「女人哀愁」
無駄なシーンを一切排除し、徹底したカット割りとカメラ演出で、描かんとする物語を辛辣な視点でぐいぐいと描いてくる。おっそろしいほどの映画だった。主人公広子を演じた入江たか子の緩急をつけた演技もさることながら、まるで機関銃のように目まぐるしく展開するストーリー展開も見事で、締め付けられていく感情がラストで一気に開放されてしまう感覚にのめり込まれてしまいました。監督は成瀬巳喜男。
母と妹、弟と暮らす広子に、裕福な家庭から縁談が持ち込まれる。同年代の従兄弟に相談をしながらも、何事もそつなくこなす広子はその縁談を受けることになって映画は幕を開ける。嫁いだ先は裕福で、理解のある両親、ちょっとわがままながらも好感な妹たちに囲まれて、一見幸せな暮らしが始まるが、夫は、仕事と言って同僚らと飲んで帰り、貧しい恋人と付き合う姉の洋子は家を出るし、女学生の妹は好き放題に生活を謳歌していた。
何かにつけて広子広子と、都合よくこき使われる広子だったが、一方で、その言葉の中には愛情も何も感じられないことに戸惑いを隠せなくなる。しかも、そんな扱いをされる広子の事を、それが自分で気に入っているのではないかとさえ言ってくる。恋人の元を離れた洋子が帰ってきたが、元恋人の増田は何かにつけて接触してきて、広子を使って洋子に伝言などをしたりする。
そしてある夜、ホテルにいる増田から広子に電話が入る。今夜どうしても洋子に会いたいと言って居場所を告げる。間も無くして広子の夫から増田が会社の金を横領して逃げたという連絡が入る。広子は増田の居場所を夫にも話さず、洋子にだけ告げる。そんな広子を夫や両親も冷たくあしらい、夫は話さないなら出て行けと豪語する。広子は意を決して家を出て実家に帰る。同年代の従兄弟と話しながら、二度と結婚はしない事、自立して仕事につくことを明るく告白して映画は終わる。
オーバーラップで次々と広子に家族が用事を言いつけ、それにおとなしく受け答えする広子が次第にその不条理さを募らせて、最後に反抗して家を飛び出す。このストーリーテリングの構成が実に上手いし、おとなしい時の入江たか子と最後の毅然とした姿の彼女の対比、無駄な描写シーンを一切入れない間髪を入れないカット割と演出に、凝縮された密度の高い作品として完成されているのがとにかく恐ろしくすごい。これぞ成瀬巳喜男の真骨頂なのだろう。素晴らしかった。
「来し方 行く末」
決して悪い作品ではないのだけれど、淡々と進む様々なエピソードの繰り返し部分の前半がちょっと間延びしてしまううえに、後半、シャオインの真実が明らかになってからの畳み掛けからラストが、何度もクライマックスを迎えるかの演出で、かえってぼやけてしまった感じでした。監督はリュウ・ジャイン。
一人の青年ウェンがベンチに座っていて、意を決して立ち上がる場面から映画は幕を開ける。かつて脚本家を目指していたが、主人公を描いても一向に物語が進まず、葬儀での弔辞を書くという仕事で食い繋いでいるうちに、その弔辞が評判になって次々と仕事が来るようになったという経緯で物語が始まる。すでにウェンも中年に差し掛かり今の生活に疑問を抱き始めていたが、丁寧に聞き取りながら弔辞をまとめていく彼の仕事は好評だった。
同居していた父親との交流が少なかったという男性や共同経営者のCEOを失った実業家、余命宣告された婦人、ネットで知り合った声優仲間を探す女性、など様々な人たちとの人生に関わる中で、少しづつウェンの人生が前に進み始める。奇妙な同居人シャオインが、実は脚本の中の主人公だったというクライマックスから、ようやく本来目指す脚本に向き合う姿で映画は終わる。
静かに淡々と進む中で、様々な人たちから、書いた弔辞への思いなどが交錯する中で、主人公が次第に前に踏み出さんとしていく流れなのだが、どうもいつまでもその気配が見えないままに終盤に差し掛かる。つまらない作品ではないのですが、少し削ぎ落とすべきを削ぎ落とせばもっと胸打つ展開になった気がします。