くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「Playground校庭」「ケナは韓国が嫌いで」「フライト・リスク」

「Playground 校庭」

終始、子供目線の高さでカメラを構え、延々と子供の背後から子供達の姿を捉えていく。舞台は小学校の校庭を中心に教室内を時折挿入しながらも学校から外へは一切出ない。子供達にとってはこの空間が全ての世界なのだと言わんばかりである。閉じ込められた空間で展開する子供たちのドラマは、いつのまにか自身の子供時代を彷彿とさせられ、どんどんスクリーンの中に釘付けになってしまいます。一時間余りに凝縮されたストーリーに、様々な事を感じ取ってしまうなかなかの秀作だった。監督はローラ・ワンデル。

 

この日、幼いノラは初めての学校だった。兄のアベルにしがみついて離れない場面から映画は幕を開ける。アベルから離れたら今度は送ってきた父にしがみついて離れない。ようやく先生に促されて渋々校舎へ向かうノラ。昼食も友達がいないからと食べず、休み時間に会えるとアベルに慰められていたので休み時間にアベルのところへ行くが、邪魔にされてしまう。そんなノラも次第に友達ができて遊ぶようになるが、ある日ノラは、アベルが上級生アントワーヌたちに虐められている現場を目撃する。

 

アベルはノラに口止めするが、アベルがトイレに顔を押し付けられたりしているのを見るにつけて、父親に知らせる。父は仕事をしていなくて、家事をしていると子供達に説明していた。父は学校へいって、アントワーヌたちを叱るが、アベルへのいじめは止まらなく、ノラが告げ口した事でさらに激しさを増していった。

 

ノラは校庭で目隠しして遊んでいたが、転んで擦り傷を負ってしまう。保健室で治療していたが、窓の外で、アベルがゴミ箱の中に閉じ込められている現場を目撃する。しかし、助けにも行けず、先生も相手にしてくれなかった。ノラが授業を受けている時先生が呼びにくる。アベルに問題があったらしく父親が迎えにきたのだという。ようやく先生にアベルが虐められていることが明らかになり、ノラの担任の女教師もノラに優しく接するようになる。

 

先生たちの前でアントワーヌらはアベルに謝らされ、アベルは一段落ついたかに思われたが、今度はノラが友達から遠ざけられるようになる。さらに、ノラに優しかった担任の教師も転任していきますますノラは孤独になっていく。一方、アベルはイスマエルという黒人の少年を虐めるようになった。その現場を見たノラはアベルにやめるように言うが、アベルは今さも戻れないとノラを責める。そして、とうとう、アベルはイスマエルにビニール袋を被せて苦しめている現場を目撃、必死でノラはすがりついてやめさせようとし、冒頭の場面と同じく、アベルに顔を埋めて抱きつく。アベルはようやく手を離し、ノラに抱きつかれるままになって映画は終わる。

 

ラストは、なんとも言えない胸が熱くなります。果たして父親はなぜ仕事をしていないのか、監視員という校内の存在はなんなのか、様々な背景が映画全体に厚みを生み出し、子供たちのいじめの話に終わらせない深みのある映画になっています。見事だった。

 

 

「ケナは韓国が嫌いで」

今の生活に生きづらさを感じた一人の女性の人生の模索を描いた一本。平坦に展開する物語のあちこちに散りばめられる日常の主人公への束縛。なんとか抜け出そうとしても引き戻される現実。そんな息苦しさの果てにとうとう自由を手に入れんとする主人公の希望のラストは、不思議なほどに清々しく感動的。特に映像にこだわるわけでもなく、ある意味素朴な演出で描いていく物語に親近感を感じていく作りは上手い。そんな一本だった。監督はチャン・ゴンジェ。

 

ソウルで暮らすケナは、大学を卒業し金融会社に就職、片道二時間の通勤をしている。恋人のジミョンと7年越しの付き合いをしているが、自分の目標が定まらないジミョンに、苛立ちを隠せない。ケナの両親は裕福ではなく、現在住んでいる家も間も無く再開発で立ち退かざるを得ないようだ。こうして映画は始まる。このままでは未来の希望がないと判断したケナは、いかにも不正をしている会社に意見を言って聞き入れられないとあっさりと会社を辞め、ニュージーランドに移住する決意をする。

 

ニュージーランドに着いて、とりあえずホームステイして暮らし始める。年下の彼氏を次々と作り、ジャカルタから来ている彼氏ができたりしながら暮らしていたが、ある日、警察がやってくる。ケナがネットにアップした動画が違法だったという。結局強制退去で韓国に戻ってくる。間も無くしてニュージーランドで世話になった家族が地震津波で亡くなった事を知る。

 

