激痛でエルジェーベトが苦しみ、ラースローは、ジョーフィアが用意していたいつもの薬が切れていた事で、自分が使っている麻薬を注射するが、深夜、エルジェーベトは意識を失う。なんとか一命は取り留めたものの、日に日にラースローの行動も狂気的になっていく。そして、ある夜、エルジェーベトはタクシーでヴァン・ビューレンの屋敷に行き、歩行器で食事をしているヴァン・ビューレンの目の前に現れて、ラースローを強姦したと罵声を浴びせる。ヴァン・ビューレンはエルジェーベトを追い出すが、その後行方がわからなくなる。ハリーたちが敷地内を探すも見つからず、完成間近の建物内に入ると、天井から差し込む光が十字架を映し出していた。それは逆さ十字にも見えなくもなかった。
1980年第一回建築ビエンナーレ会場、年老いたラースローは、設計した数々の建物の模型の間をジョーフィアの娘に車椅子を押されて入って来る。ジョーフィアが壇上に立ち、エルジェーベトが亡くなっている事と共に、ヴァン・ビューレン会館の完成は1977年までかかった事、その中の部屋の狭さはラースローが収容された強制収容所の大きさを元にしているが天井に開いたガラスの天窓は未来の希望だと語る。そして冒頭の女性のカットになって映画は終わる。
一体、ヴァン・ビューレンはどこへ行ってしまったのか?エルジェーベトが最後にヴァン・ビューレンに浴びせた罵声の意味はなんだったのか?アメリカ人もまたユダヤ人をいまだに蔑み迫害していると言いたいのだろうか?様々な謎を残すエンディングがとにかくすっきりしない幕切れという作品だった。
