くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「あの歌を憶えている」「奇麗な、悪」「銀幕の友」

「あの歌を憶えている」

終盤までどうなることかと思う展開が、ラストシーンで、そう言うことかと唸らせてくれる。才能のある監督が描くとこう締めくくるのかと拍手してしまうほどの映画だった。原題の「MEMORY」の方がしっくりくる感じがしますが、失われる記憶と忘れたい記憶の交錯する作劇の面白さに脱帽してしまいました。良い映画だった。監督はミシェル・フランコ

 

断酒会に来ているシルヴィアの姿から映画は幕を開ける。娘のアナは年頃で、デートやパーティーに興味を持っているが、そう言う場に出ることを許可しない。そんな母に反抗するでもなく寄り添うアナだった。シルヴィアは自宅にセキュリティを設置したりしてちょっと極度に男性に神経質になっている風で、過去に何かあったと匂わせる。彼女は障害者施設に勤めている。

 

ある日、高校の同窓会に出かけた彼女は、一人の男性が近づいてきたので、そそくさと会場を後にする。ところが、その男性がシルヴィアの後をつけてきて家の前まで来る。しかも翌朝もそのまま家の前にいたので、シルヴィアはその男の携帯から、家族に連絡をする。男の名はソールと言って若年性認知症で、弟のアイザックと暮らしていた。姪のサラが面倒を見ていたが、学校へ戻らなければいけなくなりシルヴィアにしばらく世話を見てほしいとやってくる。

 

気乗りしなかったが、試しにソールと公園で話し、実は自分は学生時代に性的虐待を受けていて、その加害者の一人がソールだと告げ、ソールの携帯を取り上げて置き去りにしようとする。しかし、気を取り直してソールの元に戻りアイザックを呼ぶ。一方、アナはシルヴィアの話を聞いて自分で調べ、シルヴィアの転校と入れ替わりにソールが転入してきたので、ソールが加害者になることは出来ないと話す。

 

シルヴィアはソールの世話をするようになるが、暫くしてお互いに気持ちが通じ合う。シルヴィアは身を引いた方が良いと、ソールの世話を辞めようとするがソールはシルヴィアの勤務先に来て、二人は口づけをする。そしてソールはシルヴィアの家で暮らすようになるが、アナはシルヴィアの両親と暮らしているシルヴィアの妹オリヴィアの家に暮らすと言い出す。シルヴィアは、オリヴィアの家に行き、ゲームをしているアナの前で、自分は父親に性的虐待を受けていて、母はそれを見て見ぬふりをしていたと告白する。

 

ところが、家に一人残してきたソールがシルヴィアの家の前で倒れ病院に担ぎ込まれる。シルヴィアが会いに行くが、アイザックは、もう会わないでほしいとシルヴィアに告げる。アイザックは異常なほどソールを束縛していた。シルヴィアからの電話に全く出ないソールを心配してアナがソールの家に行くと看護師が出迎える。ソールは看護師を二階に遠ざけ、アナと話を始めるが、アナはこの家を出ようとソールを連れ出す。アナはソールを連れてシルヴィアのところに戻ってきて二人は抱き合い映画は終わる。

 

とにかくストーリー展開が秀逸で、一寸先が全く読めないままにいつのまにか監督が描かんとしている物語に引き込まれていることに気がつく。ソールが認知症というエピソードがあまり表立って出てこないので、ちょっと気になるところもあるが、記憶という共通点で描くシルヴィアとソールの人生が一つに結ばれるラストはうまいとしか言いようがない。その意味でなかなか練られた映画だったと思います。

 

「奇麗な、悪」

76分、瀧内公美の一人芝居で描くシュールな一編。以前、同じ原作を桃井かほりが「火Hee」で映画化したが、あれは独りよがりのひどい映画だったが、今回の作品は、映画マニア好みかもしれないが、面白い作品だった。主人公の髪型が束ねられたり解かれたり、部屋の中を歩き回りながら語る悲劇の物語。聞いているのは精神科医だがスクリーン内では機械仕掛けの小さな人形で、口笛のメロディが繰り返し流れる。レトロな洋館という舞台設定も不思議なフィクション感を出していて楽しめました。監督は奥山和由

 

シュールな近代絵画、シルエットで映る人形、口笛が流れ、アイマスクの丸い円の中に街中をふらふら歩く一人の女を捉える。髪は長く、さらりと着たワンピースもこれというものでもない。モダン絵画がガラスのように砕けて映画は始まる。

 

レトロな洋館にやってきた女は、そこに座っているであろう精神科医に語りかけ始めるが、椅子のそばにあるのは機械仕掛けの小さな人形だけである。女は、幼い頃、火遊びをしていてカーテンに火がつき、燃え広がるままに放っておいて両親が亡くなった話を始める。結婚し、子供もできたが、義父と体の関係を持ち、それをいかにも無理やり関係を持たされたかのようにして家族を崩壊に導く。

 

借金まみれになった女はクラブ勤めを始めるが、もともと酒が苦手だったことからクラブを辞め、その時出会った客を相手に売春を始める。その客の一人Sと心地よい恋愛関係になる一方で、暴力的なTにいかがわしい写真を撮られ、それでも惹かれるように体の関係を続ける。Tが女の娘もそのターゲットにし始めたが、なんとか誤魔化したものの、ある日Tは娘を女のアパートに連れ込むのを目撃、Sに助けを求めようとするが、結局、娘を放って逃げ出しただけだったかもしれない。

 

Sは女の訴えに、奇妙な反応をし、女は自分のアパートに戻ると、引き裂かれた娘の衣服と乱れたベッドのシーツを発見。わかっていながら、その場を離れた自分を見つめる。女はそこまで話し、全ては嘘だったと精神科医=人形に告白、階段を上ってベランダに出る。ベランダの下には墓地が広がっていて、「私は生きていてもいいのでしょうか」とテロップの後、夕陽が映されて映画は終わる。

 

一時間余りのワンカット撮影で、カメラは瀧内公美を縫うように捉えていく。時にシルエットや人形、火をつけられる蝋燭のカットが挿入され、瀧内公美は髪を解いたり束ねたりして告白を続けていく。そして、ようやくベランダに出て映画が終わるというまさに芸術としての映像作品という感じの一本でしたが、意外に退屈しなかったのは尺も中編であることと瀧内公美の演技力の賜物ゆえだったのかもしれません。

 

 

「銀幕の友」

三十分弱の短編映画で、どういう意図を持って作られ公開されているのかよくわからなかった。絵はしっかりとしていて美しいし、カメラワークもそれなりですが、これというお話はない。監督はチャン・ダーレイ。

 

1990年、アジア競技北京大会閉会を告げるラジオ放送が流れている場面から映画は幕を開ける。チョウの家でも閉会式を見ていた。母が寝るからとテレビを消すように促される。

 

チョウが勤める工場では、マスコットのパンダ「パンパン」が撤去されようとしていた。そこへ遠方に行っていた詩人のリーが帰ってくる。工場内では従業員とその家族向けに映画の上映会が企画され、チョウはその券を配っていた。上映会の日、チョウは入り口でもぎりをしていた。一段落して会場に入ったチョウは、友人に券をもらったとリーが挨拶をする。スクリーンでは「大人は判ってくれない」が流れていた。こうして映画は終わる。

 

冒頭の夜の通りの場面、チョウの事務所の中をカメラが移動する場面、そしてラストシーンと、短いながらも映画らしい映像が詰め込まれていて、しっかりした映画になっていることは認められるが、何か関連作と組んで上映した方が良かった気がします。