韓国ではジミョンは会社員になっていて、何気なくよりを取り戻して一緒に生活する。妹たちやかつての大学生の友達らと遊んだりする日々を過ごしたが、何か物足りなさを感じ、再度韓国を離れる事を決意、空港で家族に見送られ、ロビーで搭乗を待つケナに、30歳の誕生日おめでとうとジミョンからビデオメッセージが届く。こうして映画は終わる。

 

ベストセラー小説の映画化らしいが、映画としてはそれなりにまとまっていたと思います。特に秀でた作品とは思わなかったけれど、いい作品だった。

 

 

「フライト・リスク」

小さな飛行機内の三人だけのサスペンスという低予算映画でしたが、なかなか面白いB級作品でした。監督はメル・ギブソン

 

雪の降るアラスカ、一軒のモーテルでカップ麺をレンジにかけている一人の男ウィントンの姿から映画は幕を開ける。外に何かがぶつかる音で驚いて窓を開けるとトナカイだった。一安心した直後、入り口から連邦保安官補ハリスらが突入してくる。ウィンストンはモレッティという犯罪者の証人として捜査されていてついに発見して踏み込んできたのだ。

 

ハリスはウィンストンを伴ってアラスカからニューヨークへ向かうべくプロペラ機を手配して乗り込む。そこへパイロットとしてダリルという男が乗り込んでくる。離陸したものの、乱気流の中、ベテランパイロットダリルの操縦で目的地を目指していた。ところが、後部座席に拘束されていたウィンストンは、足元にパイロットライセンス証を発見する。しかも、そのライセンス証の顔写真のダリルは今操縦している男と全くの別人だった。

 

なんとかハリスに伝えようとするが、無線のヘッドフォンを二人ともつけていて声も届かない。一方、ハリスは、ダリルが捜査上機密にしている情報を知っていることに不信を抱き、アラスカへ向かう時に操縦してもらったパイロットの名前で罠をかけてダリルを試す。そして、ダリルがウィンストンを無きものにするためにモレッティが派遣した男だと見破り、大乱闘の末、スタンガンで気絶させて偽ダリルを捕縛する。しかし、飛行機の操縦はできないハリスは見よう見まねでとりあえず自動操縦にし、ウィンストンを副操縦席に座らせて、アンカレジの空港を目指すことにする。

 

ハリスは衛星電話で本部に連絡し、情報が漏れている事を伝え、操縦はハッサンという男の指示に従うことにする。機内で気がついた偽ダリルはハリスたちに罵声を浴びせて、逃げる機会を伺う。そして、過去の失敗などを責められたハリスはついキレて偽ダリルに襲いかかり、殴り倒すが、その際、偽ダリルはハリスのサングラスを手にいれてしまう。さらに、足元に落ちているナイフも手元に引き寄せる。

 

ハリスは保安官事務所に連絡し、副保安官のキャロラインが情報を漏洩したのではないかと保安官コールリッジに伝える。しかしウィンストンが裏金を送金していた先の一つにコールリッジの別荘の住所があった事を聞いて、モレッティと繋がっていたのはコールリッジだと気がつく。ハリスはキャロラインに、コールリッジこそがモレッティの仲間だと連絡し、逃げるように伝える。そこへ、拘束を解いた偽ダリルが襲いかかる。偽ダリルはナイフでウィンストンを刺し、ハリスの首を絞めて殺そうとする。ウィンストンは必死でナイフを引き抜き偽ダリルを突き飛ばしてハリスを助け、咄嗟にハリスは偽ダリルを照明銃で撃ち、偽ダリルは再び拘束される。

 

ハリスが保安官事務所に連絡すると、キャロラインは事故で死んだとコールリッジから報告を受ける。ハリスはコールリッジを罵倒するが時すでに遅かった。やがてハッサンの指示通り海岸線からアンカレジ空港が見えてくる。気を失ったウィンストンに危機が迫る中、燃料を使い切った機体は空港へ迫る。手首の関節を外して拘束を解いた偽ダリルがまたもや襲いかかるが、咄嗟にハリスは銃で撃ち偽ダリルの動きを封じる。

 

空港へ突入したハリスたちは、機体がボロボロになりながらもなんとか着陸に成功する。しかしその途中、偽ダリルは機外へ飛ばされて救急車に轢かれて死んでしまう。全てが終わったかに思われたが、ウィンストンが救急車に乗せられたところへ、怪しい警官が乗り込む。それを見たハリスが救急車に飛び込むと、ウィンストンはビニール袋を被せられ殺されかかっていた。すんでのところでハリスは警官を撃ち殺す。傍に警官の携帯電話があり、コールリッジから首尾を聞いてくる連絡が入る。ハリスはコールリッジに、あなたも終わりだと告げて映画は終わる。

 

限られた空間と、限られたキャラクターで描くB級エンタメ映画で、たいそうな作品ではないけれど、90分余り退屈せず楽しめる作品でした。