くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「サンダーボルツ*」「リー・ミラー彼女の瞳が映す世界」「クィア/QUEER」

「サンダーボルツ*」

CG満載の派手なバトルシーンを売り物にせずに、押さえたドラマ作りg!逆に、面白さを生み出した感じがするアベンジャーズ映画だった。ー物足りないと言えばそれまでだが、内面のトラウマ世界に紛れ込んで悪と戦う構図もこれはこれでありだと思う。監督はジェイク・シュライヤー。

 

一人のヒーローエレーナが、ビルの屋上で下を見下ろしている場面から映画は始まる。飛び降りてスカイダイビングで地上を目指す。任務を終えた彼女にCIA長官ヴァレンティは最後の任務を与える。それは、機密の格納庫に侵入し、先に侵入して情報を得ようとしている人物の真意を探るというものだった。ところがエレーナが侵入したら、そこに他の超人たちも潜入していてお互いに撃ち合いになる。

 

さらにいかにも普通の青年ボブも混じっていた。超人たちは、ヴァレンティに騙されたと気がつくが、周囲の出口が閉ざされ、全員を焼き殺すべく装置が作動する。エレーナたちは、力を合わせて脱出するが、そこにヴァレンティらがエレーナらを皆殺しにせんと待ち構えていた。

 

巧みに欺いてその場を離れようとあい、さらにボブが囮になってエレーナたちは脱出に成功する。しかし、撃ち殺されたかに思われたボブは超スピードで空に舞い上がり地上に落下してきても死ぬことはない超人に変身していた。彼こそ、ヴァレンティが開発していた超人で、失敗したと思われたが唯一成功していたのだ。

 

目が覚めたボブはヴァレンティからセントリー計画の成功例だと説明される。エレーナたちはヴァレンティに復讐すべく、旧アベンジャーズビルにやってくるが、彼らを迎えたのはヴァレンティの意のままに操られたボブ=セントリーの姿だった。セントリーは無敵で、エレーナたちに歯が立たず、エレーナ達はなんとか脱出する。セントリーがヴァレンティに逆らうようなそぶりを見せたので、ヴァレンティは緊急装置でセントリーを抹殺するが、逆に、人類をトラウマ世界に閉じ込める能力を持った悪の超人にレベルアップしてしまう。

 

エレーナたちはセントリーに立ち向かうが、歯が立たず。エレーナはわざとトラウマの世界に飛び込みボブに対峙する。そこへ他の超人たちも駆けつけ、ボブが闇の自身と向き合う中、ついにボブは自身を克服し、すべてのトラウマの闇は解き放たれて平和に戻る。そんな彼らをヴァレンティはニューアベンジャーズだとマスコミに宣言して映画は終わる。エンドクレジットの後、宇宙からファンタスティック4の宇宙船が地球を目指してきてエンディング。

 

それぞれ脇役だった超人達の過去のトラウマをドラマとして描きながら、シンプルな筋立てで仕上げたのが功をそうしたマーベル作品だった気がします。

 

 

「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」

こういう映画は見ておかないといけない。決して大傑作という作品ではないのですが、丁寧に描いていく一人の報道写真家を通して描く戦争の惨禍を訴える物語に、次第に自分の持つ知識の希薄さを実感させられて、ひとまわり考え方が膨らんだような気がしました。いい映画だった。監督はエレン・クラス。

 

第二次大戦下のある街の一角、一人の報道写真家リーがカメラを構えていると突然爆弾が炸裂して吹き飛ばされてしまう。一瞬、何が起こったかわからないまま呆然としている場面から、1977年、リーの居宅で、息子のトニーにかつての経験を話しているリーの姿から映画は幕を開ける。

 

物語は1938年に遡る。友人たちと楽しく過ごしていたリーは、ローランドという芸術家の青年と知り合って結婚する。折しも第二次大戦が起こり、ヴォーグ誌でカメラマンの仕事を得たリーは、現地で知り合ったライフ誌のカメラマンディヴィッドと一緒に、戦場の最前線に赴き、様々な悲劇をカメラに収めていく。

 

やがて戦争が終わったが、帰国してほしいというローランドの声をよそに、さらにドイツ国境間へ足を伸ばしたリーとディヴィッドは、そこで、収容所へ送られる途中で大量の死体を積んだ列車や、ヒトラーの居宅で和やかに過ごす米兵たちの姿、戦禍の街の片隅で震えながら暮らす子供達を目の当たりにしていく。そして、本国イギリスのヴォーグ誌の編集長オードリーに写真を送る。

 

