「ゆきてかへらぬ」
錚々たる役者を揃えて、映像も美しく演出もしっかりできて、非常に良質でクオリティの高い仕上がりの映画なのですが、何かが物足りない。ほんのわずかな間合いがうまく機能していないのか、映画全体のリズムが今ひとつまとまってこない。これだけのスタッフキャストということで期待が大きすぎるのかもしれないけれど、後ほんの少し足りないものがある気がします。しかし、広瀬すずは抜群に美しいし、映画を楽しめた感は十分でした。監督は根岸吉太郎。脚本は田中陽三である。
大正時代京都、一人の女長谷川泰子が下宿の二階で目を覚ます。階下の石畳の上を和傘をさして通る人、それを見下ろす泰子。傘をさして歩いているのは十七歳の中原中也だった。泰子が窓から外を見ると屋根に柿が落ちている。それを拾って下に下りる。そして戻ってきた中原と出会い、柿をかぶる。中原もそれをかぶる。赤い柿はのちの中原の赤い手袋の暗示だろう。
泰子は荷物を持って雨の中出て行こうとするが、二階から中原が遊んで行かないかと声をかけ、二人は花札を始める。やがて二人は一緒に暮らすようになる。
女優を目指す泰子は撮影所で端役をこなしながら生活を始める。中原は詩人で、ある日中原の留守の時、友人の富永が小林秀雄の評論が載った本を届けにくるが、泰子の目の前で血を吐いてしまう。戻ってきた中原は泰子を責めるが、泰子はどうして良いか分からなかったのだと答える。二人は恋仲以上夫婦の如き生活を始める。
二人は東京へ引っ越すが、間も無くして小林秀雄が訪ねてくる。小林は詩人としての中原を認めており、中原もまた批評の達人小林に認められることを誇りに思っていた。そんな二人の関係を目の前で見る泰子は次第に自分が取り残されていく寂しさを覚え始める。三人は奇妙な三角関係で暮らし始めるが、中原のそばに居た堪れなくなった泰子は小林と一緒に暮らすことを決めて中原の元を去る。去り際、中原は母に作ってもらった赤い手袋を丸めて自分の心臓だと言って泰子に渡す。
料理など何もできない泰子に代わって小林が家事全般をこなすが、次第に泰子は精神的に異常なくらい神経質になっていく。中原は見合いをすることを泰子に告げにくるが泰子は二人の前で狂ったように中原を罵倒する。安子の神経症に耐えきれなくなった小林は、泰子には中原と小林の二人のつっかえ棒が必要なのかもしれないと泰子の元をさっていく。そして数年の時が流れる。今や女優として独り立ちした泰子は、撮影現場に来た中原、小林と再会する。中原は結婚し子供もできたが亡くしてしまい、さらに自身の結核の菌が脳にまわって髄膜炎になっていた。
時が流れ、撮影中の泰子に小林から電話が入る。中原が亡くなったという。泰子は、火葬場に中原を訪ね最後の死に顔に手を合わせ、かつてもらった赤い手袋を心臓のところに置く。外には小林がいた。二人は、かつて三人で過ごした日々を思い返し映画は終わる。
淡々と進むストーリーで、映像作品として非常に高級な仕上がりなのですが、それぞれの役者の面白みが今ひとつ生きていないし、物語の展開のテンポがちょっとうまくまわっていない気がして、物足りない仕上がりに感じてしまいました。でも良い映画です、それは間違いない。
「僕らは一生で一回だけ魔法が使える」
何度も再演されている朗読劇の映画化。オーバー露出でぼんやりとした映像で描いていくいわゆるファンタジーです。映画としてはテレビレベルの普通の作品でしたし、メッセージも胸に迫ってくる迫力がないのは、演出力の弱さか脚本の弱さかわかりませんが、と言って、駄作というほどでもなかった作品だった。監督は木村真人。
四人の若者が丘の上に伸びる木の葉をとって風に流す場面から映画は幕を開ける。十八歳になったアキト、ハルヒ、ナツキ、ユキオは、村のテツ爺という老人に呼ばれる。そして、この村の若者は十八歳になったら人生で一回だけ魔法が使えるのだと告げられる。ただし、二十歳になるまでに使わないといけないこと、命に関わる魔法は使えないことなどのルールを示される。魔法を使う際、丘に伸びる木の葉っぱを投げて願うのだと言う。
四人は最初は半信半疑だったが、古びた金庫に収められた台帳に、過去に行われた魔法が記されているのを聞き、信じるようになる。アキトらは幼馴染で、ハルトは生まれた時から心臓が悪く、ナツキが親しくなって四人で桜の木の下で遊んだりしていた。四人はどんな魔法を使おうかという会議を持とうと考え、集まって遊び半分に相談するようになる。アキトはピアニストになるために音大に行く夢があったが、父に反対されていた。ナツキはサッカー選手になる夢を持っていたが、造園業を営む父がくも膜下出血で倒れ、夢を諦めかけていた。ユキオの父は建築業を営んでいたが、この村のダム建設で、村の自然を壊した張本人だと思われていた。
ナツキは、父がかつて使った魔法を聞いてショックを受けて村を出ていってしまう。アキトは、実力で音大に合格し、ハルトに駅で見送られるが、その時、空の雲が笑顔になってアキトを送り出す。実はこの直前、ハルトは二十歳まで生きられないという余命宣告を受けていて、アキトが旅立つ日に勇気を持って送り出せるようにと魔法に願っていたのだ。
そして半年が経つ。アキトは大学で自身の技術に壁を感じていた。そんなアキトに、かつてピアニストを目指して挫折した父が、母との思い出を告白し、誰かのために弾くのが良いのではないかとアドバイスする。四人は間も無く二十歳を迎えようとしていた日、アキトは翌日にドイツ留学がかかったコンクールを控えていた。そんなアキトにユキオから電話が入る。この一年、入退院を繰り返していたハルトは、とうとう意識がなくなったのだという。
アキトは病室に駆けつけるが、間も無くしてナツキも駆けつける。そして、ナツキが母のお腹にいる時に危険な状態になり、その際ナツキの父が魔法を使ってしまったのでハルトに病気が現れ、アキトの母が亡くなり、ユキオの父のダムの事件が起こったのだと謝罪する。しかしそんなナツキに、アキトらは、それは全て偶然に過ぎないと慰める。
三人は、自分たちの魔法を決める。アキトは、自分がコンクールで弾くピアノの音を村まで届けて、みんなが幸せになるように。ユキオは、その時、かつて四人で遊んだ時のように桜の花びらが村に舞い踊るように、ナツキは、アキトのピアノが聞こえるように、もう少しハルトの命を繋いで意識を戻してほしいと頼む。こうして、桜が舞い、ハルトは目覚め、アキトのピアノの音が村に鳴り響く。やがてハルトは亡くなる。
テツ爺の魔法を記した台帳にアキトが書き込み、テツ爺が過去の書き込みを読み返す。それは全て村で起こった些細な幸せの出来事ばかりだった。こうして映画は終わる。
朗読劇としては、ドラマ展開といい、語りたいメッセージといい、想像力で膨らんでいたのかもしれないが、いざ具体的な映像になるとちょっとこのままでは弱い気がします。良いお話なのですが、もうちょっと練って欲しかった。