やがて帰宅してローランドに迎えられたリーだっったが、ヴォーグ誌に自分の写真は一枚も載っていなかった。思わずオードリーの元を訪れ、自身の写真を破り始めるが、オードリーは、写真は米国ヴォーグ誌に送ったと伝えられる。母リーの前で様々な写真を手にするトニーは、気がつくと母の姿はなかった。テロップで、リー・ミラーは1977年に亡くなったこと、彼女の写真は米国ヴォーグ誌に掲載されたこと、ローランドやとディヴィッドはその後も親交があったなどのテロップのあと映画は終わる。

 

戦争は終戦という一瞬の後、全てが白紙になるわけではない。そんな知らなかった現実を見事に映像として伝えてくれたこの作品に感謝したくなりました。その意味でいい映画だったと思います。終始丁寧な演出と映像に、ラストまでスクリーンから目が離せませんでした。

 

 

クィアQUEER

まるでドラッグを使用してトリップしてしまったかのような不思議な感覚を味わう作品で、ゲイの話かと普通に見ていたら、みるみる展開がシュールになり、エンディングの後思い返してみると。全ては主人公でアヘン中毒者のリーの幻覚だったのではないかとさえ思ってしまう作品だった。まるで「2001年宇宙の旅」のクライマックスだけをゲイの話でオブラートしたような映画だった。映像も美しいし音楽も絶妙、ダニエル・クレイグの熱演も映画に魅力を生み出しているし、どこか癖になる一本だった。監督はルカ・グァダニーノ

 

1950年代メキシコ、この町でクィアとして街を闊歩するアメリカ人駐在員リーは、この日も友人のジョーたちと楽しく過ごし、出会ったゲイとホテルで過ごす日々だった。そんな彼は、一人の端正な顔立ちの青年ユージーンと出会う。リーはすっかりユージーンの虜になり、心を傾けていくが、自分と同じクィアかどうかが不安で言い出せなかった。

 

何度か酒を飲み話をするうち、ユージーンもまた自分と同じだと確信したリーは、いつもいく赤い廊下のホテルへ彼を誘い、熱い一夜を過ごす。それからのリーはますますユージーンに惹かれていくが、ユージーンは女性の友達らとも気楽に過ごしていた。リーは、南米にあるというヘタという秘薬を求めるべくユージーンを誘う。ヘタはテレパシーを呼び起こすと言われていた。

 

ヘタと呼ばれる秘薬を研究するコッター博士の住む密林の奥地へ進んだリーとユージーンだが、リーは途中で体調を崩す。リーはアヘン中毒で、アヘンが切れて禁断症状が出た。医師に処方箋をもらい、さらに奥地へ進む。そしてついにコッター博士と巡り会う。最初は嫌われたがすぐにお互いに気持ちを通わせ、コッター博士はリーらに食べ物になる獲物を手に入れてくるようにと依頼する。ところが銃で仕留めようとした瞬間足を踏み外したリーは怪我をしてしまうが、コッター博士は、ヘタの枝はそこかしこに落ちているものだと説明する。そして早速その枝を煮詰めて二人に飲ませる。

 

なんのことはないものだと食した二人だったが、深夜突然幻覚に囚われて、口から心臓を吐き出したような経験をしてしまう。疲れ果てた二人はそのまま寝入ってしまい、翌朝、帰路につくべくコッター博士に別れを告げるが、コッター博士は、まだまだ入り口なので2、3日過ごして体験した方が良いとアドバイスする。しかし、リーとユージーンは密林の中に消える。

 

先を進んでいたユージーンを追って歩いていたリーだが、突然姿を見失う。空を仰ぐと遥か星空の彼方からリーが降ってくる。そして砂浜に降り立つ。そこはメキシコの街だった。2年が経ち、友人のジョーの店を訪ね、かつての知人たちのその後を話したりする。なぜかリーの風貌はかなり年老いて見えた。そして、ユージーンと過ごしたホテルに横たわったと思ったが、気がつくと自宅のベッドで一人だった。

 

傍にホテルの模型があり、それを覗くと赤い廊下をリーがやってきて一室に入る。そこには蛇がいて、ベッドにはユージーンが横たわっていた。ユージーンは傍のコップを頭に乗せたので、リーはいつも携帯している銃で撃つ。ユージーンはその場に倒れ、リーが近づく。気がつくと、リーは杖をついた老人になっていて、そのままベッドに横たわり、やがて目を閉じてしまう。こうして映画は終わる。

 

シュールな映像で描いていく不思議な作品ですが、全体が一つの映像として仕上がっている様は癖になるほどに面白い。大好きな映像作品という一本だった。